太極拳に限らずどの世界でも、自分が指導的立場に立つと妙に偉そうになってしまう人を良く見かけます。私の知る限り、そう云う指導者に真の実力有る人間は居りません。こう云うタイプの人は、押し並べて心が弱い。自分が弱いから、それを隠そうとして偉そうにする。そうで無ければ、頭が少し弱いか、おかしい。・・・と思って宜しいと思います。例えば、全日本チャンピオンや世界チャンピオンになった途端に人間が変わって偉くなるのか?そんな事は無い。
大会でトップを取る事は、とても貴い事です。しかし、それが全てでは無い。高き志しを抱く人間であれば、それは一つの通過点に過ぎない。技術と云う物は腕が上がれば、それに伴ってその道の感性も上がるものです。感性が上がれば、今の己の技量がはっきりと小さく見えて来るもの。だから、更に前を向いて稽古に励むのです。永遠にこれの繰り返し。だから、この過程で人間性も自然に磨かれます。
勿論慢心と云う、大きな落とし穴も有ります。自分が偉く見えて来たら、用心用心又用心。
人間性が磨かれれば、必ず技術に風格と品格が現れます。こうなった時、その技術は芸術に近づきます。
だから昔から『実るほど頭を垂れる稲穂かな』と有ります。
実るとは、技術の世界では腕が上がること。頭を垂れる稲穂は、その道の感性が上がって益々謙虚になる事となります。
「人間四十を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」と良く言います。今までの生き様が、隠そうとしてもその顔に出てしまう。太極拳の演武も同じです。その人の生き様がそのまま出ます。素直な人は、素直な太極拳に。卑しい心根の人は、卑しい太極拳になります。太極拳に限らず、どの世界でも同じ事が言えます。だから日常の過ごし方、心掛けが重要なのです。誤魔化す事など出来ません。
加藤老師は生前
「太極拳の先生だからと言って生徒さんに対して、偉そうに構えてはいけない。」
と常々言って居られました。その言葉通り、講習会ではいつも親切で丁寧な技術解説をされていました。
講習会などで、生徒さんから質問が出ればその全てに丁寧に答えていました。
質問が出ない時も、
「疑問点を自宅にお土産として持ち帰らないようにしましょう。」と言って、些細な疑問でも遠慮なく質問するように指導されていました。
太極拳の一部指導者の中には、生徒さんに質問されて窮すると、
「そんな質問は10年早い!」とか、「その位、自分で考えろ!」とか
「私の動きを見て、考えなさい!」とか云う人も少なく無いらしい。質問さえ出来ない独裁的な教室も存在するようです。分からない事は、恥ずかしい事では有りません。それを誤魔化す事が恥ずかしい。何事も前を向いて、謙虚に学び続けましょう。
教える事は、学ぶ事。共に学び続ける事が大切です。