第九回『伝統楊式太極拳と簡化24式太極拳』①

1956年に中国政府の肝入りで制定された「簡化24式太極拳」は、中国国民の健康のために作られた太極拳健康体操である。

この24式太極拳は、練功十八法、中国ラジオ体操と共に、中国三大国民体操として多くの中国国民に愛されている。

本来の歴史ある伝統楊式太極拳が85式であるのに対して、老若男女誰でも親しめるように24式に簡略化されている。その動作には洗練された美しさが感じられる。

一般的に国家体育運動委員会の編集委員によって競技・表演用に整理された太極拳や健康体操として簡易化されたこれらの太極拳は『伝統楊式太極拳』に対して『制定拳』と呼ばれている。

この24式は、伝統楊式太極拳をベースにして国家体育運動委員会が編纂したとされている。しかしながら伝統楊式太極拳と簡化24式太極拳を比べると、どうもおかしい。何でここまで内容を変えたのか?変える必要が有ったのか?「何かおかしい」「何か怪しい」と思ってしまう。これは善いとか悪いとかの問題ではなく、洗練性は有るけれども何故こうも伝統性が失われた太極拳になってしまったのだろうかと云う素朴な疑問なのだ。24式は24式で立派に役目を果たしているのだけれど、私の中で伝統太極拳と24式とは繋がらないのだ。そもそも楊式太極拳の普及発展は、中国清王朝の貴族を始めとするごく限られた人々への指導から始まっている。楊式太極拳の始祖『楊露禅』が清王朝の貴族に認められ、武術教師として普及を始める。その結果、武術としての発展のみならず、副産物として大きな健身効果が認められ、その後ますます発展して行くことになる。

この時点で健身効果が確認されているのだから、何も24式に簡略化する時に大きく内容を変える必要はなかったと思うのだ。何故、変えたのだろう?

最近になってその原因がやっと解った。伝統楊式太極拳85式と24式は、直接的に繋がってはいなかった。85式と24式の間に『楊式太極拳81式伝統套路』なるものの存在が有った。85式が楊式太極拳の始祖『楊露禅』から代々の太極拳であるのに対し、81式は1931年に山東省国術館を主宰していた『李景林』によって編纂されたものだ。李景林は、太極拳を楊式太極拳二代目の楊健侯に学んだとされている。81式の編纂には当時、山東省国術館の教務主任であった李玉琳も参加していた。李玉琳は簡化24式太極拳の産みの親である李天驥の父であり、李天驥も1931年にこの山東省国術館を卒業している。85式と81式は套路名称と順序はほとんど変わっていないが、その動作内容が大きく変化している。そもそも武術は伝統文化である事から、代々その内容はそのまま変えずに、次代に伝えなければいけないとされている。(つづく)