魔法使いファウストが居を構えるエルマの森は、今日も暗闇であった。
リゼアスタは指先に小さな炎を灯して、微かに整えられた道を行く。
獣道となんら変わらないそれは、しかしあの十五代目の丁寧な仕事を感じた。
客をもてなしながら、それ以外は断固拒否する意思が見える。
「ちゃお、リーゼ」
頭上から聞きなれた声が降ってきた。
だが、リゼアスタは「ああ」と答えたきり、立ち止まることもしない。
彼女がついてくることが分かっているからだ。
そして彼女もまた、それについて文句を言ったりしない。
「随分遅かったじゃない。二日遅れよ」
「聖下の就任五百年のお祝いの打ち合わせがな」
「ああ……そういえば、もう直ぐなのよね」
「しばらく『帝都』には聖印持ちがひっきりなしに出入りする。あまり近づくなよ」
「あら、心配してくれてるの?」
「まあな」
姿無き相手がどのような表情をしているかは図りかねた。
ただ、くすくすと嬉しそうな笑い声が暗い森に華やかに咲く。
奇妙な同伴が続き、やがて魔法使いの家が見えてきた。
ふわり、小さく風を纏って、賞金稼ぎの姿のフロネが隣に降り立つ。
リゼアスタは蔦の這う扉を三回叩いた。
「ドナタでございましょうか」
と、十五代目の声がした。
もう馴染みの声だ。
「『炎の』リゼアスタが来た」と答えれば、「入ってこい」と、間髪入れずに高い男の声がする。
中に入ると、十五代目が「いらっしゃいマせ」と出迎えた。
「十四代目は?」
「コチラに」
「うん」
指し示された部屋は地下であった。
「私はここで待ってるわ。あの部屋狭いもの」
「ハイ。お茶でもお出ししましょうか?」
「そうね、お願いしようかな」
手を振るフロネに、リゼアスタも手を上げて応えた。
狭い階段を、十五代目から受け取った蝋燭を頼りに降りていく。
「どうぞ」
暗い突き当りには、まるで闇に浮かぶように扉が佇んでいる。
リゼアスタは無言のままにそれを押し開けた。
「やあ、リゼアスタちゃん」
十四代目ファウストが薄明かりの中、ひらひらと手を振る。
しかしこちらを見ているわけではなく、『彼』の視線は部屋の真ん中から離れない。
その視線の先、寝台にはシューウィが寝かされていた。
「あ、心配しなくていいよ」
リゼアスタの気配から何を読み取ったのか、魔法使いは笑みを滲ませている。
「新しい実験の途中なんだ。危なくはない。深く深く、眠ってもらってるけどね」
「……シューウィ」
『主人』であるリゼアスタが呼びかけても反応を見せないところを見るに、かなり深く眠っているようだ。
「上手くいってるな」
「何をしているんだ?」
「地図を作っている」
「地図――?」
「そうさ。心の地図、なんていうとかっこよすぎかな」
ファウストはシューウィの頭を細い指で指し示す。
「祝福が心の何処にかかっているかを、シューウィちゃんを使って調べてる。起きてると分かりにくいから、眠ってもらって」
「そんなことが分かるのか?」
「そりゃあ、理解してないと他人(ひと)に魔法なんてかけられないよ。ただ、まあ、祝福っていうのは魔法と違うから――」
そこで珍しく、ファウストの眉間に深いしわが出来た。
「時間も負担もかかる。シューウィちゃんがオーケーを出してくれたからやれてるようなもんさ」
「そうか……」
「地図が出来たからって祝福を解けるわけじゃないし、ね」
ファウストは楽観視はしない。
『神』が仕掛けた呪いの根は深いのだ。
「ところで」
シューウィから目を離さず、彼は問う。
「クララちゃん、元気かい? シューウィちゃんが心配してたよ」
「……何処まで聞いた?」
「半月前のことなら大体知ってるはずだけど」
「……」
リゼアスタが言いよどんだのは、どう説明したらいいか分からなかったからだった。
彼女に降りかかった『不幸』は分かる。
同じ聖印持ちである以上、『あのカヌレの作り手』をどう思ったかも何となく理解している。
しかし、彼女の繊細な感情を説明する言葉をリゼアスタは持っていなかった。
唯一つ、言えるとすれば。
「部屋から出てこないようだ。いや、出てこれない、かな」
「ふむ」
「どうもベルも中に入れてないらしい。部屋の前でおろおろしてたよ」
「心配だね」
「ああ」
「お主がクララを心配するとは、少々意外だったのう」
はっと振り向くと、扉を開けているのはフェインであった。
「フェイン」
「お前が来たと聞いてな。どうだ、祝いの準備は順調か」
「ああ」
「楽しみだのう。皆で盛大に祝うとしようか」
彼はくすくすと笑う。
「このじいさん、今はここに居候中なのさ」
「は? どうして」
「魔法の研究さ」
上で話そうと誘われ、リゼアスタはもと来た階段を上がる。
食卓ではフロネが十五代目にお茶を出してもらっていた。
「お二人も何か召し上がりマスカ?」
「なら、俺とフェインにもお茶を」
「ハイ」
フロネが不思議そうにフェインを見た。
「あんたとも何か約束してたっけ?」
「いいや。わしはここの居候じゃ」
「家族、心配するでしょう? 人間なんだから」
「そこはほれ、ここの魔法使いの力を借りたのよ」
フロネとリゼアスタは顔を見合わせる。
つまり、家族に何かしらの魔法をかけたということになるのではないか、と。
「何、留守にしていても違和感を感じにくいようにしてもらったまで」
「いいのか?」
「ああ。妹に専念してもらえれば幸せなことじゃ。わしにとっても、家族にとっても」
何度も人生を巡っている者の重い言葉であった。
「魔法がな、必要なんじゃよ。ファウストの一族が研究していたような、でかいやつが」
「戦うために、か?」
「そうとも」
フェインはにやりとする。
「話したことがあったかな? 神が人間に許した魔法とは、万能なものだがやはり争いの道具よ。しかも、適度に殺し、適度に守るようなものが許される」
「ふむ」
「今のファウストが特殊なだけで、今までのファウストもそういう争いのための魔法を研究しておった。それを紐解いて物にしたいと思ってな」
「……待て、フェイン。魔法とは許されるもの、なのか?」
リゼアスタが口を挟むと、少年はさも当然といった様子で頷いた。
「じゃあ、使徒を人間に戻すなんてこと、『あいつ』が許すはずないじゃないか」
「そこはそれ、今のファウストが上手くやるように応援せい」
「無茶苦茶言うな……」
出されたお茶を煽る。
「シューウィが協力しておるんだ、何かはできるじゃろうて」
「そうだろうか」
「ああ。『奴』の思惑から外れた人間同士が手を取っておるんじゃ。不変で終わるわけ無かろう」
「うーん」
表情を微かに暗くするリゼアスタに、フロネは笑いかけた。
「まあまあ。おじいちゃんを信じてあげてもいいでしょ」
「……」
渋々頷く。
「信じるのは構わないけどね」
階段を上がってきたファウストが、リゼアスタに抱きついた。
彼が座る椅子の、そのまた後ろから。
彼――今は彼女なのかもしれない――は時にこうすることがある。特に、精神的に参っている時に。
「居候なんだから、己の食い扶持くらいは何とかして欲しいもんだ」
「やや、それは失敬」
「だからさ、これ」
『彼』はフェインの小さな手には余る大きな袋を投げ渡した。
「何じゃこれは」
「薬草から作った飲み薬。効能は消化促進、食欲増進、肩こりなんかの緩和」
「このじじいにぴったりの薬だな」
「よく言う」
ファウストは「そいつを売ってきてくれ」と力なく告げる。
「元天使に頼むとは」
「今は人間だろう? 働け働け。私はシューウィちゃんについてて動けないし、十五代目も忙しい。なあに、子供の姿なら同情も得やすいだろ?」
「強かじゃなあ」
しかしフェインはそれを断ったりしない。
返事もそこそこに準備をし始めた彼を見て、フロネが「あー」と間延びした声を上げた。
「街まで行くなら、私も行こうかな」
「何か用事でも?」
「ええ。クララに何か、って」
「……ああ」
フロネにはクララのことを伝えていた。
あの小さな聖印を心配しているのだ。
彼女は身内に優しい。
「なら、俺も行く」
「へー? リーゼもクララに優しいんだ」
「そういうつもりは、ない。でも、あのままではあいつが辛すぎる」
「経験あるのかい、リゼアスタちゃんにも」
「いや」
それははっきりと否定する。
初めから、彼は使徒に否定的だったので。
「まあ、一人送るのも三人送るのも、一度ならそんなに手間もかからない。行くなら準備してくれ」
その魔法使いの顔は、やはり疲れていた。
ファウストが送ってくれたのは、シュグリナというそこそこ大きな街だった。
馬車が通る大通りの端に、大小様々の露店が出ている。
果物、穀物を並べる物が多く、食器や雑貨の店も見られた。
「置いていくぞ」
色々な物に目移りしているフロネに声をかける。
「も、もうちょっと!」
「……」
仕方なく、待つ。
彼女は数分間唸りながら、「やっぱりいいや……」としょんぼりと目を伏せた。
「どうした。欲しいものでもあるのか?」
「違うの」
彼女がチラリと横目で確認したのは、小さな黒猫の置物だった。
「クララにか」
「どうかなって思ったけど、やめとく」
「それがいい」
ベルが今部屋には入れない以上、猫に思うところが出来た可能性がある。
「急ぐ必要もないだろう、ゆっくり探せばいい」
「そう……そうね」
「さしあたって、ファウストのお使いを済ませないとな」
フロネは首をかしげる。
「私達は頼まれてないじゃない」
「……お前、結構ひどいな」
「リーゼがお人好しなだけでしょう?」
その本人と言えば、薬草を売っている屋台に交渉しているところだった。
「ああー、見たことある形だと思ったら。ぼく、あの魔法使いさんのお弟子さんかい?」
「うん。新しく入ったの」
こうして聞いていると、フェインは実に演技派である。
「売ってくるようにって言われたんだけど、買ってくれない?」
「ぼくのお師匠さんの薬はな、手売りしても高く売れるんだぞ。俺が売っちまってもいいのかい?」
「え? そうなの……。うーん、でも、おじさんが教えてくれなかったらわからないことだったし、いいよ! おじさん、買ってくれる?」
「おうおう分かった。次からは銀貨二枚で売りな」
「ありがとうおじさん!」
ということで、彼の手に握られていた薬は、わずか一回の交渉で全て売れてしまったのであった。
「上手いなあ」
リゼアスタが素直に賞賛の声をかけると、少年は「照れるのう」とにやりとする。
「わしも歳じゃ。あまり労力はかけたくないんでな」
「歳って、今は何年生きてるのよ」
「十四年」
「もうちょっと若くいてよ……」
それが難しいことはフロネにも分からないはずはないのだが、言いたくなる気持ちはよく分かった。
「しかし良い街じゃ。良い活気、良い品、良い人間。全ての要素が上向きでな」
「……そうか?」
リゼアスタが首をかしげると「もう少し市井を見ることじゃな」とフェインは苦笑する。
「人間の営みは上向きでなくてはな。笑って、喋って、食べて飲んで、……そういうのをなるべく長く続けたいもんじゃ」
「おじいちゃんねぇ」
「ふん、フロネに言われたくは無い。お主ももう少しリゼアスタ以外に興味を持ってみればよいものを」
「え? 持ってるつもりだけどなあ。私だって好きで戦ってるんだし?」
「お主もリゼアスタも、興味があるのは人間という種だろうが。もう少し個を見ろ、個を」
「……」
二人は顔を見合わせる。
どうやらフェインと二人の間には守るべき人間の認識が違うらしい。
些細な違いだと思っていたが、もしかしたら随分と質の違うものかも知れないと、リゼアスタは漠然と考えた。
どちらも間違いでは無い。それだけははっきり言えるのだが。
「……まあ。それはそれとして」
「おう、いっちょ前にごまかしおって」
「飯でも食べていくか?」
「おう! だが、わしに金はないぞ! 貯めていたお小遣いは全部家に置いてきてしまったからな!」
「威張るな。いいよ、たまには俺が」
出す、と言いかけたところで「待って!」と後ろから声をかけられた。
「ほ?」
三人が振り返ると、そこには老婆が青ざめた表情で立っていた。
リゼアスタはやや身構える。
――まさか祝福してくれなどとは言わないだろうな?
「リーゼ、顔」
フロネに囁かれ、意識的に表情を和らげる。
「何か?」
「い、いえ、その――」
老婆は震えて、目線をそらした。
まるで穢れた魔物に出会ったかのようだ。
彼女は絞り出すように、か細く続ける。
「……その、ぼく?」
「へ?」
老婆が話しかけたのは意外にもフェインであった。
「クーアって人、知ってる?」
「……ううん、知らない」
答えるまで少々の間があったことにリゼアスタは気がついた。
「そう。ごめんなさいね」
老婆はリゼアスタとフロネに向き合い、「お父様とお母様、失礼をいたしました」と丁寧に頭を下げる。
「いや、俺達は――」
「いえいえ、お構いなく!」
フロネは上機嫌で老婆に手を振った。
大方、夫婦に見られたことが嬉しかったのだろう。
老婆は何度も礼をし、人混みの中に紛れてあっという間に見えなくなった。
「知り合いか?」
「あー……」
フェインは言いにくそうに、頬を掻いた。
照れのような、困惑のような、そんな言葉にしにくい感情で。
「クーアは、わしの二回前の名前じゃ」
「えぇ!?」
「これ、大声を出すでない」
「だ、だってえ、そんなの分かるもんなの……?」
「勘のいい人間なら。しかし、わしもあそこまではっきり言われたのは初めてじゃ」
フェインは老婆が消えた方向を見る。
「あれは、エルフィだったのか。ずいぶん、久しぶりじゃ」
「二回前ってことは、もう五十年近く、会ってないんだろう」
「二度と会うものかと思っておったよ」
「いい人だった?」
フロネの質問は、意地悪な響きをはらんでいた。
フェインはそれに気づいていて、「ああ、恋仲と言っても差し支えない」とあっさりと言い放った。
「わしはほとんど寝床から動けなかったから、お主たちにも会えなかった時期じゃな」
「そんなことが?」
「ままあることじゃよ。知らんかったか」
フェインはあまりその時の生について語らない。
いつも『神』と世界についてばかり話しているような気さえする。
「エルフィはよく世話をしてくれた。死に目にも立ち会ってくれたよ」
だが、とフェインは眉根を寄せた。
「ここはミストランと近かったかな……」
「……」
人々はあまり住居を移動しない。
生まれた街、村で一生を終えるのだ。
そこが汚れた魔物の住処だったとしても、滅多なことでは離れない。
移動した先が安全だとは限らない。そもそも移動中が一番危ないのだ。
ならば自衛しながら賞金稼ぎを雇ったり、修祓者を待った方が良い。
だからこそ、リゼアスタはこの出会いに違和感を感じた。
「フェイン。俺は一度『帝都』に戻る。予感がする」
「予感?」
「何か起きている気がするんだ」
「珍しいわね、リーゼがそんな曖昧なこと言うなんて」
フロネは腕をリゼアスタの肩に回した。
「私も行こうかな」
「俺は聖下に会うつもりなんだぞ」
「いつか対峙する存在なんだから、怖がってちゃ駄目。そうでしょう?」
「……」
リゼアスタは瞳を微かに白くする。
「今の俺では絶対に敵わない相手だ。何かあっても守ってやれない」
「それでも」
彼女は笑う。
「皆それぞれ頑張ってるのに、私が逃げちゃ格好つかない」
「……分かった。行こう」
フェインは二人のやり取りを見て、大きくため息をつく。
「お前達は見ていてはらはらするよ。いつか、何でもないところで斃されるんじゃないかと、わしは――」
「その時は、その時だ」
リゼアスタは、少しも表情を変えず、言う。
「二人で死ぬよ」
ファウストに無理を言い――代わりに魔法の媒体になるとかで、高価な宝石を要求された――二人は帝都のリゼアスタの部屋まで送って貰った。
「へー」
フロネがここに来たのは数えるほどしかない。
やたらと物の多い部屋だ。
乱雑に重ねられた木箱の中には、貴金属や宝石類、硝子で出来た小物、丁寧な仕事の布等が見え隠れしていた。
かと思えば、明らかにただの綺麗なだけの石やお菓子、人形やぬいぐるみが並べられたりもしている。
「……これなあに?」
「貰った」
「ははあ」
フロネは兎を模したらしいぬいぐるみを抱き上げる。
「有名人はつらいわねぇ」
「捨てられないから溜まる一方だ」
「つまり」
ぐるりと見回す。
どこも木箱だらけだ。
「二百年分か」
「そういうことだ」
リゼアスタは手近な箱を引き寄せて、中を検分する。
「ファウストの頼みの分はこれで……」
いくつかの宝石をコートの内ポケットに入れて、しかし自信なさげに首をかしげた。
「良いと、いいな」
「そうねー」
二人は建物の外に出る。
やや太陽が傾き、透明な光は少しずつ赤く色づきつつあった。
「……向こうね」
フロネが寒そうに自分の身をかき抱いている。
ここでは『法王』の力が強すぎるのだ。
「さっさと済ませよう。フロネ、無理はするなよ」
「分かってる」
――大聖堂に入るなり、フロネはリゼアスタの背中に隠れた。
件の聖印の長は、まだ影すら見えていないというのに。
「あっち……」
彼女は震える指で道を指し示す。
「は?」
その方向には馴染みがなかった。
不審に思いながら、フロネの導きに従って歩く。
「ここ、なのか?」
扉には『衣装室』とプレートがかかっている。
この部屋には聖職者達の儀式、祭事等に使う特別な服が保管されているだけの部屋だ。
仮にも『教会』の長たる聖下が来るような場所ではない。
でも確かに、フロネは恐怖に震えている。
「……」
扉を強く三回叩く。
「入っておいでー」
間延びした声は、確かに法王の物であった。
「入るぞ?」
小声でフロネに告げ、扉を開ける。
「失礼しま――」
思わず言葉を失った。
法王は五人の介添人を従えて、厚手で豪奢な金色のローブを身に合わせていた。
見ただけで恐ろしい価値を持つ物だと、はっきり分かる。
「ああ、リゼアスタ。ごめんね、今はちょっと手が離せなくて」
「い、いえ。いいんですが――それは?」
「ふふふ……いいだろう」
法王は自慢げにそのローブを広げて見せた。
「お祝いの席だからね。帝都の仕立屋が作ってくれたんだ」
「ま、祭りのために?」
「そうだよ。ほら見てこごらん、金糸が美しいだろう? 紋様一つ一つに職人の熟練した技が」
「聖下」
リゼアスタがそれを遮ると、「ちぇー、分かってるよ」と法王は子供っぽく拗ねた。
「君達、少し外してくれ。残りの採寸も後だ」
「畏まりました」
介添え達はまるで波のようにあっさりと退き、お世辞にも広いと言えない衣装室には三人が残った。
法王は「おや?」と表情を変えて――気づいていなかったはずはないのだが――リゼアスタの後ろを覗き込もうとする。
「ひえっ」
リゼアスタにくっつきながら、フロネはぐるりと彼の正面に回る。
「んー?」
「ひゃっ」
法王が追いかけると、フロネは背中に戻ってくる。
それを何度か繰り返した。
「聖下、やめてください。話が出来ません」
「えっ、だって」
「こいつは、その。分かるでしょう?」
「うん。恥ずかしがり屋さんなんだなあ」
「違う」
ぴしゃりと否定すると、法王は「えー」とあからさまに不機嫌になった。
「大丈夫だよ。私はフォルカ、君よりも年下だよ。大丈夫大丈夫」
「ぴぇえええっ」
とうとう子供のように泣き出したフロネを、法王は困ったように見つめた。
「リゼアスタの彼女に手なんて出さないよ」
「びえぇええー」
「えー、リゼアスタ、この子と仲良くしてる? 泣いてるのリゼアスタのせいじゃない?」
「聖下の力が怖いんですって」
リゼアスタが彼女の肩を叩いて慰め、部屋の隅の木箱に座らせることでようやく話をすることが出来た。
「まさか二人で私の前祝いをしに来てくれたわけじゃないよね」
「ええ」
「ということは、噂を聞きつけたのかな」
「というと?」
「鬼が出た」
剣を求めて自分の指が動く。そんな必要も無いのに。
「吸血鬼が?」
「自らはあくまでも鬼を名乗っている」
「名乗っている? まさか、会話を?」
「ああ」
法王は自分の顎をさすった。
「街一つを占拠して、『教会』に宣戦布告してきているんだ。聖職者の生贄を求めている」
「そんな、馬鹿な」
「自分の力に自信があるんだろうねえ。事実、その街の騎士団とは連絡がつかない。穢れたのを見た、という情報さえある」
「……」
リゼアスタがフロネを見ると、彼女は震えながらも厳しい瞳でこちらを見ていた。
「『神』から直接力を貰っていれば、短期間だろうが恐ろしい力を持つわ」
「ふむ」
「それなんだけどさ。私も向かわせる者を選んでいたんだけど、何せ強そうでしょ。君達、行ける?」
「俺は、聖下の命であれば行かざるを得ません」
「断ってくれてもいいのに」
君は? とフロネが問われると、彼女は「……リーゼが行くなら」と声を絞り出した。
「ならお願いしようかな。このままじゃ教会の信用丸つぶれだし。これが人々の噂に流れたら大惨事だよ」
法王は「君達二人ならどうとでもなるでしょう。ただの勘だけど」と笑う。
「場所は?」
またファウストに無理を頼むことになりそうだと思いながら訪ねる。
「ミストランっていうところだよ。ちょっと前に大きな教会を建てたんだよ、よく覚えてる」
「……」
リゼアスタとフロネは顔を見合わせた。
その地名、どこかで聞かなかっただろうか?
その老婆は、当てもなく街を彷徨っているように見えた。
シュグリナは小さくない街だ。そこのいくつもの通りをうろうろ、きょろきょろと長い間歩いている。
それを付かず離れず、フェインはそれを後ろから見ていた。
――気になっていたのだ。
二回前の生を緩慢に生きた中、ずっと側で看病してくれた、その女性を。
何か切羽詰まったような、そんな顔の女性を。
「……ふむ」
フェインは一人、表情を険しくした。
――老婆は誰かを探している。
彼女はあからさまに堅気ではない人物に声をかけていた。
傭兵、賞金稼ぎ、そういう金さえ与えれば危険なことをする輩に。
しかし、目的がつかめない。
そもそもどうして、フェインをクーアと『呼べた』のか。
『神』が明言していない生まれ変わりを、一般人であるエルフィが信じているわけも無い。
もし、フェインにその面影を――その力の鱗片を感じ取ったにせよ、声をかけるまでに至らないはずなのだ。
『そんなことがあるはずない』、と。
だというのに、彼女はフェインに声をかけた。
あの雑踏の中、信じられないという顔で、しかし確かに。
――そんな曖昧なものに縋った理由は何だ?
そんな奇跡のような偶然があるかもしれないと思ってしまった理由があるはずなのだ。
彼女はそういう意味で、『正気では無い』。
「……よし」
意を決して、フェインは老婆に近寄る。
「おばあちゃん」
老婆ははっとこちらを向いた。
「ぼ、ぼく、さっきの――」
「フェインだよ」
正しい名前を告げる。
「ねえ、何してるの?」
「な、何って」
老婆の慌てぶりは、いっそ清々しかった。
「ひ、人を探してるのよ」
「僕も手伝ってあげるよ! お手伝い終わったから」
「い、い、いいのよ、そんな。危ないから」
「危ない……?」
フェインは内心、気を引き締める。
いったい、何を隠している?
「ぼく魔法使いの卵なんだよ! この街で有名な薬、あれお師匠様が作ってるの」
「そ、そうなの? すごい、わね?」
この反応は、老婆がこの街に不慣れなことを如実に表していた。
「だから、何かお手伝いできると思うんだけどなあ」
「で、でも……」
「僕じゃ駄目? 頼りないかな?」
「……あのね、ぼく」
老婆はしっかりとこちらを向き、屈んで視線を合わせてくれる。
「おばあちゃんの街にね、怖い化け物が出てきたの。それで、斃してくれる人を探しているのよ」
「へぇー?」
フェインはしかしと思考を切り替える。
先ほどリゼアスタは修祓者の服を着ていたではないか。
――何故、駄目元でも頼まなかった?
「じゃあ、強い人を探してるんだね?」
「そ、そうよ。とびっきり、強い人を、ね……」
「……」
何が隠れているのか、フェインには分からなかった。
ただ、強い人間を探している、その言い分に嘘はなさそうだ。
「だからね、危ないからもうお帰り」
「大丈夫! 僕強いもん!」
フェインはやや強引に、老婆の手を握った。
「一緒にさーがそ!」
「……そうね、ありがとうね、フェイン君」
その呼び名に、どうしてか違和感を感じる。
「いーよいーよ。さ、強い人探そう、おばあちゃん!」
二人で歩き出し、さてと息を整える。
老婆が言っていることが本当なら、リゼアスタとフロネを呼び出した方が早いのは明白であった。
こんなことであれば引き留めておくのだったと後悔しても始まらない。
仕方なく、フェインは自分の目利きで『手練れ』を探すことにした。
その後、何らかの手段で二人に連絡をつけねばならない。
少しでも老婆の意思を叶えてやろうと、酒場や宿屋を中心に巡った。
その結果、分かったことがある。
まず、老婆が家に家族を残していること。
化け物が、どうやら穢れた魔物であること。
金はいくらでも出すと、前金を金貨で払ったこと。
老婆の説明はたどたどしく、慌てていて要領を得なかったが、それだけの情報をフェインは掬い上げた。
結局、仕事を引き受けてくれたのは四人。
キリシナ出身の傭兵が二人組と、賞金稼ぎが二人。
彼らは「金さえ出してくれれば」と不敵であった。大方、今まで何度も成功してきた経験があるのだろう。
それでも、穢れた魔物である以上、油断は許されない。
一つの間違いが命を落とす理由になるのだから。
「四人も居れば……」
老婆がほっと息をついたのを見計らって、フェインは尋ねる。
「おばあちゃんは化け物、見たの?」
「えっ――」
狼狽。
それが、彼女の身体を震わせていた。
「見た、わ……恐ろしい……恐ろしい女だった……」
「女……」
――まさか相手は吸血鬼か。
よりにもよってやっかいな相手だ。
そんな思いが顔に出ていたのだろう、老婆は「怖い?」と聞いてきた。
「うーん。僕は見てないし」
「そう……でも本当に、恐ろしいのよ……。フェイン君、もうお家に帰りなさい」
「ううん。ついてくよ」
「なんてこと!」
彼女は顔を真っ青にして拒否する。
「駄目よ、本当に危ないの!」
「おばあちゃん、僕のこと信用してないね?」
「だってあなたはまだ子供――」
びゅうと風が吹く。
フェインは小さく詠唱して、それを巻き取るようにくるりと人差し指を回した。
風はきらりと魔法の光を帯びて、エルフィとフェインの間をゆっくりと舞い始める。
「そ、そんな――こんな魔法を? 子供が?」
「もっと見せようか」
己でも滑稽に思えるほど、フェインは内心焦っていた。
とにかく、このままでは老婆は自分を連れて行こうとはしないだろう。
彼女について行くためには、自分が強いことを見せつける必要があった。
子供としてあり得ないと思われても。
「で、でも、フェイン君……お家の方は……」
「お師匠様だったら大丈夫! ね、一緒に行くよ」
必死に、本当の意図を隠して。
とにかく、老婆の故郷に――己の元の故郷に、行かねばと思っていた。
『このままみすみす死なせるわけにはいかなかった』。
――これは、贔屓だ。
フェインは煮えたぎるほどの焦燥の中、冷たく思う。
――昔関わった人間を、自分を覚えていただけの人間を、愚かにも贔屓してしまっている。
今無理をしてこの身を手放したら、『仲間』の何人かを失ってしまう。
それを分かっていながら、それでもフェインはこの老婆を死なせたくなかった。
「……」
老婆は顔を真っ青にしたまま、小さく「分かったわ」と呟く。
勝ったと、小さく拳を握った。
「ここからだとちょっと距離があるのよ? 馬車は、お願いしているから……」
「うんうん」
「明日の朝出発しましょう……それまで、気が変わったら、いつでも言うのよ?」
「変わらないよ」
にっこりと笑ってみせる。
――出来うる限り、この身でやって見せなければならない。