スミにおけない炭のお話
スミにおけない炭のお話
木炭の種類について
木炭は生産方法により大きく分けて「黒炭(くろずみ、こくたん)」と「白炭(しろずみ、はくたん)」の2つに分けられます。
大きな違いは消化方法で、黒炭は炭窯の中で火を消す「窯内消化法(ようないしょうかほう)」により、白炭は火のついている炭を窯の中から引き出して窯の外で火を消す「窯外消化法(ようがいしょうほう)」により生産されます。
●黒炭
最も生産量が多く、火付きが良く使いやすい木炭です。
生産工程の最終段階で、木炭が炭窯(すみがま)の中に入ったままの状態で窯口、排煙口を閉めて完全に空気が入らないようにして消火して作る炭が黒炭です。
黒炭には次のような特徴があります。
①樹皮が着いている
②たたくと鈍くやわらかい音がする
③表面が黒く、ざらざらしている
④断面には割れ目が多い
⑤火つきがよいが火もち(燃焼時間)は短い
黒炭に使われる木は主にコナラ、ミズナラ、クヌギ、イタヤカエデなどです。
黒炭は、茶道の炭点前(すみてまえ)に用いられたり、バーベキュー用に使われています。
国内の生産量は減少傾向にあり、2021(令和3年)は4,098tが生産され、そのうち主な産地は生産量の多い順に岩手県(1,788t)、北海道(639t)、熊本県(370t)、鹿児島(329t)、栃木県(101t)、富山(99t)などとなっています。
●白炭
石と粘土などで作られた白炭窯で作られる炭です。炭ができる最終段階で、火の着いた木炭を炭窯から引き出し、灰と砂を混ぜた消し粉(けしこ)をかぶせて消火します。
白炭には次のような特徴があります。
①樹皮が着いていない
②たたくと硬い金属音がする
③表面に灰が着いて白っぽく、硬い
④断面には割れ目は少なく、光沢がある
⑤火つきはよくないが火もちがよい
白炭に使われる木は、ウバメガシなどのカシ類、ナラなどです。
白炭は、うなぎのかば焼きや焼鳥など、強い火力が求められる焼き物の調理に用いられています。
国内の生産量は減少傾向にあり、2021(令和3年)は2,860tが生産され、そのうち主な産地は生産量の多い順に高知県(1,318t)、和歌山県(988t)、宮崎県(262t)、大分県(100t)、岩手県(30t)などとなっています。
このうち和歌山県は「紀州備長炭」、高知県は「土佐備長炭」、宮崎県は「日向備長炭」と呼ばれ長い歴史を持ち、三大備長炭とも呼ばれています。
さまざまな用途で役立つ炭
木炭には目に見えない細かな孔が無数に空いています。これは原料である木材の組織構造が収縮して残ったもので、大きさによってミクロ孔(直径20Å以下の細孔)、メソ孔(直径20~500Åの細孔)、マクロ孔(直径500Å以上の細孔)に分けられます。
木炭の持つこうした多孔性により、さまざまな物質を吸着する性質を持っています。
木炭のそれらの孔の中をチッ素ガスや水で飽和させ、それらの飽和量から比表面積や細孔分布を算出すると、多くの木炭の比表面積は200~400m2/gにもなります1)。テニスコートのダブルスコートは約260.76㎡ですので、たった1gの木炭の小さな孔をすべて平らに伸ばして広げると、それだけの面積になるということです。
一般に高い温度で炭化した木炭の表面にはアルカリ性を示す官能基が、低い温度で炭化した木炭には酸性を示す官能基が多くなり、水に浸けた時、前者はアルカリ性を示し、後者は酸性を示します1)。例えば、アンモニアが多いトイレや下駄箱では、雰囲気がアルカリ性なので備長炭を置いても効果は低いですが、黒炭を置くと臭いをよく吸着します。このように木炭の種類や単価温度の違いによって、その効果や吸着する物質も異なります。
こうした多孔質であることによりいろいろな物質を吸着する木炭の性質により、水質浄化や脱臭、土壌改良、床下調湿など多くの用途に利用されています。具体的な利用については以下のリンクをご参照下さい。
https://nittokusin.jp/mokutan_mokuchikusakueki/shin_youto_mokutan/
1)https://www.pref.chiba.lg.jp/shigen/biomass/documents/documents/p9-13.pdf
バイオ炭とは
国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が2019年5月に発行した「IPCCガイドライン改訂版」(IPCC-2019 Refinement to the 2006 IPCC Guidelines for National GHG Inventories)によると、バイオ炭とは「燃焼しない水準に管理された酸素濃度の下、350℃超の温度でバイオマスを加熱して作られる固形物」と定義されています。日本で昔から作られてきた黒炭や白炭のほか、竹炭や、おが粉を圧縮して固めたオガライトを炭化したオガ炭なども含まれます。
バイオ炭の原料となる木材や竹等に含まれる炭素は、いずれは微生物の活動等により分解され、温室効果ガスの一つである二酸化炭素として大気中に放出されます。しかし、木材や竹などを炭化して土壌に施用することで、その炭素を土壌に閉じ込め(いわゆる「炭素貯留」)、大気中への放出を減らすことが可能になります。
国際的な認知とJ-クレジットへの認証
日本では元禄年間から農地に炭を入れ、土壌改良に活用してきた歴史があります(『農業全書』宮崎安貞著(1697年))。また、1984(昭和59)年には木炭が地力増進法の中で土壌改良資材として指定されています。
国際的には前述の2019年の「IPCCガイドライン改訂版」において、農地へのバイオ炭施用が排出・吸収量報告(温室ガスインベントリ報告)における温室効果ガスを吸収する取り組みの一つとして認められました。
その翌年の2020年9月には、わが国において温室効果ガスの排出削減・吸収量をクレジットとして認証し、そのクレジットを売買できる制度である「J-クレジット」制度の対象として認められました。
※J-クレジット制度については以下をご参照下さい。https://japancredit.go.jp/
炭とともに歩んだ わが国の文化 ―そして炭の利用を持続させるために―
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
(2022年 日本木炭新用途協議会 講演研修会より)
今日いちばん言いたいのは、「炭の利用を持続させるために」、そのために何をするべきか。今まで私たちは炭の文化を育んできたが、それを大切にしてもっと続けていかなければならない、ということをみなさんにお伝えできればと思っている。
炭はそもそもどこから来たか、それは山火事の後の消し炭だったとされている。実際に人がやいた形跡のある最古の木炭は、愛媛県大洲市の狩野川石灰岩洞窟で発見された木炭で、長く30万年前とされてきたが、年代測定の結果、約1万年前と判定された(2011年3月)。最初に日本で作られたのは「ニコ炭(和炭)」で、弥生時代後期(3世紀)に伏せ焼きで作られた炭である。軟質で炭化度が低いため火付きがよく、燃焼温度が高いため、鉄製農機具の製造に使われたとされている。
史書に記された最古の木炭は日本書紀(巻3)の「墨坂の炭」で、神武天皇が東征の時に賊軍(ヤソタケル)が壕を掘り、炭を燃やして通路を2か月間妨害したとある。炭を大量に作ることは当時は難しかったと思うので、壕の中に木や竹を入れて火を燃やしたのではないかと私は想像する。
ニコ炭の後、飛鳥・奈良時代に作られたのが「アラ炭」で、和炭よりも上質で火持ちが良く、立ち消えが少なく煙の出ない炭であった。当時は寺院や室内での暖房や厨房で使われた。
木炭は奈良の大仏(747~749年完成、752年開眼供養)の鋳造にも使われたが、それはニコ炭であった。使用された木炭は約800t、銅の溶解炉は手ふいごのこしき炉で、百数十基が使われ、鋳造は8回に分けて行われた。
アラ炭の後には「イリ炭」(煎炭、炒炭、熱炭)が平安時代に登場する。宮中や貴族の邸宅で使用され、煙の出ない質の高い炭であった。イリ炭はアラ炭やニコ炭を二度焼き、または日本独特の製炭技術であるネラシ処理をした炭で、白炭に近い品質で、火つきは悪いが火持ちが良く、ガスの発生が少ない炭とされている。枕草子(清少納言)に、「名おそろしきもの」の一つに「いりずみ」が挙げられており、また、「心もとなきもの」(じれったいもの)に「また、とみにて煎炭(いりずみ)おこすも、いと久し。」とあり、イリ炭は火つきが悪く、火をおこすのが難しかったことがうかがえる。
弘法大師(空海)が804~806年、遣唐使として唐へ渡っており、その時に白炭製炭法が導入されたと言われている。今でも排煙口のことを大師穴、弘法穴、不動穴などと呼ばれている。こうして平安前期から中期にかけて、炭窯を使った炭やき法が定型化したとされている。
木炭は埋葬にも使われた。6世紀頃、炭で舟形の形を作り、その中に布で包んだ遺体を入れ、上から厚さ10cmほどの木炭層で包んだ「木炭槨」を持つ墳墓が見つかっている。防腐、防湿、浄化を目的として作られたとされ、よく知られているのは飛鳥~奈良時代の古事記の編纂者である太安万侶の墓であり、1979(昭和54)年に発見されている。平安時代以降、墳墓に木炭を入れる風習ができた。また、伊達政宗が江戸で亡くなった際、棺の中に牡蠣殻、塩、炭などを詰めて仙台に送られたことが記録に残っている。
炭は製鉄に使われ、金属文化は炭によって築かれたとも言える。古代から近代まで、砂鉄、鉄鉱石から鉄を取り出す「たたら製鉄」が行われた。「たたら」はふいごのことで、粘土質の炉に松炭を敷き詰め、その上に砂鉄をおき、さらにその上に松炭を置いて下から火をつけ、ふいご風を送る。炭による還元反応で酸化鉄から鉄が作られる。鉄は日本刀や武器、農機具などの金属加工品に利用されてきた。奥出雲では今でも年に1、2度、たたら製鉄が行われている。
炭による製鉄は今でもブラジルのミナスジェライス州で行われている。大型の炭化炉でユーカリを材料に炭がやかれ、木炭を満載したトラックが数珠つなぎになって運んでいる。木炭はコークスよりも反応性が高く、反応温度が低く、硫黄などを含まないという利点がある。
日本でも18~19世紀、金属を溶かす反射炉が作られ、伊豆の国市の韮山反射炉が知られている。これも木炭の熱を利用したものである。
炭はお香とも関係が深い。部屋に香りを漂わせる「空薫(そらだき)」では焼香炭が、 掌中の香りを鑑賞する「聞香(もんこう)」では香炭団(こうたどん)が使われる。お香の歴史は飛鳥時代(595年)に沈香木が淡路島に漂着し、聖徳太子に献上されたことから始まる。奈良時代には仏前に香をたいて供える「供香」(くこう・そなえこう)や香木を直接火にくべる「焚香(たきこう)」が行われるようになった。平安時代には貴族がお香を使うようになり、衣服に香りを薫(た)きしめる「薫衣香(くのえこう)」や「空薫(そらだき)」、香料を練り合わせたもので香りの優劣を競う遊び「薫物合(たきものあわせ)」などが行われた。
鎌倉時代には沈香などの香木を焚く「焼香」が始まり、室町時代には足利義政による東山文化で茶道、華道、香道の文化が花開いた。安土桃山時代には香の熟成時代を迎え、茶道では千利休によって侘茶が大成された。江戸時代には香道が確立するとともに16世紀には線香が普及し、17~18世紀には国産化が図られた。
炭はお茶とも関りが深い。茶は中国の伝説上の人物である神農によって発見されたとされ、紀元前2700年頃の「神農本草経」に記されている。当時は滋養強壮の薬とされた。平安時代に遣唐使である最澄、空海が唐から茶の種子を持ち帰ったが、実施に日本に茶が広がったのは鎌倉時代に栄西が宋から茶を持ち帰って以降とされる。茶の薬としての効能が広く知られ、武士階級に喫茶の風習が普及していった。室町から安土桃山時代には千利休により茶道が確立され、大分のクヌギの黒炭を二度焼きしたものが使われ、以後、クヌギの菊炭がよいとされている。茶の湯炭の条件としては、樹皮が密着していること、くずれにくくしまりがあること、切り口が菊の花のように割れていて、割れ目が細かく均一であること、断面が真円に近いこと、樹皮が薄いことなどが挙げられる。
「和食」は2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたが、炭も和食と深い関りがある。炭火は遠赤外線により肉の中まで火を通すのでうまみを外に出さないなどとされているが、炭火焼には食に深みをもたらすよさがあると思っている。
炭火焼によく使われるのが備長炭で、元禄年間に紀州・田辺の商人、備中屋長左衛門がウバメガシを炭材にした白炭を江戸で販売し人気が出たことから「備長炭」の名がついた。実際の発明者は、秋津川村(現・田辺市)の製炭者とされている。
日本の炭やき技術は独自のものである。築窯技術では白炭窯はビワ型、黒炭窯は卵型をしており、地上部から煙突が立ち上がっているのが特徴である。製炭技術については、窯口を小さく開口して空気の投入を抑えてゆっくり炭化すること、製炭終期に窯口を広く開けて未炭化物を燃焼させる精煉(ねらし)を行うこと、白炭の場合は窯外消火を行うことが挙げられる。これらが品質の高い日本の炭を作り出してきたといえる。
暖房としての炭は火鉢や炬燵に利用されてきた。「腰抜けの妻うつくしき火燵哉」与謝蕪村、「火桶抱いをとがい臍をかくしける」八十村路通など多くの句に歌われている。
美術・工芸品への貢献として研磨炭がある。奈良時代から漆器、金属製品、ガラス玉などの艶出しに使われており、現在では漆器、箸、仏壇などの漆製品のほか、印刷原盤や銅板などの金属研磨、カメラボディー、レンズ、腕時計の文字盤などの機械にも使われている。炭材には二ホンアブラギリ、ホオノキ、チシャノキ、ツバキなどの柔らかい木が使われる。素材を傷つけることなく磨け、化学品では落とせないものをきれいにしたり、曲面が磨けるのが特徴である。現在は福井県の木戸口武夫氏が唯一の製造者であり、こうした技術を後世に残していかなくてはならないと思う。
デッサンに使われる画用木炭も美術に関わっている。描きやすく消しやすいのが特徴で、ヤナギ、クワ、カバ、ミズキ、カエデなどの小枝で作られている。
文学の中でも炭やきや炭は数多く登場し、それだけ心に訴えるものがあるのだと思う。
「炭がまのたなびくけむりひとすぢに心ぼそきは大原のさと」西行(山家集)。
「さびしさはふゆことまされ大原ややくすみかまの煙のみして」源顕仲(堀河集)
「風さむみいろり囲みてたくたびに池田の炭の香よきかな」富岡鉄斎
京都・大阪付近は炭窯を歌った歌が結構ある。これは弘法大師が中国から帰ってきて高野山へ行く前に京都・大阪で炭やきを伝授したため、この付近に炭窯が多く作られたのだろうとされている。
「かま」にはいくつかの文字がある。「竈」はかまどで天井のないもの、火を焚くところ。「窯」は天井のあるもの、物を高温度に熱し、または溶かすのに用いる装置。「釜」は飯を炊いたり湯を沸かしたりする金属製の器。炭窯の窯は「窯」を用いる。
以上のように、わが国の炭つくりと炭の利用は独自の道を歩んできた。特に炭や木酢の特殊な利用はわが国で開発されたものであり、それらも含めて何とか次世代に残していきたいと思っている。
そのためには炭やきでの海外支援も必要だと思う。開発途上国では家庭・レストラン等での調理用エネルギー源として木炭は非常に重要視されており、アフリカなどでは90%以上木炭が使われている国もある。そうした国に日本の品質の高い炭を作る技術を教えていかなければならないと考えている。品質向上による燃料としての性能が向上すれば製炭量が少なくて済み、伐採量を減少させることができる。また、植林による炭材の確保も地球の緑の保全や地球温暖化防止のためにも必要である。これまで、一般社団法人全国燃料協会、公益財団法人国際緑化推進センター、国立研究開発法人科学技術振興機構、独立行政法人国際協力機構、国際協力銀行などで炭やき技術を活用した海外協力を行ってきた。
炭を次世代に残すためには、ICT(情報通信技術)による省力化、製炭技術の簡易化、生産技術者の育成、海外での技術指導、原料となる原木の利用・再生・植林が必要だろう。また、炭のよさのPR、用途の広報、炭焼き体験などの情報交換や情報発信も重要になってくる。1、2、3次産業に4次産業(情報)を加えて10次産業にしていくということも言われている。
林野庁では「スマート林業」が言われている。ニュージーランドでは自動散水機や乳牛の自動搾乳機が導入されている。ロボット技術やICTを活用した省力化、高品質製品の生産も考えていく必要もある。
古き伝統技術に立ち返り、現代の流れに組み入れることを考えることが重要である。炭やきや炭窯も、これから残していこうとしたら、旧態依然から抜け出して、世の動きに合わせたやり方をしていく必要があると思う。
炭、炭やき産業(総論1)
炭やきの会 岸本定吉
1. はじめに
炭は、いたるところでやかれている。森林のあるところでは、必ずやかれている。そのやき方は国により場所により異なるが、炭やきの原理はどこも同様で、木材の蒸しやき(空気の不完全なところでの木材の熱分解)である。
炭は、人間に馴染みの深い燃料である。そのつきあいは人間が火を使い出したそもそもの始めからで、人間が火を使い出したのは三万年前とも、四万年前ともいわれるが、氷河期以前、人間はすでに火を使っていた。火を使わなかったら、人類は氷河期を生き延びられなかったであろうとの説もある(webmaster注:wikipediaの「初期のヒト属による火の利用」の項によると、ヒト属による単発的な火の使用の開始は、170万年から20万年前までの範囲で説が唱えられており、日常的に広範囲にわたって使われるようになった事の証拠が、約12万5千年前の遺跡から見つかっているとしている)。
その頃の火はたき火で、そのもとは落雷、火山の噴火などによる山火事の火で、それを消さないように薪(まき)に移して、かがり火として伝えたもので、火の信仰はどこの民族にもある。
たき火をすると、必ず燠(おき)ができ、これから消炭(けしずみ)ができる。炭の利用は消炭から始まったものと思われるが、消炭はその頃の人々の生活燃料で、極めて重要な生きるための生活基礎資材のひとつであった。火を使ったそもそもの始めは、人間が野獣との争いに生き延びる手段であったが、同時に生活燃料にもなったのであろう。
◆鉄器とともに本格的 “炭やき” 誕生
このような過程で、人間は炭を使い出したので、炭が世界いたるところ、人間の住むところに見いだされるのは当たり前のことといえよう。人間が “炭” をつくり出したのは銅器時代、特に鉄器時代からである。鉄をつくるには大量の炭を必要とし、とても消炭では間に合わなかったからだ。
こうして炭は世界いたるところでつくり出されたが、始めのやき方は地面に穴を掘り、火をたき、木材をつみ重ね、土をかけて蒸しやきにする『伏焼(ふせやき)法』で、この伏焼法は炭やきの最も始めの方法だが、今だに世界各地で行われている。だが、樹木、土地の状況により、これにもいろいろの方法、変化がある(拙著『炭』丸の内出版・1976参照)。(webmaster注:同書は絶版となり、1998年に創森社より新訂増補版が出版された)
伏せ焼きではよい炭ができない。また、木材の損失も大きいので、効率的な炭やき法、炭がまによる方法が開発された。炭窯は伏せ焼きと違い土質、環境、森林の状況などにより変化するので、ところにより、国により、民族によりいろいろのタイプがある。炭がまによる民族の文化史も考えられる(前記参照)。ここでは日本の炭・炭やきについて述べる。
2. 日本の炭やき
はじめに日本の炭やきの歴史の概要を述べる。炭のそもそもの始めは、前記の通り、人間が火を使い出した氷河期以前にさかのぼるが、古代遺跡から発掘され、年代の確定した木炭は、日本ではおよそ1万年前である(この例は、前記・筆者の著書に数例示してあるが、古代遺跡の炭で筆者が分析した例は日本林学会誌60. 2. 1978に報告している)。これは現代の木炭にくらべ、揮発分が多い。有史時代になり発掘された炭では、太安万侶の墓から発掘されたものも、同様に揮発分が多い(『太安万侶の墓』橿原考古学研究所編、1981)。
このことは木炭も自然に風化されて分子構造が変化することを証明している。土地の境界に炭を埋めることがあるが、炭は消滅しないが、その分子構造は次第に変化する。これも自然の摂理である。この分子構造の変化から年代が推定できる筈で、今は炭素の同位元素C14から年代を推定しているが、別の方法もあると考えられる。
◆白炭技術の渡来と伝播
さて、古代の炭やきは伏せ焼きに出発し、鉄器時代になり技術は進歩し、炭がまが開発された。このことは日本も同様で、日本に製鉄技術が移転された地方、出雲地方には古い炭がま遺跡がある(拙著『触媒製炭』林野共済会刊、1959)。
だが、炭がま技術による炭が一般に使われるようになったのは大和時代(7世紀)以降で大陸から仏教が渡来した頃、大陸文明も渡来したが、そのひとつに炭がま技術があった。
その頃の炭は白炭技術で、これは弘法大師が伝えたとの伝説がある。弘法大師が、洛陽(現在の西安)で、仏教修行していた。その頃の西安付近は白炭の産地で、白炭技術は当時の最新技術、ハイテク技術であったので、当然、弘法大師はこの技術を伝承したであろうし、当時、炭やき技術を伝承した一群の渡来人の炭やき技術は、白炭技術であったことも間違いない。
なぜ中国で白炭技術が発達したか。拙考では、中国は冬期・寒さがきびしく、また、防衛などのために家屋は窓が少ない。こんな家屋で炭を使うとすれば燃焼速度が遅く、火もちの長い白炭がよい。なぜなら白炭は一酸化炭素の発生が少なく、窓の少ない中国の家屋にはぴったりの燃料だからである。
日本でも文化の早く開けた地域、山陰、京阪地域、高知県東部、和歌山県などは、今でも白炭地域である。中国では西安など黄河・揚子江地域は白炭地域だが、福建山地、広東、広西、雲南、海南島、台湾、東北省など、おそく開けた地域はことごとく黒炭地域で、日本でも岩手、福島、北海道、熊本、鹿児島など、文化のおそく開けた地域は黒炭地域である。
現在、白炭をやいているところは中国、朝鮮、日本の中国文明地域だけである。(webmaster注:1990年当時)
白炭技術から黒炭技術が開発されたのは、鎌倉幕府が開かれた以後で、鎌倉時代、庶民生活が向上し、木炭の使用も一般市民レベルにまで普及するに至った。
◆黒炭技術はマスプロ製炭法
平安時代は白炭時代で、炭は宮中、貴族、特権階級の燃料だったが、鎌倉時代になり、それが庶民レベルまでに広がった。また、当時、戦乱により多量の需要が起こり、それを満たすため、炭の大増産が計画された。
製鉄には白炭のようにすぐれた炭質の木炭は必要としない。そこでマスプロの製炭法、黒炭製炭法が各地で開発された。近年、各地で遺跡発掘や古文書の研究が行われ、その成果が発表されているが、その中に木炭に関する記事もある。それらを通覧すると、この経過が分かる。鎌倉幕府には七座の制度があり、そのひとつに炭座があった。材木座は地名として現在も鎌倉に残っている。
黒炭技術が白炭窯から発達したことは間違いない。現在、大阪府北方、能生、妙見一帯で生産されている池田炭は、白炭がま型式を残す『池田がま』でやいているが、これが最もその典型的やき方で、白炭から黒炭に移転した例を示している。この黒炭技術を発達させたのが茶道で、吃茶は栄西禅師に始まるが、栄西禅師(1141─1215)は鎌倉仏教.禅宗の祖である。吃茶は茶道に発展する。茶道は当時の武将のたしなみのひとつで、足利義政は大名茶の宗匠でもあった。これが村田珠光(1427─1502)により侘茶となり、庶民の茶となったのが紹鷗、利休(16世紀)のころで、特に利休の功が大きい。当時、茶道のエネルギーは木炭で、茶道の発達とともに炭をやく技術は大進歩した。とくに利休は炭に注文が多く、利休身辺の側近者一番は炭番頭であったという。今年(webmaster注:1990年)は利休の400年記念の出版物が多数計画されているが、筆者も毎日グラフは利休特集号に「利休と池田炭」について執筆している。
さて、中国の白炭技術から黒炭技術が開発され、これをほぼ完成したのが利休で、さらにその使い方、技術改良を行ったのは茶道の宗匠達であった。茶道では炭手前として一連の作法があるが、この炭の扱い方は科学的に考えても合理的で、単なる作法ではない。
徳川幕府時代になると炭は庶民に広く使われ、庶民生活の必要物資となり、それ以降、第二次大戦後しばらくの間まで、国民に広く使用されてきた。炭、炭やき、炭火に関する詩歌は数多い(拙著『炭』参照)。現代家庭エネルギーは電気、石油、ガスなどにかわったが、まだ炭火を愛好する人も多く、特に調理には炭は不可欠の燃料で、それらについては後記する。
日本特用林産振興会情報誌『特産情報』(農村文化社 1990.2 p71-p73)より転載
(webmaster注:生産量等は著者の執筆時点での数値)
炭、炭やき産業(総論2)
炭やきの会 岸本定吉
3. 市場の木炭
炭は世界的商品で、世界どこにでも見られるが、現在、日本の市場に流通している木炭には三系統の木炭がある。
そのひとつは山でやく木炭で、従来通りの伝統技術で山の樹木をやいた木炭である。その2は町でやく木炭で、木材加工工場の廃材を対規模の炭化炉でやいた木炭。その3は輸入炭で、海外でやいた木炭である。
◆山でやく炭
この炭は、長い伝統と炭やきさんのカンとコツでやきあげた木炭で、一般に品質がよく、やき方により、白炭と黒炭とがある。
(1)白炭
白炭は炭化の終わりに炭窯の中に空気を吹き込み(自然通風により窯の中の木ガスと炭材の樹皮を燃焼させて、窯の中を1000度Cくらいに加熱する)、真赤になった木炭を一本一本かま口から引きずり出して消す。
この消し方も水をかけて消すのではなく、消粉(けしこ)と称する灰と土をミックスした、湿り気のある土灰で消す。
灰が表面につき、白っぽくなるので白炭の名が生まれたが、白炭とは日本だけの名前で、世界では通用しない。ホワイトチャーコールといっても、外人には通用しないが、白炭はすこぶる特徴のある木炭である。炭質が一定し、硬質で、灰が触媒となり燃えやすい。
白炭技術は中国文明圏だけの木炭だと前記したが、世界で白炭をやいているのは東アジア、それも中国古代文明の開花した地域だけである。
この白炭は、高温で均一に炭化しているため燃料以外に工業用にも、特殊需要がある。
(2)黒炭
黒炭は炭化が終わると密閉して消火する。炭化温度は400~700度Cで、一般に白炭にくらべて炭化温度が低く、均一に炭化していない。
人間に比すると、白炭は大人だが黒炭は未成年者で、それだけに火がつきやすく、カッカッともえる性質がある。
世界の炭はことごとく黒炭である。だが日本の黒炭は生木を炭材として、独特の日本炭窯を使いゆっくり炭化するので、しまったよい炭がやける。その代表は茶道用木炭で、池田炭、佐倉炭(ともにクヌギ黒炭)のようなよい炭は世界中どこにもない。
日本からこんなよい炭をやく技術が消失すると、茶道などでは困ることになる。輸入炭にはこんな優れた炭はない。炭やきなんか、土や石ころでつくった窯でやく、原始的で、学術の対象にはならないもの、という先生方が多いが、とんだ間違いで、炭やき技術には長い伝統とカンとコツによる素晴らしい技術が温存されている。これを解明するのが研究者で、ここから創造的技術が生まれる。
後に述べる町でやく炭やき技術は、近代工業技術だが、とてもこれでは備長炭(ウバメガシ白炭)、茶道用木炭はやけない。
山でやく木炭は、現在、年産約38,000トンで、主に、バーベキュー、茶道用、高級やきもの料理用に使われている。その他、花火、研磨炭、金属精錬用など特殊用途があるが、このごろは土壌改良材などの農業への利用も多くなった。
◆町でやく炭
これは前記の通り町の木材加工の各種廃材(オガ屑、樹皮屑、製材屑、合板屑やダスト、チップ屑など)を炭化した炭で、その炭化炉は大規模で、オートメーション化した大工場(日産15キロ入り約500俵)もある。
炭化炉は平炉、ロータリーキルン、ヘレショフ炉、流動炉など数多いが、一般に廃材をさらに粉砕して木粉とした原料を使用するものが多い。したがって生産された炭は粉炭であるが、農業用土壌改良材などには粉炭でよく、このシステムによると一般にコストが安く生産できるので、この種の利用には最適な木炭になる。
このごろ都市ゴミの中に住宅解体材、多種家具、器具材などの木質系ごみが多くなった。これらの処置に困っている自治体も多い。そこでこの種のゴミの炭化が重要になり、現在、流動炭化炉により良質の木炭粉を生産する工場も出現した。この種の炭化工場の中、オガライト(オガ屑を圧縮成形した棒状燃料)を炭化したオガ炭を製造している工場が約10工場あり、年間13,000トンのオガ炭を製炭している。
オガ炭は木炭、特に白炭に類似しているので、備長炭の代わりに高級料理店に使われ、好評である。火力はとても備長炭にはかなわないが(備長炭はうちわであおぐと1000度Cくらいになるが、オガ炭は700度Cくらいにしか昇らない)、爆跳はなく、使いやすいので、使用量が増えている。この業界は純然たる工業で、林業の枠からはみ出ているが、木材産業にとっては重要な産業で、この工場がなくなると木材工場はその廃材処理に行き詰まる恐れがある。
現在、この町でやく炭は、山でやく炭よりも多く、年産47,000トン位と推定されている。また、工場従業員は約300~400人で、山でやく炭やきさん6,500人に比し、その20分の1以下である。
◆輸入木炭
輸入炭の多くはヤシガラ炭で、活性炭用に使われる。その量は年間75,000トンに達するが、この中にはマングローブ炭、ゴムの木炭などがある。後者の木炭は工業用のほかにバーベキューなどに使用され、このごろバーベキューなどでこの種の木炭が「南洋びんちょう」などの名で売り出されているが、とんでもない「備長炭」である。
この炭は一般にやきが足りない。煙を出すもの、臭いを出すものなどがある。特に困るのはマングローブ炭で、この炭は海水中の塩分を含むので、燃焼時、灰が塩化物となり、昇華して食料につく、こんな炭でバーベキューをやると、自然に焼肉がしょっぱくなる。
無害な木炭ならよいが、海水中には何が含まれているか分からない。有害成分があるかも分からない。こんな炭は使わないことである。
4. おわりに
以上、三種の炭を合計すると、16万トン位になり、その市場価値は、160億円を下らない。森林統計をみると、木炭の生産量は38,000トン/年、生産額40億円とされているが、これは山でやく木炭だけの統計で、その他に前記の通り多量の木炭が流通している。林業技術協会編の林業手帳には特用林産の中に木炭の記事がない。恐らく火鉢の炭しか御存知ない方が編集しているためと思うが、木炭の市場性、炭素材料としての多様なはたらき、またその大きな付加価値について見直して欲しい。
炭やきは山村の数少ない貴重な産業であるし、町でやく炭やき産業は木材加工工場を下から支える廃棄物処理産業でもある。こんな重要な産業を見落としてもらっては困るのである。
日本特用林産振興会情報誌『特産情報』(農村文化社 1990.3 p71-p73)より転載。
(webmaster注:生産量等は著者の執筆時点での数値。文中の特定の企業名は割愛しました)
Utilization of CHARCOAL
Once a Main Energy in the Household
About 67% of Japanese land is covered by forest.
Until only six decades ago, energy for household, such as heating and cooking has been supplied mainly by charcoal obtained from rich Japanese forest.
Sustainable Utilization of Forest
In 1940, as much as 2.7 million tons of charcoal was consumed. However, Japanese forest was not damaged at all. This was brought by excellent and yet, traditional way of forest management in the conducive Japanese climate, in which utilization and growing are perfectly balanced.
Renewable Biomass Energy
From around 1955, energy for household has been changed from charcoal to fossil fuel such as petroleum and gas. But, recently instead of using such limited resources, much attention has been paid for the actual utilization of renewable biomass energy such as charcoal. The main component of charcoal is carbon which comprises 70% of its composition. In other words, carbon in abundant in wood charcoal, thus capable of contributing in the reduction of carbon dioxide emission.
The New Utilization of Charcoal
The Characteristics of Charcoal
Charcoal has been used as a fuel for a long time since ancient times, and is now being used with multiple purposes based on its characteristics as follows: porous, adsorptive, alkaline (carbonized with high temperature) and it contains minerals. These characteristics vary according to wood species, carbonization method and temperature.
Soil Conditioning
It assists in keeping the moisture and permeability of soil and promotes the growth of plants. This is possible by mixing enough charcoal and soil before use.
Water Purification
Charcoal is capable to adsorb impurities in water. The membrane of microorganism fixed on charcoal is efficient to disintegrate organic matter in water, thus contributing in purifying river and lake water.
Covering Electromagnetic Wave
Charcoal carbonized at high temperature (higher than 1000℃) has high conductivity and is capable to cover electromagnetic wave.
This is a lot of charcoal utilization in addition to the above highlighted examples, like humidity control, keeping freshness, snow melting, deodorization, etc.
International Cooperation of Japan through the Utilization of Charcoal
Through the utilization of charcoal and wood vinegar (obtained by cooling of smoke in carbonization process) in agriculture, international cooperation has been done in many countries in Asia, Africa and South America. In areas, where wood resources are scarce, unutilized natural resources such as fast-growing bamboo or rice husk were used as raw materials for carbonization. These carbonized biomass was useful in agriculture, and method of utilization was disseminated.
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