吸血鬼は棺桶に眠る。
それは間違いではないが正しくもない。
「ん……」
フロネは赤い瞳を薄っすらと開いた。
天井が低い。
暗闇でも彼女の目はよく見えた。
「んっしょ」
その天井を押し上げる。
重い音を発しながら開かれた先には、また天井があった。
「んっ、よく寝た」
ひょいと彼女は起き上がる。
彼女が今まで寝ていたのは、何十年も昔から使っている石の終(つい)の寝台。
もっと言えば石棺だ。
中にその時々の好きな布地――今は紅いビロードを敷いて使っている。
フロネは寝台に腰掛けて、自身のシルクのような桃色の髪を手で梳く。
「どれくらい寝ていたかしら……」
――セプテティアの一件で受けた傷は思ったよりも深かった。
あの天才的な吸血鬼に受けた傷もさることながら、リゼアスタの聖なる力を受けたことも大きい。
「リゼアスタはもう起きてるかしら……?」
早く会いたい。
いつも眠りから覚めると会いたくなる。
会って、自分が生きていることを実感したくなる。
フロネは姿を『賞金稼ぎ』に変え、部屋を後にする。
クラレットの幽霊屋敷。
何百年も昔に放棄された聖職者の屋敷だ。
その地下室には隠し財産を保管する石棺があり、それの一つをフロネは寝床にしていた。
もともと幽霊が出ると言われる屋敷だ、人も来ない。
最も、時に寝床を探す他の吸血鬼がやってきて彼女の手にかかることはあったが。
「ん……?」
靴を鳴らしながらロビーに向かうと、そこには影が一つ。
小柄な少年。
艶やかな銀色の髪に守られたその愛らしい顔が、フロネをまっすぐに見ている。
「おはよう。ようやくお目覚めか、フロネ」
「ええ。おはよう、フェイン」
フロネが笑いかけると、「三ヶ月もよく寝たものじゃ」と少年は見かけの年齢に合わない物言いをした。
「三ヶ月!? そんなに寝ていた?」
「ずいぶん深い傷を負っていたじゃないか」
フェインは眉をしかめ、フロネをまじまじと見る。
「……ふむ。綺麗になって何よりじゃ」
「セクハラじじい」
「何を? わしはお主を心配して――」
「分かってるけど!」
フロネは自分の身を抱きしめる。
「分かってないわね、もう」
「すまんすまん。お主も言うようになったの」
さして気にした風もなく、じじいと呼ばれた少年は肩を竦めた。
「しかし、感謝くらいはしてほしいもんじゃな。この身体で外をほっつくと周りが煩いんでな」
「そりゃそうか。ありがとう、セクハラじじい」
「どういたしまして、年増吸血鬼」
二人はとりあえず幽霊屋敷を出る。
陽の光が、フロネの目の中できらきらと光る様子は美しかった。
「リゼアスタに会いに行くのか?」
「んー」
少し、考える。
「いや。まずはあんたに礼をしなくちゃ」
「お? いや、別に特別に何かしろという訳では」
「や、毎回毎回守ってもらってるわけだから。少しくらい、ね?」
吸血鬼は棺桶に眠る。
それは傷を癒す際に無防備になり、そのまま浄化されてしまう可能性を指すのだ。
故に、フロネは護衛を頼んでいる。
「そういえば。守るって言えばさ、この前リゼアスタが――」
そう一人で饒舌に話し始める女吸血鬼を、少年はやれやれといった様子で見ていた。
「まったく、お前も変わったもんじゃ」
小さな呟きも、もはや彼女には聞こえてはいない。
「初めに会った時にはあんなにお子ちゃまだったのにさ――ね。聞いてる?」
「聞いとるよ。何度も何度も同じ話をしよってからに」
「じゃあ、覚えてる? ほら、あんたと手合わせしてる時のあいつ! もうへろっへろでさー」
そんなこともあったかもしれない。
曖昧な表情を返されて、フロネは頬を膨らませた。
「っ!」
金属の甲高い悲鳴。
リゼアスタの大剣は、手より弾き飛ばされて宙に投げ出された。
「遅い遅い」
にやりと笑うのは白髪を蓄えた老人。
だというのに、その身のこなしは修祓者たるリゼアスタを圧倒していた。
「この年寄りに一歩も触れられないとは、まだまだよの」
皺の寄った手に握られているのは、およそ武器とは思えないほど巨大な鎌である。
それを軽々と振り回し、老人は嗤う。
「くっ……」
リゼアスタは下唇を噛み、地に落ちた自身の剣を拾いに行く。
その姿は悔しさに震えていた。
「お子ちゃまめ」
それを見ながら、フロネは声を上げて笑う。
「フロネ……いつから見ていた?」
リゼアスタの声には憤慨が宿っている。
しかしそれにフロネは気づけない。
「今ので七敗目」
「……」
舌打ち。
リゼアスタは剣を拾うと、彼女を無視して老人に詰め寄る。
「強くなるにはどうすればいい、フェイン」
フェインと呼ばれた老人は、「ふむ、そうじゃの」と勿体つける。
それがまたリゼアスタの苛立ちを深くしたようだった。
「このままだとまたアレに笑われる」
「そうイラつくな。感情の起伏が激しいのもお主の弱点じゃよ」
「……感情?」
「冷静になれ。事実を受け止めろ。そして、素早く次の行動を起こすんじゃ」
老人は青年の鼻先に人差し指を突きつける。
しわがれた手は、それでも力強い。
「先程得物をもぎとられた時、何故止まった」
リゼアスタは俯く。
「負けたと思ったから」
「これが本物の殺し合いであれば、お前はあの瞬間に死んでいたぞ」
「……」
「剣に頼るな。お前自身が本気になれ。わしは殺されてもただでは死なん」
フェインは困ったように笑い「休憩じゃ」と彼に背を向けた。
「俺はまだ――」
「わしが疲れた。それとも、お主はへとへとのわしと戦いたいか?」
「……いいや」
まったく疲れた様子を見せない老人に対し、リゼアスタの息は上がっていた。
疲労ではない。焼き付いた焦燥の所為だった。
「湯でも沸かそう。お主はそこらで休んでおれ」
彼が不思議な力で大鎌を自らの手から消し悠々と歩き去った後、リゼアスタは地面にうつ伏せに倒れこんだ。
「ちくしょう」
悔しかった。
手も足も出ないとはこのことだ。
――あんなに、訓練を受けたというのに。
修祓者としての素質を見込まれ、血の滲む努力でここまでやって来たつもりがあった。
しかし、それも本物の吸血鬼の前では役に立たず、あげく――
「お子ちゃま。泣いてるの?」
こんなことを言われてしまうざまだ。
「泣いてない」
「人間は辛いと泣くんじゃないの?」
「俺は修祓者だ。泣けるわけないだろ」
立ち上がり、顔を右の袖で拭う。
「寝てくる」
フロネが何か言う前に、リゼアスタはその場を去った。
惨めな思いを何処にもぶつける事が出来なかった。
マルス山の麓。そこに小屋を建てて、三人は『修行』をしていた。
もともとはフェインの隠れ家だったのだが、フロネがリゼアスタを連れて押しかけたというのが正しい。
リゼアスタがあまりにも弱かったからだ。
この世界の『真実』を知って剣をとった彼ではあったが、このままではあっさり殺されてしまう。
なんたって、修祓者の真骨頂である浄化の力を安定して発動させることが出来ないのだ。
故に、フロネは自らの師であるフェインの元に彼を連れてきた。
だが。そこで垣間見たリゼアスタの行動と感情が、フロネの疑問を刺激する。
「うーん?」
人間はよく分からない。
感情のままに生きてるかと思えば、それを我慢したりもする。
フロネは地に足を投げ出して座って考え込む。
「何で元気がないのかしら」
フェインに負けたのが嫌だったのか。
リゼアスタの今の実力からすれば勝てるはずの無い相手に負けて、何が嫌なのかが分からない。
「……お子ちゃまだからかしら?」
聞けばまだ修祓者になって五年ほど、全部で二十五年しか生きてないらしい。
遠い昔に生まれたフロネからすれば、短すぎる年月だ。
「うーん」
――これは、私が何とかしなければ。
うきうきした気分で、フロネは思考を巡らせる。
何がいいだろうか?
「あ、そーだ」
――古き血の吸血鬼である私にしか出来ないことがある。
フロネは膨大な記憶を漁り「あは、これかな」と満足そうに一人で笑った。
ついと指を動かすと、彼女の身が一回り小さくなる。
かと思えば、栗色の髪は鳶色になり、黒い瞳は深い青色になった。
輪郭は彼女の持っていた美しさから可愛らしさへと変化し、服も地味な生成り色なロングのワンピースとなる。
「あ、あー……。声は仕方ないか。聞いたことないものね」
吸血鬼は高位の者になると姿形を自由に変化させることが出来るようになる。
それでもフロネほどスムーズに変化させるとなると、かなり強い力が必要だ。
「よしっ」
フロネはぴょんぴょんと跳ねる。
リゼアスタが三人が寝泊りしている小屋に戻った様子は無かった。
きっとフェインと顔を合わせたくないのだろう。
なら、どこに?
「んー」
ぶらぶらと歩き回ると、水汲み場に彼の姿を見つけた。
全身ずぶ濡れであるところを見ると、頭から水を被ったのだろう。
その意味は分からなかったが。
「リゼアスタ!」
声を高くして呼びかける。
彼は面倒そうに顔を上げ、フロネを見るなりはっと目を見開いた。
「どう? そっくり?」
フロネはくるりと回ってみせる。
「多分、この姿じゃないかなって思ったんだけど。合ってる?」
笑いかける。
だというのに、リゼアスタは固まったままだ。
驚愕に顔を歪ませて、変化したフロネを揺れる瞳で見つめている。
反応の薄さに、フロネは頬を膨らませる。
「何か言ってよ、『お兄ちゃん』」
刹那、
「あああああああああああああ――っ!!」
彼の喉を突き破らんばかりの絶叫。
そして、彼が掴んだのは、祝福を受けた自らの得物だった。
「えっ?」
フロネには、何が起きているか理解できない。
ただ、目の前の修祓者が、今までに感じたことの無い強い力を放っていることと、それが自分に向けられていることだけが辛うじて分かった。
燃え盛る赤い炎が、リゼアスタの剣を包み、
「あっ」
それが彼女の胸を貫くまで、一歩も動くことは叶わなかった。
我に返ると、フロネが胸を一突きにされて地面に仰向けに伏していた。
真っ赤な血が大地を濡らし、まるでそれに当てられたかのように彼女の姿が変化していく。
桃色の長い髪と、見開かれた紅い瞳。
それこそ、古き血の吸血鬼たるフロネの真の姿であった。
「あ、あっ……ああっ!」
自分でも滑稽に思えるほど、激しく動揺していた。
「フロネ……フロネ……?」
呼びかけても返事が無い。
当然だ。
吸血鬼といえども、聖なる力を纏った剣で貫かれて無事であるはずが無い。
こんな時に、制御の出来ない力が発動するなんて。
「フロネっ!」
その胸の剣を抜く。
不思議なことに、傷から血は枯れたように、ただぽっかりと穴が開いているように見えた。
「……ううっ」
回復の奇跡を唱えようにも、相手は吸血鬼。効果などないのだろう。
それどころか、今度こそ殺してしまうかもしれない。
「くそっ……どうして、どうして……!」
「どいていろ、リゼアスタ」
「っ!」
その声に振り向くと、フェインが厳しい顔で立っていた。
「まったく、大方フロネがやらかしたんじゃろう。ヤツは人間の思考に触れてこなかったからの」
フェインはしわがれた手をフロネの胸に翳す。
「……お主も無茶しすぎじゃ、フロネ」
その手から淡い光が無数の糸になって、彼女の傷口をまるで裁縫のように縫い合わせ始めた。
「聖印の力……?」
「似たようなもんじゃが、もっと違うもんじゃよ」
老人は笑う。
「フロネは死なん。だからそう泣くな、リゼアスタ」
その時になってようやく自分が泣いていることに気づき、歪む視界を明瞭にする為に、彼は顔を拭った。
「助かるのか?」
「ああ。ここでは何だろう、小屋まで運ぼう」
リゼアスタは頷き、彼女を抱えようと手を伸ばしたが、それっきりまた固まってしまった。
「どうした」
「……」
無言のまま自分の白い胴着を彼女にかけた。
――フロネは一糸纏わぬ姿であったから。
その様子を見て、フェインは高らかに笑う。
「裸にすがってた男がいまさらか」
「黙ってくれ」
それどころではなかったのだ。
しかし、何を言っても笑われそうだった。
三人が寝泊りする小屋は、もともとフェインが住んでいるだけであったからかなり小さい。
唯一のベッドにフロネを横たわらせ、リゼアスタはその縁に腰掛ける。
「……」
自責の念があった。
自分を抑えることが出来なかったのは事実。
『フロネに殺された妹』が目の前にいるというまやかしと、『吸血鬼の従者になって死んだ妹』がもう戻らない現実との間で、感情の箍が外れてしまった。
フロネは彼女なりに、リゼアスタを励まそうとしたのだろうが。
「……痛かっただろうな」
存在を滅ぼされるとはどんな痛みなのか。
痛みを受けても死なないとは何なのか。
「ごめんな」
どんなに無神経で、どんなに面倒な吸血鬼であろうが、世界の『真実』をリゼアスタに告げた存在であることに代わりは無い。
この世界に存在する、唯一無二の『同質の存在』なのだ。
「……なぁに、泣いてるの?」
ぎくりと肩を震わせる。
フロネが赤い瞳を瞬かせていた。
「泣いてない」
「……そう?」
「泣いてない」
繰り返すことしか出来なかった。
「ごめんなさい。リゼアスタが喜ぶと思ったんだけど」
素肌のまま、彼女は起き上がる。
絹のような髪が彼女の白い身体を滑り落ちた。
「死んだ人間に、人間は会いたくないのね」
「そう、じゃなくて」
「うん?」
赤い瞳が、リゼアスタの青い瞳に映った。
「死んだ人間には会いたいよ。でも、もう会えないんだ。分かってるんだよ。さっきのだって、ラウラじゃない」
「私だったから? 私が妹になっても嬉しくないってこと?」
「そう。だから、その姿になるのは……もう、止めろ」
「うん。分かった」
あっさりとフロネは頷き、「ごめんなさい」ともう一度謝った。
「駄目ね。偉そうに言ってたけど、リゼアスタのこと何にも分かってないわ」
「……別に。俺だってお前の考えることが分かるわけじゃない」
それに、とリゼアスタは唇を噛む。
「痛かっただろ? 悪かった」
「え? え、ええ……でも大丈夫!」
フロネははにかむ。
「私、吸血鬼なんだから」
「……」
――忌むべき者、穢れた魔物。
しかしそれを、今は無条件に滅する気になれない。
リゼアスタの顔を見て何を思ったのか、フロネは「そうだ!」と明るく声を上げる。
「ね、久しぶりに山を降りて食事に行きましょ?」
「え――」
「これでも私、お金持ってるのよ。賞金稼ぎの真似事してるから。ね?」
「……」
答えを躊躇している間に、「フェイン、お昼は麓へ行ってくるわ!」と先に告げられてしまった。
麓のマルスの町は細々とした町だった。
住民達は質素な生活で、しかし暖かい空気で満ちていた。
「親父さん、おひさー」
「おお、フロネか。最近どうだ? 順調に稼いでるか?」
「じゃなかったらここに来ないわよー」
酒場の店主と親しげに話す様子に、リゼアスタは面食らう。
相手は吸血鬼だ。
だというのに、主人はにこやかに会話をしている。
不思議な光景だった。
「そこの修祓者様は?」
話題がいつの間にかリゼアスタに移り、彼は少々緊張する。
「知り合いになったのよ。だって、賞金稼ぎの一番の目標は穢れた魔物じゃない?」
「そりゃあ良かったな。これからもがっぽがっぽ稼いで俺のとこでつかってくれや」
「はぁい」
通された窓際の席に向かい合って座る。
日除けの布が風にちらちらと揺れていた。
「何にする?」
「お前はいつも何を?」
「良くぞ聞いた。おすすめはね、馬肉」
「馬?」
「っそ。もう走れなくなった馬を捌くのよ」
フロネは笑い、「聖職者さんにはお気にめさないかしら」と目を細める。
「いや。それを貰うよ」
「ん」
フロネが手馴れたようにステーキを二皿注文し、二人はまた無言になる。
何か――言いたかったはずなのに、それが見つからない。
彼女はにこにことリゼアスタを見つめるだけだ。
それが十分ほど続いた。
「お待たせ。……なんだフロネ、まさか修祓者様に惚れたか」
「あはは。私が? ないわよ」
彼女はさらりと流し、「おいしそー」と皿に飛びついた。
「……」
にんにくのいい匂いがした。
「……おい」
「なぁに」
「お前、これ、食べるのか?」
「食べるわよ。何言ってんの」
「……」
最近読んだ書物に、吸血鬼はにんにくが苦手という話もあったような気がするのだが。
「ああ」
彼女も気づいたようで、ふと目を細める。
「私くらいになると、強い臭いも平気よ。新入りは、嗅覚が強すぎて参っちゃうみたいだけどね」
「……なるほど」
詳しい理由があるようだった。
彼女に習い、リゼアスタもステーキにナイフを入れる。
下拵えがしっかりしているのだろう。その肉は驚くほど柔らかかった。
「ん……」
切り口はレア。
肉汁は薄っすらと赤い。
赤。
血の色だ。
生きていた者の色だ。
吸血鬼が啜るもの――
「美味しい?」
「ああ。……美味しい」
疲れていたからか、腹が減っていた。
リゼアスタが――自分でも意外なほどに――ぺろりと平らげたの見て、フロネはすぐさまもう一皿頼んだ。
「ウスターで出来る?」
「もちろん」
程なくして運ばれてきた皿にはたっぷりと深い茶色のソースがかけられていた。
「これは?」
「ウスターソース。まあまあ、食べてみなさいよ」
「……」
これまた強い香辛料の匂いが鼻をくすぐった。
口に含むと甘みの強い、不思議な味がした。
「美味しい?」
「美味しい」
「ふふっ」
人懐っこく、フロネは笑った。
リゼアスタが黙々とステーキを頬張るのを、彼女はただ見つめている。
世間話があるわけでもなく。
先ほどの悲劇の続きがあるわけでもなく。
「なぁ」
「うん?」
「……お前は、他に食べるものがあるんじゃないのか」
声を潜める。
彼女はきょとんとし、「ああ――」と肩を竦めた。
「気になったの?」
「だって、お前がそれを口にしているところ、見たことない」
「当たり前じゃない」
彼女はからからと笑った。
「もう何年……ううん、もう何十年と飲んでないもの」
「何……?」
「いいのよ。飲まなくったって死にやしないわ。ただ、弱くなるだけ」
「どうして」
「お子ちゃまめ」
彼女は、瞳に吸血鬼本来の姿を垣間見せた。
酷く、悲しげに。
「……無理でしょ。知ってしまったら」
「フロネ」
「飲めなくなっちゃった。ただ、それだけよ」
それで会話は終わりだとばかりに、彼女はにっこりと笑った。
「もう一皿食べる?」
「……いいよ。それより、ラムが欲しいな」
「いける口? いいわよ」
彼女が店主を呼ぼうとした瞬間、外で「ブレーブ様のご到着だ!」と叫び声が上がった。
「ブレーブ?」
フロネは眉根を顰めるが、リゼアスタははっとして日除けの布を払った。
「……まさか、こんな所に?」
彼の青い瞳が捉えたのは、『教会』の白い胴着の集団。
リゼアスタのそれとは違い、ひどく豪奢な物であった。
先頭を行く男の精悍な顔立ちに、リゼアスタは見え覚えがある。
「本当だ……ブレーブ司祭……!」
真っ直ぐに前を見つめていたブレーブだったが、しかしちらりとリゼアスタを見た。
黒い瞳に射抜かれて、一瞬呼吸が止まる。
「何なに?」
顔を出そうとしたフロネの頭を、片手で押さえつける。
「ちょっと!」
抗議は無視した。
――やがて聖職者の一団が去り、リゼアスタは深く息を吐く。
「ねぇ、何だっていうのよ」
「良く聞け」
リゼアスタは目を細めた。
「ブレーブ司祭は聖印持ちだ。厳密には修祓者ではないが、自ら槍を取って穢れた魔物を滅する聖職者なんだ」
「はーん。だからさっき私を見えないようにしたってわけ?」
「そうだ」
「優しいところあるじゃない」
彼女はくすくすと笑う。だが、リゼアスタは苛立ちを強くした。
「何を暢気なことを言ってるんだ。くそっ、ここは大都市から離れているし、誰かに会う事なんてないと思っていたのに……」
「あ、あー。リゼアスタ、仕事さぼってるんだっけ?」
「人聞きの悪いことを言うな。休暇を貰っているだけ――って、問題はそこじゃない!」
リゼアスタは吸血鬼に人差し指を突きつける。
「こんなところに来るんだ、必ず理由がある。その理由が、お前なんじゃないか?」
「……あー」
「何だその、淡白な反応」
「私、」
しかしそこから先を彼女は続けなかった。
長く、黙ったままだった。
「……」
しびれを切らし、リゼアスタは席を立つ。
「行って来る」
店主に食事の礼をし、店を出る。
フロネが彼に声をかけることは無かった。
ブレーブは町の小さな集会所にいるという話だった。
名前を出すと直に面会が許された。
簡素な椅子に座っているその男の圧倒的な雰囲気に、リゼアスタは息を呑む。
『教会』の中にも階級がある。
『法王』を頂きに据える、完全なる力による階級だ。
現在の『法王』、『煌きの』フォルカは在位三百年程。
聖印を持つかの王は、既に長い間頂きに君臨し続け、聖なる力でもって人々を正しく導いてきた。
リゼアスタも、彼を誰よりも尊敬していた。
――それに比べたら、俺は。
ブレーブ司祭を目の前にすると、自分の力の低さがよく分かった。
それでもリゼアスタは丁寧に礼をする。
「ご挨拶に参りました」
「どうも、修祓者君。名前は何と言ったかな」
「リゼアスタです。『炎の』」
「そうか。随分若いんだね」
ブレーブは黒い瞳をリゼアスタに向けた。
鋭いナイフのような視線に、彼は奥歯を噛んで耐える。
「それで? 君はどうしてこの町に」
「……休暇です」
答えに時間を要してしまった。
「休暇、ね」
ブレーブは「ふふん」と目を細めて笑った。
それは獲物を仕留めた後の獣の表情に似ていた。
「私も似たようなものさ。視察、と言ったら聞こえはいいか」
「この町には教会といえるものがあるとは言えませんが」
「そこだよ」
彼は満足そうに口の端を歪ませた。
「だからこそ、こうして隣街から私が来る」
「貴方、が」
「神の威光は世界を遍く注いでいるとは言い難いよ。そうでなければ――穢れた魔物が世に蔓延る筈がない」
「……ええ」
「だから、こうして我ら『神』の仔が知らしめるのさ」
ブレーブはまた独特に笑う。
「私はかれこれ80年、この姿で生きている」
「それは、随分と」
――その身に聖印を受けてから、身体は歳を取るのを止める。
一説によれば、それはその者の最盛期を長く保つ為と言われていた。
そして意外にも、聖印持ちの生涯は長いようで短い。50年も生きていれば、随分長生きしていると言われるだろう。
多くは穢れた魔物に狙われるか、精神に異常をきたして処分される。
そして、長く生きた聖印持ちほど、一般的に強い。
「いやいや。かの聖下に比べればなんてことはない。だがね」
ブレーブが椅子から立ち上がる。
その動作だけで、リゼアスタは悟った。
――この男は、危険だ。
「鼻は随分利くようになった」
「鼻、ですか……?」
指が微かに武器を求めるのを止められなかった。
もっとも、ここに剣はないのだが。
「ああ。――君、さっきまで、誰かと一緒に居たかい」
「っ……」
答えられなかった。
「ええっと、君、名前なんだっけ……。まあ、いいか」
ブレーブが「おい」と一声かけると、傍に控えていた僧侶が、何の躊躇いもなく彼にソレを差し出した。
一本の槍。
何の変哲もない槍であったが、司祭がその穂先を撫で「我に光あれ」と一言呟くと、青い光が宿った。
――祝福だ。
くるりと切っ先をリゼアスタに向け、ブレーブは問う。
「君の聖印はまだ穢れていないのかい?」