<質問>
起勢と収勢、それ以外には虚実が必ずあると某書籍に書いてあるのを見ました。
それでは、蹬脚とか下勢独立の独立の場合の虚実はどうなんだろうと分からなくなってしまいました。
蹬脚では、支柱になっている脚(右脚とすれば)が実なら前に出している左手が実と考えるのか、
それとも蹴った左脚が実で、後方にある右手が実と考えるのか?
そして、 下勢独立の独立では虚実をどう考えれば良いのか?
ご教授願いたくよろしくお願いします。
<答え>
今回は虚実に対する質問です。
質問の内容には、三つの虚実の問題が含まれています。
①起勢と収勢には虚実が無いのかの方向で考える虚実。
②動作の部分で考える虚実。
③もう一つ動作の目的、定式で考える虚実。
の三つの方向です。
起勢・収勢の様に左右の手型が同じ型で完了した場合の虚実には、動作を完了させる為に動いた虚実。起勢の虚実を例にとって考える時、身体の前方に張り出す動作を行う時には、両手を同じ感覚で張り出しますか?
普段の生活感覚が右利きの人は無意識の中でも右手を重点に考え張り出していませんか。決して両手を同じ感覚で前方に張り出して居ない筈だと思いますが、如何でしょう。
下方に押さえる時にも、利き腕に意識を置いて動作をしていると思います。
収勢の場合も同じだと思います。
もう一つの虚実の考え方は、動作の部分の虚実を分けて明らかにする考え方だと思います。
独立歩で蹴る動作。
提膝で膝頭を挙げる動作の場合は、支える脚を実と考えるのが普通です。
動作として動く蹴り脚の動作が実に変化するのも、自然な虚実の転換だと考えます。
動作が変化する場合の虚実の転換の際、定式の虚実と意識をしっかり考えて動作をする事も大切です。
唯、あまりに虚実に捕われ過ぎて、太極拳の動作の目的が曖昧になってしまわない様に気を付けましょう。