「あぁ? リゼアスタが――謹慎処分?」
シューウィが訝しげに繰り返せば、フロネは「そうなのよ、笑っちゃうでしょう?」と肩を竦めた。
「何でまた」
「折っちゃったのよ、剣」
「剣? それで?」
「だから、『法王』の祝福を受けた剣を折ったから、謹慎処分」
「ええー……」
ずるりと椅子から滑り落ちる。
「うっそだろおい」
「嘘じゃないのよ。今、何だっけ……何とかの間? に軟禁されてるって」
「えー……俺、もう直ぐ『祝福』切れると思うんだけどよう……」
ぽりぽりと頭をかくと、そこに鈍い痛みを感じた。
――そろそろ世界がまた分からなくなる。
恐怖ではない。焦りだ。
また一つ、思い出を失ってしまう。
また一つ、人形に近づいてしまう。
「そんな長くはないと思うんだけどねぇ」
フロネは黒い瞳を瞬かせる。
「でも、新たな聖印持ちを連れてこれなかったっていうのもあってねぇ」
「うーん……でも俺達には何もできねぇ、よな」
「無理ね。私、嫌よ。『煌きの』フォルカに近づくなんて」
「わーってるって」
目の前に平然と座る女は、人に害なす穢れた魔物の中でも、最高位の吸血鬼。
人に化け、赤い瞳を隠し、人を愛する古き血の吸血鬼。
聖職者かつ修祓者であるリゼアスタの――恋人。
相反する物でありながら、二人は共に戦う。
この世界の摂理と。
「じゃあ何で俺をわざわざ探し出したんだよ」
「やん、同じ賞金稼ぎの誼(よしみ)でしょ?」
「仕事か? 人間の俺と一緒にしたい仕事って何だよ、怪しすぎだろ……」
「どちらかというと、リゼアスタの関係なんだけど」
「あん?」
彼女は目を細め、笑う。
艶やかに、華やかに、それでいて少女のように。
「新しい剣の材料を一緒に取りに行って欲しいのよ、シューウィ」
――その間の名は、『鎖(とざ)しの間』といった。
この世界の守り手たる『教会』の聖印持ちの聖職者――特に修祓者――が何らかの問題を起こした際に、俗世と隔離するための間である。
彼らの多くは不死で、強大な力を持っている。暴れられれば一般人など一溜まりもない。
しかしこの間に据えられた神造物たる『蒼い鎖』は聖印の力を抑制することが出来るのだ。
今それは、リゼアスタの首を絞める様に巻かれている。
彼の聖印が首にあるが故に。
片方の先端は床に繋がっており、そこかしこに使われていない鎖が静かに出番を待っていた。
リゼアスタは『鎖しの間』の真ん中に置かれた椅子に腰掛けて教典を読むことに徹している。
一定のリズムで捲られる頁の音だけが、広い空間に響いていた。
――耳が痛いほどに静かだ。
自分の微かな呼吸の音と紙の擦れる音だけが全て。
――悪くはない。だが、教典を読み終える頃には飽きるのだろう。
この間には時計はない。窓もなければ、日付をあらわすものもない。
あるのは上から降り注ぐ眩しいほどの灯石の光と、『蒼い鎖』、簡素な椅子と寝台、後はリゼアスタが持ち込んだ教典くらいだ。
何日経ったか――そんな単純なことも分からない。
「リゼアスタ」
不意に、鈴を転がしたような声がして、リゼアスタははっと顔を上げた。
厳重に封鎖されているはずの入り口が開いていて、そこからクララが恥ずかしそうに顔を出していた。
「……どうした、そんなところで」
「う、うん……あの、ね……」
「良い格好だな小童。犬の様でお似合いだ」
彼女の足元からするりと現われたのは猫のベルであった。
牙を剥いたその表情は笑っているように見える。
「繋がれていては動けまい。どうだ、気分は」
「別に」
「強がりか、見苦しいぞ」
「いや、本当に。初めてでもないし」
リゼアスタは肩を竦める。
教典を閉じ、「それでどうした、クララ」と目線を猫から少女へと向けた。
「あ、うん……えっと、聖下からリゼアスタを、えっと……監視、しろ、って」
「……」
――監視。
その言葉の意味を図りかねた。
ここにリゼアスタが隔離されたのは初めてではない。
だいぶ昔、聖印の力が抑えきれず、聖堂の一部を丸焼けにした時。
他の修祓者に痛めつけられた末にここに閉じ込められた。確か、二週間ほど。
その時だって暴れるなどと言う愚行は犯さなかったし、今回は自分の過失も痛いほど分かっていた。
あの剣を自分の不注意で折るとは。
法王『煌きの』フォルカが直々に祝福を施したあの長剣は、名誉の証のようなもので、それをへし折った――いや、粉々に砕いたとなればリゼアスタの立場に関わる問題だった。
さらにあの剣にはノア鋼という希少な金属が使われていた。
ノア鋼は聖印の力を補助し、高めてくれる。
己の聖印の力だけでは乗り越えられない局面を、あの長剣は十二分に補ってくれていたのだ。
それを、折るということは、周りの聖職者からの白けた視線に晒されることを意味していた。
聖下の顔に泥を塗った、と。
本人は子供のような拗ねた表情で「上手く祝福できた奴だったのになぁ」と『叱った』。
「監視、は分かった。で。何するんだ?」
「……何をすれば良いかは、教えてくれなかった……」
「ああ、そう……」
とりあえずこっちに来れば、と声をかけると、彼女はぱたぱたと小走りにリゼアスタの座る椅子の傍までやってきた。
「クララ、そんなに近づかなくても」
というベルの苦言は通じない。
「寝台にでも座るといい」
「んーん。床でいい……」
彼女の白い胴衣が、はらりと床に広がった。
その時、リゼアスタは気づく。
クララがリゼアスタの顔を――目を見て話そうとしていることに。
「お前」
「え?」
漆黒の瞳を覗き込む。
「ぶ、無礼者! 神聖なクララの顔に何を――」
噛もうとしてくるベルを軽く手で押しやった。
「俺の目を見て、話してるな?」
「……」
彼女はもじもじと指を動かし、目を逸らす。
「シューウィが……そうやって話せ、って。それが、普通だって」
「あいつが? ははっ」
思わず声を上げて笑う。
「嘘じゃない……」
「誰も嘘なんて思ってない。あいつが、修祓者を変えるのかと思ったら、つい、な」
「……」
クララは丸くて大きな目をリゼアスタに恐る恐る向ける。
「本当に、シューウィは、リゼアスタの使徒、なの?」
「そうだ」
「そう……」
「欲しかったか?」
「……?」
彼女が無垢に首を傾げるものだから、「冗談が過ぎた。すまん」と目を伏せて謝った。
「あいつの話、聞いたか?」
「あんまり」
「この前動死体の退治も一緒だったんだろう?」
「でも、話は、あんまり」
「ふんっ」足元でベルが鼻息を荒くしている。「あいつの素性など、聞いてどうなる」
リゼアスタは肩を竦めた。
「人間、相手が気になれば話を聞いてみたくなるだろう?」
「奴とクララとは何の関係もない」
「あるさ。……クララが、変わろうとするなら」
――シューウィが変わろうとするなら、かもしれない。
「俺はこの通り退屈だ。もし良かったら、動死体退治の話を聞かせてくれないか?」
「そんなの聞いて、楽しい?」
「ああ」
「……んと、北のレイフォトで」
「うん」
ぽつぽつと話し始める彼女の膝の上で、ベルが面倒そうに丸くなった。
「聖印ってすげぇのな。あっという間に動死体共を殲滅しやがる。俺達賞金稼ぎが苦労する相手だっつーのによ」
シューウィが語るレイフォトの動死体退治の話を、フロネは興味深そうに時折相槌をうちながら聞いていた。
大体、動死体とは群れるものではない。
死ぬ前に動死体と接触したものが死んだ後、墓から自らの力で這い出してくる。
その数は多くても家族単位であり、レイフォトで起きた村人全員が動死体として蘇るとは珍しかった。
――良くないことが起きている。そんな気がしていた。
「リゼアスタ風に言わせれば、聖印なんて碌なもんじゃない」
「あはは、分かる分かる。そんな感じだよな」
「人間そのままが素敵よ」
フロネが穏やかに笑って言う。
シューウィは面食らって表情を変え、「そうか」と小さく呟いた。
「あんたもさー、さっさと復讐終わらせた方が良いわよ」
「何だ聞いてたのか」
「そりゃねぇ。リゼアスタが誰かを使徒にするなんて、初めてだったから。根掘り葉掘り聞いちゃったわよ」
「そう、か」
リゼアスタは使徒を嫌う。
祝福されることによって、健やかで正しい精神と丈夫な体を得た人間は、修祓者の忠実な人形だ。
シューウィはリゼアスタの『温情』のようなもので『人間らしく』見えているだけに過ぎず、やはり使徒であることは間違いない。
祝福を受ける前、ただの人間であるシューウィは、目的も正気も失ったただの狂人だ。
それに人間らしさを与えてくれたリゼアスタには感謝している。
「私は吸血鬼だから、よく分からないけど」
フロネが髪をかき上げた。その動作は人間のそれと変わりがない。
「人間が人間に復讐したいって、どんな気持ちなのかしら」
「……んー」
真正面から聞かれて、シューウィは次の言葉に困る。
「俺もだんだん忘れてるから何とも言えねぇが……まあ、自己満足だわな」
「自己満足?」
「おう。昔俺は『誰か』に大事な『誰か』を目の前で殺されて、狂った。そいつをぶち殺したいという欲求が俺の中で燻ってる。多分そいつを殺したって俺の精神が元に戻るわけじゃない」
――そんなことは分かっているのだ。
シューウィは目を細めた。
「でも、――それでも、だ。俺はそいつをぶち殺したいと願ってる。誰の為でもねぇ、俺が、俺が始めて誰かを自分の意思で殺したいと思ってんだぜ?」
「……」
フロネが今まで見せたことのない、慈悲深い表情で高いところにあるシューウィの頭を撫でた。
「へっ?」
「まったく。リゼアスタは、何てことをしてるのかしらね」
「いや、俺が――」
「貴方が望んだとしても、ね」
「……」
この女吸血鬼が何を考えているのか、シューウィには分からなかった。
穢れた魔物だからなのか、はたまた女だからなのか、それとも生きた年数の違いか。
「まあ、私はリゼアスタのしたことに反対はしないけれどね。リゼアスタさえ許せば、私の力で眷族にしてあげるわよ。貴方なら直ぐに立派な吸血鬼になると思うけど」
「お、おう……今はいいや」
「相談しといて。貴方だっていくらでも若い体の方がいいでしょう?」
本気なのか冗談なのかつかめなかった。
シューウィは大きく咳をして「ところで」と話題を切る。
「お前に言われるまま着いてきたわけだが、いったい何処に向かってんだ?」
二人はエルマの森に足を踏み入れていた。
広大なこの森は豊かな恵みを周囲の村々に分け与えている一方、深部は暗く人を寄せ付けることの無い『暗闇の森』である。
先を行くフロネは、振り返ってくすりと笑った。
「秘密の場所」
「あん?」
「まだ会った事がないのよね? 魔法使いの所よ」
「まほう、つかいぃ?」
シューウィは目を白黒とさせる。
「魔法使いってのはあれか、魔法を専門に研究してるやつらか」
「ええ」
「魔力っつー良く分からんものをあれこれして、不思議なことをやらかすやつらか」
「え、ええ」
「悪い子を蛙にしたり、お姫様を虎に変えたりする、あれか」
「待って。ちょっと待って。知識が偏ってない? 子供の方に」
「そうやって教えられてきたんだ!」
「……ううーん、まあ、そんなもんか」
シューウィは『昔から』魔法使いというものが苦手だ。
賞金稼ぎの中にもそれを使う輩が居るが、その『けったいな業』でも穢れた魔物を完全に殺すことは出来ない。
それどころか時に力不足で暴発させたり暴走したり、ろくな印象が無かった。
人間には御しがたい力なのだろう、多分。
「それで、なぁんでわざわざ魔法使いん所なんかに行くんだよ」
「リゼアスタの剣の為」
「あぁん?」
「話は着いてからにしましょ」
そこよ、とフロネが指差した先には、木々が作る闇の中にぼんやりと建物が立っていた。
――その佇まいは、絵本に記された「魔女の家」にそっくりではないか。
「リゼアスタのためよ、使徒」
「……」
そう言われると従わずにはいられない。
結局は使徒なのだ。あの、『炎の』。
フロネは蔦が這う扉を丁寧に三回叩いた。
「ドナタでございましょうか」
発音に強い癖のある子供の声が返ってきて、シューウィはびくりと背中を震わせる。
使い魔だろうか?
「フロネが来たと伝えなさい」
「フロネサマ」
扉の向こうから気配が消え、数分もしないうちに戻ってきた。
「フロネサマ、後ろのカタはドナタでしょう」
「お、俺?」
思わず声を上げると、フロネが「しぃ」と形の良い唇に人差し指を当てた。
「リゼアスタの使徒だと伝えなさい」
「リゼアスタサマのシト」
再び気配が消えると直ぐに「入って来ていいぞ」と、高い男の声がした。
「お邪魔するわ」
フロネは何の用心もなく扉を開ける。
微かな香の匂いが鼻をくすぐった。
「……っ」
目の前にいたのは、中世的な顔立ちの少年であった。
白くて薄い布の服と艶やかな長い前髪のせいで、亡霊に見えなくもない。
「ちゃお。少しは言葉が上手くなったんじゃない?」
「オ恥ずかしいです」
シューウィはその時、彼の首に大きな傷があることに気がついた。
「それで、ファウストは?」
「本日は、コチラに」
彼は礼儀正しく歩いて行き、いくつも存在している扉の一つを開けた。
香の匂いが、また強くなる。
「まぁたこんな所に引きこもって」
フロネはずかずかと部屋の中に入っていくが、シューウィは服の袖で鼻と口を隠した。
――匂いが、髄に障る。
「シューウィサマ、どうぞ?」
少年の声に押されて、ようやく進む。
部屋の中は古そうな本と何かがはみ出している箱、光る茸や良く分からない液体の入った瓶と、危なそうなものばかりが並んでいた。
奥には、豪奢な椅子が備え付けてあり、件の魔法使いがまるで女王の様に座っている。
床に着くほどの長い髪と浅黒い肌が、見たこともない南の異国を思わせた。
「良く来たなフロネちゃん。私の読書を邪魔するほどには、重要な用件なんだろうな?」
その口から発せられたのは、高い男の声であった。
「まぁね」
「用事を聞く前に、とりあえず紹介してくれないか。そこのリゼアスタちゃんの使徒だっていう男をさ」
シューウィは自分が話題に上がっているのに気づいたが、声を出すことはしなかった。
警戒心が先に立っていたからだ。
「こちら、シューウィ。リゼアスタの使徒よ。普通の、ではないけれどね」
「ふうん」
長い前髪の向こうから覗く色素の薄い瞳が、じろじろとこちらを見ている。
「ふふっ、面白いな?」
「……」
「警戒するのは分かるけど、少しくらい話してくれてもいいじゃないか」
魔法使いはすらりと立ち上がる。
厚底の靴を履いては居るが意外と背が低く、長身のシューウィからすれば見下ろす格好となる。
――脳裏に、鈴の音が響いた。
「私の名前はファウスト。最も、ファウストの名前は受け継がれるもので、私は十四代目だ」
「……っそ」
声が掠れる。
隣のフロネが「どうしたの」と心配そうに目を細めていた。
「リゼアスタちゃんが使徒を連れるなんて、と思ったんだが。なるほどね、ただの人間ではないが、ただの使徒でもなさそうだ」
くすくすと笑う仕草は女なのに、ちらりと見せる表情は狡猾な男であった。
幻覚かと思うほどに、目の前の『男』が良く分からない。
「ただの使徒ならお帰り願ったよ。私はあんなものと話す舌を持たないからな」
「……」
「無理しなくていいよ。試して悪かったな」
とたん緊張の糸が断ち切れて、シューウィは片膝をついた。
己の世界がぐるぐると回っている。
「シューウィ!」
フロネが声を荒げてファウストに詰め寄った。
「ちょっと、一体何したのよ!」
「怒るな怒るな。私だって警戒くらいする、か弱い人間なのさ」
その声はあまり悪びれた様子ではなかった。
「フロネちゃん。君は感じていないだろうが、今此処には私の魔法がかかってるんだ。使徒や従者を束縛するタイプのね」
「は?」
「知らなかったかな、私の研究。まあ、それは今はいい」
魔法使いは意地悪く嗤う。
「でもはっきりしたね。君は、まだその多くが人間だ」
客間に通されると、あの少年が「ドウゾ」と濡れタオルをくれた。
「あんがと」
それを顔に当てて豪奢なソファを陣取って横になる。
「趣味悪すぎでしょ、あんた」
フロネの呆れた声がした。
「その言い方はないだろう? こっちはリゼアスタちゃんに頼まれている研究を続けているだけさ」
「リゼアスタから?」
思わずシューウィが尋ねると、「そうだよ。十二代目からずっとね」と返事があっさりとあった。
「お前が……何代目だって?」
「十四代目」
「一子相伝の何かでもやってんのかよ」
「そうだね、ファウストの紹介もしないと、君に失礼だね」
ファウストと名乗った者は「皆にお茶を」と少年に命じた。
「ファウストと言う名は、連綿と受け継がれてきた大魔法使いの名前さ。一代目は『災い』を一人で屠ったという伝説すらある」
「へぇ……」
「そして代々のファウストは家族でね。血で繋がっているんじゃない。私達がファウストになるには、魔法の素質ともう一つ、重要なことがある」
少年によって運ばれてきたガラスのポットは、花びらが浮き沈みする琥珀色の液体で満たされていた。
少女趣味だな、と思わず考えた。
「私達は、性別が無いんだ」
「……あ?」
「無いんだよ。シューウィちゃんが男で、フロネちゃんが女であるようなもがね」
「……」
寒気がした。
その事実は、多少なりとも教養を身につけたシューウィにとっては、恐ろしいものだったからだ。
「んじゃ、何だ。お前は……『神』、だとでも」
「ふふっ。違うさ……そんな大げさなものじゃあない」
「そもそも」と口を挟んだのはフロネであった。「『神』は両性よ。無いんじゃない、どちらも在るって言われてる」
「流石、フロネちゃんは詳しいね」
「フェインがうるさく教えたからね」
――どうやら、女吸血鬼とこの魔法使いは長い付き合いであるらしい。
「ドウゾ、シューウィサマ」
身を起こし、少年が差し出したマグを、慎重に受け取る。
「で、お前は?」
「ワタシは、十五代目のヨテイです」
「……まじか」
いっそ脱がしてみれば直ぐに分かるのだろうが、止めた。
代わりに勢いをつけてマグの中身を煽った。
――甘くはない。清涼感のある紅茶が喉を流れていく。
「オイシイですか?」
「おう」
十五代目予定という少年はにっこりと笑って――可憐な少女のような笑みだった――十四代目の隣へと駆けて行った。
「まあ、そんなこんなで『教会』は私達の存在を排除しようとするわけだが、何時の時代もひっそりとファウストの名は続いてきたと言うことさ」
「そりゃそうだろうな……下手すりゃ、神の写し身みたいな存在なんだ。許さないよな、あいつら」
「どちらも揃っていたら救世主だ何だと言われたかもしれないが、そういう者が生き残るとは思えないね。絶対であるはずの『神』の存在が揺らいでしまう。『教会』が許すはずはないな、そもそも『神』が許さないか」
「……」
シューウィには知識がある。恐らく、使徒になる前から学はあったのだろう。
だからこそ、己を冷静に語るこの『男』がとても恐ろしかった。
『教会』の力は、この世界では絶対なのだから。
「私達はここで魔法を研究しながら、ひっそりと暮らしているわけさ。次の世代のファウストが居れば保護して、ね」
「なるほどな……」
こんな森の中で暮らすのだからそれなりの理由があると思ってはいた。
――本当に、絵本に出てくる悪い魔女である可能性も考えたが。
「じゃあフロネちゃん。君達の用事を聞こうか」
「忘れてるのかと思ったわ」
彼女は紅茶のマグを置いて、困ったように笑った。
「ノア鋼を造りたい」
「はん?」
「必要なの」
「ふーん……『教会』が用意してくれそうなもんだがな」
ファウストは意外そうに、フロネを眺めていた。
「何を作りたいんだ? 結婚指輪か?」
「馬鹿言わないで」
「こいつは失礼。で?」
「リゼアスタの剣が折れたのよ。私を庇って」
「はぁん」
魔法使いは全て理解したとでも言いたげな笑みを浮かべた。
「待てよ、フロネ」
シューウィはマグを少年に返しながら、彼女に声をかける。
「ノア鋼って……鍛冶師が造るんじゃねぇのか」
「ノア鋼は魔法の力を使って生み出すものだよ」
ファウストがくるくると宙に指を遊ばせると、そこに光の粒子が散った。
――魔法だ。
「主原料である鉄は何処にでもあるものでいいが、やはり質の高いものが要求される。『教会』関係者なら『帝都』で入手できるだろうが、私達のようなはみ出し者は鍛冶屋から手に入れるのがいいな。近いところだとペトランドの鍛冶屋の仕事が良い。『帝都』に出回るものよりも質が高いんじゃないかな」
「ふむふむ」
「だが、それだけではノア鋼は造れない。魔力による高温によって、涙砂と呼ばれる特殊な鉱物を合わせるんだ。すると、聖印の力を増幅させる特殊な性質と、硬く軽い特徴を持つようになる」
「……なるほどな」
シューウィはすらりと己の得物を引き出した。
白い刃の鋏。
脳裏に思い出される、これを渡した時のリゼアスタの顔。
「シューウィは、鋏、持ってた」
「ああ」
「リゼアスタがくれたって言ってたけれど。どうして、鋏?」
「……」
リゼアスタが目を逸らすのを、クララはしつこく追いかけた。
「気になってたの。ねぇ」
「お前しつこくなったな。誰かに似てきたんじゃないか」
「誤魔化すの?」
「……」
『炎の』は目を閉じて、小さな声で「断ち切るように、と」と呟いた。
「何を……?」
「復讐とか、過去とか、そういうものをだ」
「……良く分からない」
「つまりさ、これは祈りみたいなものなんだ」
――祈り。
それは聖印持ちならずとも、聖職者ならずとも、この世界に生きる人間であれば誰もがする行為だ。
『神』に、明日に、故人に、人々は祈る。
「俺は、あいつをどんな形にせよ使徒にしたことを後悔しているんだ。だから、そう、あいつのために祈った」
「それが、鋏?」
「ああ」
クララは首を傾げる。
――リゼアスタが祈るなどと、想像が出来なかった。
『炎の』と仕事を共にしたことは一回、いや二回。
どちらも彼があっさりと殲滅してしまった。クララがしたことといえば、被害にあった人々の傷を多少癒した程度だ。
二百年を超えた聖印持ちの恐ろしさをベルは声高に叫ぶが、クララには良く分からなかった。
強い方がいい。
そうすれば人は傷つかないし、自分が傷つくこともない。
でも、いつでもリゼアスタはぼろぼろになって『帝都』に戻ってくる。
彼でも強さが足りないというのだろうか。
彼は何と戦っているのだろうか。
――この気持ちを、他人への興味というのだろうか。
「ねぇ、ベル」
「……何だ、クララ」
猫はクララの膝の上から主を見上げた。
「私、リゼアスタに訓練してもらったら、剣を使えるかな」
「なっ!? ななななな、何てことを!」
ベルは全身の毛を逆立てて、リゼアスタの足に噛み付いた。
「った、何するんだ!」
「クララに何を吹き込んだ、小童!」
「俺は何もしてない」
「クララは非力なんだ、お前みたいに野蛮ではない!」
「だから、俺は何もしてないし、何も言ってない」
クララは興奮するベルをリゼアスタから引き剥がし、逃げないように抱きしめる。
「私、いつもベルに頼ってばかりで、自分じゃ戦ってない、から」
「お前は使徒を多く連れるタイプだったからな」
「シューウィが今は助けてくれる、けど……私と、ベルだけの時があるって、思う」
「……もう、使徒はいいのか」
「んー……」
言葉に詰まった。
なんと表現したら良いか分からなかった。
怖いことは怖い。
しかし、大勢の使徒を集めるよりもシューウィ一人が居たほうがずっと強い。
何も言わなくも敵とクララの間で立ち回ってくれる。
彼がどうしてクララと戦ってくれるのは分からなかったが。
――何事も金が必要なんだよ、と彼は言っていた気がする。
「使徒より、シューウィの方が、強い」
「当たり前だ」
くつくつとリゼアスタが笑うのを見て、クララは目を丸くする。
彼がこんな風に笑うのなんて、見たことが無かった。
「シューウィは元々暗殺者で、今は怖いもの知らずの賞金稼ぎだぞ。そこらの人間かき集めるより強いに決まってる」
「……暗殺者?」
「聞いてなかったか」
彼は明らかにしまったという顔をするのだが、それもまたクララが見たことの無い表情であった。
「あいつは……ミーラン家の一人息子だよ。シューウィ・アン・ミーラン」
「ミーラン家……まさか、そんな馬鹿なことが」
じたばたとベルがクララの腕の中で暴れる。
「ミーラン家はキュリアンテールの抗争で根絶やしに成った血族の一つのはずだ」
「ベル、詳しいんだな」
「馬鹿にしているのか!? ミーラン家は『教会』にも名前を知られた血族じゃないか! まさか、あの下賤の者が、その一員だったとは……」
ベルが取り乱す理由が、クララには分からなかった。
「ミーラン家、って?」
「お前は知らないか。……知る必要もないしな」
知りたいかと問われ、迷うことなく頷いていた。
すると何故かリゼアスタは嬉しそうに、表情を和らげた。
「この世界には、穢れた魔物との戦いもあるが、人間同士の争いも多い。分かるか?」
「……多分」
「今アーロウとキリシナで戦争やっているだろう? ああいうのもあるが、もっと小さくても争いがある。それが、縄張り争いだな」
「ベルが『帝都』で他の猫とやってるやつ?」
手元にそう話しかけると「ち、ちが……そ、そんな私は」と慌てている。
「そんなもんだ」
「そっか、分かった」
「暗殺や裏の商人は自分の仕事を商売敵に取られるわけにはいかない。すると、縄張り争いで血みどろの殺し合いが起きる。キュリアンテール国のそれは、本当に酷かった」
リゼアスタは「トープ、オルキデ、シェヴル、マルディ、そしてミーラン」と指折りしながら名前を挙げた。
「有名無名問わず数多くの血族が巻き込まれ、根絶やしにされ……残ったのはマルディ家だ。今じゃキュリアンテールの裏の全てを担っている」
「その生き残りが、シューウィ、なの」
「みたいだな。俺が最初に祝福した時は、今よりもずっと自分を覚えていたから、いろいろ聞いた」
「……」
自分は何も知らない。知ろうともしていない。
アンドロレイア教会で生まれてから、ここまで生きてきて、何も知らない。
そう突きつけられた気がした。
「リゼアスタ」
「うん?」
「いろいろ、教えて。知りたい」
「……答えられるものならな」
彼は面倒そうに、しかし穏やかな表情を見せてた。
「武器が欲しいって言って、この鋏を渡された時、不思議としっくりきたんだよなぁ」
「リゼアスタちゃんはロマンチストだからねぇ。わざわざナイフや剣にしなかったのにも理由があるんだろうさ」
ファウストは二杯目のお茶を飲み、にやりと笑う。
「彼だったら君を立派な使徒にして、その力を最大限に活用できるだろうに。感謝しなね、シューウィちゃん」
「わーってるよ」
「よし。じゃあ彼のためにもノア鋼を手に入れなきゃね」
魔法使いはくすくすと笑い、フロネを見た。
「鉄は私のコネで手に入れてもいいけど、涙砂は自分で採って欲しいね」
「ええ。そこまで煩わせるつもりは無いわ」
「いいね。涙砂は霊峰プロメテスの頂上付近にあるよ」
「プロメテス……?」
聞き返したのはシューウィである。
「ああ。どうかしたかい」
「……いや」
否定に時間がかかった。
何かひっかかるのだが、それが何か分からない。
――忘れてしまった何かなのだろうか?
「あそこねー。三霊峰の一つでしょう? 普通に登れたかしら」
「私が転送してあげるよ。御代は貰うけど」
「まったくちゃっかりしてるわね。いいわ、それで」
「では今日は遅いし、明日の日の出と共に送ってあげるよ。今日はここで寝るといい。シューウィちゃんは居心地悪いかもしれないけれど」
「我慢すりゃいいんだろ」
「結構だ」
世話は十五代目がすると言って、十四代目は席を立った。
「読みかけの本があるんだ。邪魔したら鶏に変えてやるからな」
と言われては、シューウィは黙って頷くしかなかった。
「まったく過激なんだから」
フロネは頬を膨らませて、「水浴びできる?」と十五代目に尋ねる。
「モチロンです、フロネサマ」
「ありがと。あ、シューウィ、覗くんじゃないわよ」
「誰がんな恐ろしい事するかよ。俺はもうここで寝る」
「りょーかい。じゃーね」
彼女はぷらぷらと手を振って、部屋から出て行こうとする。
その最後の一瞬、その姿が鮮やかな桃色に変化したのが見えた。
――吸血鬼の本性か。
はっとそちらを見やったが、その姿は陽炎のように掻き消えていた。
「……」
穢れた魔物。その最上位、吸血鬼。
それが今、共にいるのだ。
もし自分がただの人間であれば、きっと拒絶するだろうなとひとりごちる。
あの魔法使いは自分の多くが人間であるといったが――正直、信じられるわけもなく。
いつ完全な使徒になってしまうかも分からない。
「……」
早く、見つけ出さなければ。
名前も顔も姿も全て思い出せなくなってしまった、復讐の相手を。
名前も顔も姿も全て思い出せなくなってしまった、彼女の為に。
思い出せないことが増えて、最後に残るのは一体なんなのだろう?
自分なのか。
彼女の存在なのか。
じりじりと焦げる復讐心なのか。
「シューウィサマ」
「え?」
意識を戻すと、十五代目が微笑んでいた。
「オ休みになられるなら、コチラをどうぞ、と」
差し出されているのは見るからに怪しい、真っ赤な飲み物だった。
「……何、毒?」
「『聖印持ちは夢を見る』、と」
「夢?」
「『再現したぞ』、と」
「……」
――やはり、あの魔法使いは自分を殺そうとしているのではないだろうか?
しかし、断っても何かありそうで怖い。
仕方なくそれを受け取り、臭いも嗅がずに一気に煽った。
「はっ……?」
効果は直ぐに現れた。
ぐらりと視界が揺らぎ――先程の不快感とは違う、これは強烈な眠気だ――ソファに倒れこんだ。
「オ休みなさいマセ、良い夢を」
毛布がかけられる微かな感触があった。