第二十回 永年太極拳②

楊露禅は最初の陳家溝での修行から永年に帰省した直後、郷里で試合を挑まれ敗北しています。6年間、日々研鑽を重ねた来た修行と、それによって培った技と誇りが粉々に打ち砕かれた瞬間でした。その結果、再度陳家溝に戻って一から修行をやり直します。

再び6年の歳月が過ぎ、露禅は二度目の帰省をします。時期はちょうど正月を迎える頃でした。郷里の腕に自信のある者達は、早速、力試しをするために近づいて来ます。さも新年の挨拶をする振りをして、いきなりかかって来ました。相手の攻撃が露禅に届いたかと思った瞬間、攬雀尾の捋から擠への変化で応じたため相手は後方へ大きくのけぞって飛ばされました。皆大笑いして「露禅先生は、とうとうものにして帰って来たぞ。」と口々に言い合いました。永年には武術に長けた家柄の武氏がおりました。陳家溝の陳氏一族とも仲が良く、拳法の腕前もかなりの評判でした。その武氏が露禅の力を試そうと試合を申し込んで来たのです。露禅はこの試合で負けはしませんでしたが、双方とも実力が伯仲していたため互角の戦いとなり、結局勝敗はつきませんでした。露禅は陳長興に付いて修行すること十余年、日々鍛錬し努力しては来たものの、未だこの拳法の奥義には達していないことを改めて悟りました。このような経緯があって、陳家溝での3度目の修行となりました。

3度目の修行でようやく師から奥義を伝授され、体得してから武氏の協力もあり、北京で活躍することになります。同郷の武氏は都で官吏の職についていました。その縁で北京の富豪の商家を紹介されました。当時、富豪の家は夜になると官吏たちの交際の場となっていました。その家の子弟たちには科挙の受験の準備や武芸などを習わせて、家柄にさらに磨きをかけていました。楊露禅を紹介されたその家の主人は、小柄で華奢な文士然とした露禅の様子を見てがっかりします。一応、その家の上客である武氏の紹介でもあるため、無下にも出来ず、「適当にあしらって追い払おう。」と考えました。商家の主人は屈強な武術教師を3人を雇っていました。いずれも腕利きの逞しい大男たちで、その強さは評判でした。「楊先生は、長年武術の修行をされて来たと伺いました。ただ、それがどこまで通用するか分かりません。果たして人が倒せるのでしょうか?」露禅は謙虚で実直な性格でしたが、その無礼で横柄な主人の態度に一瞬怒りがこみ上げました。しかし、静かにそれを心に収めました。主人は続けて3人の武術教師との試合を頼みました。露禅はそれに応じて庭に出ました。やがて3人も姿をあらわし、試合の用意がととのいました。3人はいずれも市中で名の知られた武術家で、身体中に闘志をみなぎらせているのが分かりました。試合にのぞんで露禅は言いました。「試合とは言え、情け容赦はしない。私を倒せるなら望むところだ。さあ来いっ。」一人が凄まじい勢いで蹴りと拳で連続攻撃をして来ました。露禅はわずかに体を右にずらして蹴りを外し、続いて胸を突いてきた拳を左足を一歩前進させて左掌で払うと同時に、右掌で敵の胸を按しました。敵はその衝撃で大きく後ろへ投げ出され倒れました。二人目はいきなり左側から顔面を右拳で打って来ました。露禅は掤勁(ぽんけい)を用いて両掌を敵の右腕に貼り付け、纏絲(てんし)の勁を用い、腰を回転させて大きく敵を投げ飛ばしました。三人目は上から頭をめがけて打って来ましたが、露禅は左足を一歩進めると同時に左手で敵の右手首を掤起し、右掌を敵の胸部に素早く撃ち込みました。露禅の手が忽然と隠れ忽然と現れる、つかみどころの無い技に、三人目の敵もアッと言う間に倒れてしまいました。まさかの結果に主人は驚きおそれ、ついには一席を設けて自分の非礼を深く詫びました。以降、この試合の出来事が市中に広まり、続々と試合の申し込みがありましたが、誰一人として露禅に勝てる相手はいませんでした。『楊無敵』の噂が広まり、時の大臣たちは競って露禅を召し抱えようと招きましたが、露禅は軽々と応ずることは無く、日々太極拳の指導に専念しました。

つづく