白い胴衣を纏うリゼアスタの姿は、鬱蒼とした森の腹の中でもよく見えた。
大剣が歩く度にちゃりちゃりと微かに鳴る。
鞘はなく、立ち揺れる炎を固めたような、波打つ刀身。
一般的にフランベルジェと呼ばれる形状。
フロネにとって、その大剣は近づきがたい存在だ。
『教会』の祝福にも位がある。
下級の僧侶が行ったものと、司祭が行ったものでは祝福の強さ――穢れた魔物への討伐力に差が出るのだ。
リゼアスタの大剣は、吸血鬼として相当の能力を持っているフロネが目にしても背筋の凍るものである。
『教会』の最高権威、『法王』の祝福を受けた剣。
それは美しく、いっそ禍々しく月光を跳ね返している。
まるでその炎の模様は、フロネを飲み込もうとしているようで――
目を逸らした先。
「……リーゼ」
「ん?」
彼女の真紅の目が、闇の一点を見つめ、指差している。
「不用意に飛び込むな」
「分かってるわよ」
リゼアスタは剣を抜き、わざと足音を立ててそれに近寄る。
やがて彼にも、フロネが見ていたものが分かった。
丸太と切り株、投げ出された斧とが散見される、伐採所だっただろう広い空間。
その真ん中、手をひらひらと振って「こんばんは、修祓者」とにこやかに笑う若い男。
笑顔に歪む、赤い瞳。
「『首裂きの』ロルフ」
「いかにも」
優雅な動きで立ち上がったそれは、吸血鬼というには病弱に見えた。
細い肢体。艶のない髪。土気色の肌。
ただ、真紅の瞳だけが爛々とこちらを見つめている。
「『炎の』リゼアスタが来るとは私も有名になったものですかね?」
「まあな」
『首裂きの』ロルフ。
その凄惨な殺し方と残虐な性格から、生誕からたった一ヶ月で『教会』に存在を知られた。
それが目の前にいることが――少し、神経を高ぶらせた。
「是非、その美しい首を頂きたい」
「お断りだ」
白い胴衣を靡かせて、リゼアスタは一瞬の後に肉薄する。
ロルフは慌てる様子を見せなかった。
ただ、ついと手を動かして剣を抜き、リゼアスタの一撃を受け止めた。
「!」
細身のサーベルだ。
それなのに、しっかりとリゼアスタの剣に噛み付いている。
「はっ」
リゼアスタは嗤う。
大剣がぎりぎりと悲鳴を上げていた。
「剣が得意だったのか?」
「肉が裂けるものなら何でも使いますよ。剣だろうが爪だろうが、糸だろうがね」
「そう――っか!!」
サーベルの刃を大剣の波打った刀身で絡めとり、弾き飛ばす。
「くっ」
焦りの表情を見せたロルフだったが、リゼアスタはあえて剣を振るだけに留めた。
フェイントの向こう側、フロネが月を背にロルフに爪を突き出していた。
だが、それは柔らかな何かに阻まれる。
「うっわっ!?」
素っ頓狂な声を上げて、フロネはそれに突っ込んだ。
にやりと笑ったロルフの背中に生えていたのは、巨大な蝙蝠の翼であった。
弾力性のあるそれに弾かれて、フロネは宙で一回転する羽目になる。
「やるわね、新参者の癖に変身とは」
「おやおや。お褒めに預かり光栄です、『同族殺しの』フロネ様」
「あは」
フロネは自らの爪を舐める。
「私もすっかり名と顔が知られちゃって大変だわ」
「隠す気もないくせに」
リゼアスタは剣を持ち直す。
「お前の攻撃防がれたんだぞ? この意味分かってるのか?」
「分かってるわよう」
フロネが見開いた瞳の色は、鮮血の色から混沌とした紅蓮の赤へと変わっていた。
膨大な穢れた力が噴出を始める。
人の姿には収まらないほどのそれを、彼女はしっかりと御していた。
「だったら、こんなのいかが――」
フロネは大きく息を吸った。
そして放つ。
大気を震わす、全てに膝を地に着かせんとする女王の咆哮。
そのは長い響きと共に、彼女の姿は一匹の獣と化す。
鋼色の毛の並みと二本の尾を持つ狼へと。
「っ!」
ロルフの息の音。
それは恐怖を滲み出していた。
鋼色の狼はまるで弓から放たれた矢のようにロルフに迫ったかと思えば、次の瞬間には地を離れていた。
黒い幕のようなものを口に咥えて。
「ぎゃああああああああっ!!」
一拍遅れて、ロルフの甲高い声が響いた。
その背に生えた翼は片方のみ。
もう片方はフロネがまるで「とってこい」された棒切れのように、リゼアスタへと差し出していた。
「悪趣味め」
それに剣を突き刺し、瞬く間に燃やし尽くす。
「だって、割と面白そうなんだもの、ロルフって」
くすくすと笑いながら、フロネは人へと変化する。
四足が二足歩行へ。
銀の毛並みがそのまま銀色のドレスに。
シルクのような桃色の髪。
見開いた鮮血の眼。
妖艶な唇。
古き血の吸血鬼。『同族殺しの』フロネ。
その本来の姿は、修祓者であるリゼアスタにとっても恐るべき力を帯びていた。
「ひよっこのくせに変身できるし、悲鳴は素敵だし、その怯えた眼も、似つかわしくなくて面白いわ」
「……!」
「だから、こうして」
彼女は腕を広げて微笑んだ。
まるで母親のように、それでいて死神のように。
「絶望させて、みたくなっちゃって」
「悪趣味め」
リゼアスタは深くため息を吐く。
その青い瞳が、やけに白っぽく見えていた。
「早くしろ、聖印が疼いてきた」
「はぁい」
甘い声で返事を返し、彼女はドレスの裾を翻し――
刹那の時を渡り、ロルフに肉薄していた。
ワルツを踊る二人の様に。
「うあっ!」
しかし男性側は情けない声を上げ、女性側は妖艶に笑っている。
「貴方、剣だろうが爪だろうが糸だろうが、首を裂ける物なら何でもいいって言ってたわね」
「ひっ」
「でも私はやっぱりこれね」
彼女の細い指は易々とロルフの太い首に突き刺さり、そのままばりばりと鈍い音を立てて裂かれていく。
恐怖と痛みに塗れた悲鳴は、ただただ凄惨であった。
「あんたがこうして何人もの人間を殺して不幸にした、その事実を焼き付けて死になさい」
しかし、その月夜を裂く悲鳴の中、ゆっくりとリゼアスタは二人に歩み寄る。
祝福された大剣を手にして。
「後はどうぞ、『炎の』リゼアスタ」
彼女は恭しく、手にしたソレを彼に譲った。
「汝が在るべき所に帰れ」
振るわれる大剣。
吸血鬼の頭を叩き割った一撃は、炎となって不浄の身を焼き尽くす。
長く長く。
「……」
しかし、最期の最期に。
ロルフはにやりと笑った。
言葉なく、刹那に、しかし確かに。
「……」
リゼアスタは眉をしかめた。
それは、残酷に、彼に事実を突きつける。
「あはん。相変わらず、凄い火力だわ。震えちゃう」
無害な炭となったそれを蹴り上げたフロネは、元の黒いローブと賞金稼ぎの姿へと戻っていた。
「これからどうする? 食事にする?」
「……」
「どうしたの。黙っちゃって?」
「まだだ」
リゼアスタは身を翻す。
「まだ終わっちゃいない」
「……そう。あなたがそう言うなら、そうなんでしょうね、修祓者」
走り出したリゼアスタを、フロネが追う。
「俺は馬鹿だ」
「そうね。甘ちゃんでまだまだお子様ね」
「気づいていたんだ」
「そうだったの?」
「だが、気のせいだって。原因は他にあるって――だから」
「お子ちゃまめ」
しかし、フロネは笑わなかった。
二人は闇を駆け、町へと戻った。
血が舞っていた。
セプテティアの住民は皆、空ろな目で天を仰いでいる。
生きている。
しかし――誰もが血を吸われ、生気を吸われてこのままでは死を免れない。
「くっ……」
リゼアスタは通路に転がっている男の胸に手を当て、癒しの術を駆使し始める。
聖印の奇跡。
しかし、奇跡というには傷の治りは緩慢であった。
「リーゼ。慣れない事をするものじゃないわ」
「分かってるっ!!」
思わず声が跳ねた。
修祓者は相手を傷つけることに特化していて、誰かを治すことには長けていない。
リゼアスタが治療を行ったところで救える人間など高が知れていた。
本来ならば、『教会』の僧侶が行うべき仕事。
「ディーナ……」
目を閉じて、歯を食いしばる。
「分かって、いたんだ……」
「……リーゼ。立ちなさい。やることがあるわ。言われないと分からないの?」
「ああ」
リゼアスタの青い瞳が見開かれる。
自身への怒りで。
相手への後悔で。
背中の大剣を取る。
「時間が無いわ。出来るわね?」
「子ども扱いするな」
「ええ。行くわよ」
二人は骸の様な人々の群れを抜けて、走る。
教会に向かって。
その扉を解き放つと、影が二つ、ステンドグラスの前に落ちていた。
「ディーナ!!」
白い胴着を纏ったディーナは、男と揉み合いになっていた。
その蒼白な顔をリゼアスタに向け、彼女はか細く「リ、ゼ……」と声を発した。
「……そいつを離せ」
鋭い声。
しかし、二つの影が離れることは無かった。
リゼアスタは剣を構え、近寄る。
「離せと言ったぞ、俺は」
震える足で、震える腕で、彼は何とか射程距離内に踏み込んだ。
そして、振るう。
ディーナに向かって。
「!!!」
彼女は驚いたように男を離し、大きく飛び退いた。
捕まれていた男は力なく床に倒れる。
その首筋には、しっかりと噛み跡があった。
「何で、リゼアスタ……。ここに、来たの……?」
「お前の主人たるロルフは死んだよ。後は、お前だけだ」
「……なんで?」
ディーナはがくがくと震えている。
「お前が吸血鬼になったからだ」
「……!!」
彼女は自分の身を抱きしめて、きっとリゼアスタを――否、その後ろに立つ古き血の吸血鬼を睨んだ。
「どうして……リゼアスタ、あの吸血鬼を殺さないの?」
「さあな。お前には関係ない」
「あるわ!」
ディーナは激昂する。
「無害な吸血鬼であれば、貴方の隣に永遠にいれるのでしょう? 関係あるわ。私、あの吸血鬼と一緒になるんだもの!」
「……」
「でもそうやって私には剣を向けるじゃない。どうして? どうしてなの、リゼアスタ……」
しかし、リゼアスタはそれには答えない。
「いつだ。いつ、穢れた?」
「ロルフに何時会ったかって? ずっとよ! ずーっと前から、ここにロルフが着てからずーっと!!」
彼女の表情は一転し、楽しくて仕方ないと言った様子で饒舌に語り始める。
「少しずつ、私の身体が拒絶しないよう、少しずつ血を貰ったの! だからね、ほら! 貴方だって最初は気づかなかったでしょう!?」
ディーナは何の躊躇もなく胸を肌蹴た。
そこには円と三日月を組み合わせた、神聖な形を成す聖印が刻まれている。
だが、その色は血の色で、リゼアスタの神経に一筋の警告をもたらす。
穢れた者を殺せ、と。
それはもう、反射だ。
聖印を持つ者として。
「穢れたな、ディーナ」
「分からなかったくせに! ねぇ、最初は分からなかったんでしょう? ね、じゃあ、一緒じゃない。私の聖印が穢れてようが、なかろうが、一緒でしょう? ね? これで一緒の時を生きれるでしょう?」
「無理だ。お前はここで死ぬ」
「何でぇっ!!」
「お前は、手を出した。守るべき人に。だからっ!!」
振るわれた剣は、しかし容易く避けられる。
「なん、ですって!?」
フロネが驚愕の声を上げた。
ディーナは一瞬で霧と成り、リゼアスタの攻撃を避けていた。
「――っ!!」
リゼアスタは驚愕のまま体勢を整える。
しかし、ディーナが向かったのは修祓者ではなく、古き血の吸血鬼であった。
「あああああああああっ!!!」
かつて聖職者であった者の苛烈な声。
「くっ!」
古き血の吸血鬼は歯を食いしばりながらそれを迎える。
フロネの爪と、ディーナの牙が噛み合った。
「こいつぅっ……!」
フロネはその牙から逃れるべく霧へと変化を始める。
しかし、彼女の人の姿が消えた刹那、「あああっ!!」と甲高い悲鳴が上がった。
「フロネッ!?」
声が焦りで上ずる。
リゼアスタの傍らに再出現したフロネの二の腕は、ざっくりと噛み千切られていた。
「やられた……霧になった瞬間、もってかれたわ……」
「ディーナが、そんな力を」
「相性良かったんでしょうね。あの子は聖印よりも穢れた血の方がお似合いだったのよ」
「……」
ディーナは口元をべったりと血で汚して、笑っていた。
「そうよね、簡単よね。そいつ、殺しちゃえばいいんだ。そしたらその位置は、私の物だものね?」
「渡さないわよ」
フロネが痛みに顔を歪めながら、しかしはっきりと言ってのける。
「絶対に、リゼアスタの隣は、渡さない!」
古き血が力を放出した刹那、彼女の姿は銀のドレスに早変わる。
「渡すものですか――お前みたいな穢れた神経にっ!」
二人の吸血鬼の爪が再び組み合う。
「どうして彼に構うのぉ! あんたは吸血鬼でしょ、殺されてしかるべきでしょ、主の敵めぇっ!」
「あんた、自分のことばっかり――言ってんの、分かってるの?」
フロネの腕が獣の前足へと変化する。
「リゼアスタのこと、何も考えてないって、分かってるの?」
「考えてるわ! いつだって!」
それを真似るようにして、ディーナの腕も黒く変化していく。
「『炎の』リゼアスタ! 244年前に聖印を授かった修祓者! 今まで何人もの穢れた者を抹殺してきた、『法王』の右腕! そして、私を助けてくれた――私の救世主……!」
「ほら」
フロネは嗤う。
「何にも、分かってないじゃない」
「何ぃ……?」
「何も、分かってないわ。リゼアスタのこと、何にも、一つとして!」
黒い力がディーナの背中から放出される。
それは、吸血鬼になったばかりの者とは思えないほど、禍々しい。
「あんたにぃ、何がぁ、分かるっていうのよぉっ!」
「――っ!」
フロネの額に汗が浮く。
その力が、余りにも禍々しく、彼女の神経に障るのだ。
「フロネっ!」
リゼアスタは震える足で床を蹴った。
剣を捨て、手を伸ばす。
「がぁあああああああっ!」
吼える。獣のように。
そして、黒い力がディーナからフロネに向けて放たれる直前、二人の間に滑り込んだ。
「護りたまえ、『お前』が俺を本当に見ているならば――!!」
唱えた瞬間、黒い力が視界いっぱいを飲み込んだ。
だが。
「リゼアスタ……」
背中でフロネの震える声を受けた。
「ごめんな、苦しいだろ?」
純白の光が、リゼアスタの身を包んでいた。
聖印だけではない。その身をすっぽりと覆う、聖なる力。
退魔の光。
その右腕が、まるで見えない盾でも持っているかのように、黒い力の流れを寸断している。
「……いいの」
そう答えたフロネの身体は、がたがたと震えていた。
吸血鬼に、聖印の輝きは毒だ。
修祓者に、吸血鬼の黒い力が毒であるように。
「顔、見せて。それだけで――安心出来るわ、リーゼ」
リゼアスタは、少しだけ、彼女に顔を向けた。
彼の青い瞳が白く変化している。
「……ありがと」
「ああ」
左手で、彼女の手を握る。
確かに握り返された。
「行くぞ、フロネ」
「ええ、リゼアスタ」
リゼアスタの口から、聖句が放たれる。
「主よ。我を護りたまえ。我の聖印が翳るまで。我がその首に剣を突き立てるまで。主が――いや、『お前』が俺に飽くまで!」
ずるり。
感覚が滑り落ちる感覚。
視界の黒を切り裂く、白い聖なる力。
「……っ!!」
ディーナの息の音。
黒い力の向こう、確かに彼女の顔が見えた。
怯えた瞳。
「リゼアスタ……どうして、かばう、の……?」
「……俺は、俺の信じたやり方で、この世界を救う。俺の聖印が、翳るまで」
静かに言い放つ。
もう、腕も足も震えてはいない。
――背中で、震える『少女』を護りたいと、思っていた。
「来い、ディーナ! それとも、祈る時間が必要か?」
「……っ!」
彼女は牙を剥いた。
「なら、穢してやる、穢してやるぅうううう! 従者として、私の側に置いてやるぅううううう!」
迫る、かつての同胞。
リゼアスタは今、丸腰だった。
しかし――
「いいのよ、私のリゼアスタ」
――剣は、そこにあった。
フロネが笑んで、変化している。
彼女の身と同じ長さの、赤い紅い大剣へと。
「無茶させる」
「いいの。だって、私達、二人ぼっちなんだもの」
それを握ったリゼアスタの両手から、血が霧となって噴出した。
互いに毒なのだ。
互いに傷つけあっているのだ。
それでも。
それでも、今は。
「ああああああああああっ!!」
聖なる力を纏わせて。
紅く穢れた力を受けて。
渾身の力でもって。
立ち向かう。
対するディーナも、黒い力を纏わせて二人に迫った。
視認する空間が歪むほどに、ぶつかり合う相反する力。
だが――その力の差は、圧倒的であった。
「あ、あぁっ……?」
捻りながら突き出された大剣は、ディーナの力を真正面から突き破り、その胸をもざっくりと刺していた。
血は出ない。
ただ、黒い何かが粘度を持って噴出しているだけだ。
「ディーナ」
リゼアスタはその白く揺れる瞳を彼女に向ける。
互いの息が分かる距離で。
「君に、光あれ」
絶望し、怯えた瞳に、白い炎が灯った。
「あ、あ、あっ、ああぁっ……!!」
「痛いよな。ごめんな」
「リゼ、アスタぁっ!!」
それは、愛しい者を求める叫びだったのか、それとも呪いの言葉だったのか。
もう、確かめる術は無い。
彼女は白い炎に包まれ、灰も残さず、この世界から消滅した。
それと同時に、彼の身を包んでいた白い光も収束を始める。
「……」
穢れた力に当てられて、血みどろになった身体が不意に揺らぐ。
もう、立っているのも難しかった。
しかし、その身体は床に出会う前に抱きとめられる。
「フロネ……」
柔らかいその身に縋りつく。
「……ごめん。辛いだろ?」
彼女もまた聖印の力を纏ったために衰弱しているのが見て取れた。
それでも、その身を抱かずにはいられなかった。
温もりを欲していた。
「リゼアスタ」
彼女は微笑んで、まるで聖母のように彼を包んだ。
「貴方のほうが、何倍も辛いでしょう」
事実。
修祓者の身体は直ぐに再生するというが、穢れた力に対してはそう簡単な話ではなかった。
もう閉じてしまいたい瞳を必死に開けて、彼女を見つめる。
「……ディーナは、もっと、辛い」
「ええ」
フロネはリゼアスタの頭を抱く。
「ねぇ、リーゼ。……私の、従者に、ならない?」
「っ……」
心臓が跳ね、呼吸が一瞬止まる。
何を言っているか分からないという表情で、彼女を見つめる。
「もう、見てられない。傷ついていく、貴方を……」
「……」
「ねぇ? 悪くないでしょう? 今までと同じ。ずっと、一緒に、いられるのよ……」
――崩れた教会の中、今、二人きりだった。
いや、ずっと――244年前から、二人ぼっちだった。
いつだって。こうして二人で傷ついてきた。
「嫌だね」
リゼアスタは強く言い放つ。
「俺は、俺の意思で、お前と一緒に居たい――従者になったら、それはもう、俺じゃないじゃないか」
「でも」
「お前は、いいのか? お前だけしか見ない、俺で」
「……リゼアスタ」
フロネの瞳からぽたりと涙が落ちる。
「ごめんね。あの日、私が、生かしてしまったから」
「いいんだ。本当に、いいんだ……」
彼女の身体を包むようにして、リゼアスタの意識は閉じた。
次に目を覚ました時、そこは柔らかなベッドの上であった。
木の匂いと香の匂いが五感全てに起きろと告げている。
「……あ?」
思わず声が上ずる。
「やあ、リゼアスタ。ようやくお目覚めかい」
その声の主を、見なくても分かった。
「聖下。どうして」
それは、教会の『法王』その人であった。
彼は重厚な布の服を纏い、それには不似合いな簡素な椅子に座って、経典を読んでいたようだった。
「どうしてって――君、『夢』を見たのかい?」
絹のような長い前髪をかきあげて、『法王』は首を傾げる。
「あっ……」
夢を見なかった。
それは一つの事実を告げていた。
「……俺に、『休眠』を?」
「ああ。じゃなきゃ君、今頃死んでるよ。あんなに穢れた力を受けて、さ」
「どれくらいの間……」
「半年」
「半年っ……!」
思わず、語尾を荒げてしまった。
「ディーナのことは」
「ああ。『記憶違いの』ホーランドが教えてくれたよ。大変だったな、リゼアスタ」
『法王』はにっこりと笑いかけた。
しかし、リゼアスタはそれに応える事が出来ない。
「セプテティアの住民にはちゃんと治療を行ったよ。お節介かもしれないけど、記憶の処理もしておいた」
「……」
リゼアスタは深く頭を下げる。
「教えてください、聖下」
「うん?」
「俺は――俺の聖印は、まだ、翳っていないのですか?」
その質問に間髪入れず、「ああ、まったく。羨ましいほど美しく輝いているよ」と答えた。
「そう、ですか」
「迷うのかい、リゼアスタ」
「……」
「君は、君のしたいことしなさい」
『法王』は立ち上がり、「お嬢さんが待っているよ」と告げた。
「フロネが……?」
「早く行ってあげなさい。彼女は、僕が居る場所じゃ辛いだろう」
「……」
こくりと、深く頷く。
――この『法王』はリゼアスタの全てを知っている。
だのに。
「その聖印が翳るまで。君に光あれ」
笑って送り出すのだった。
リゼアスタは走る。
――ここは、見慣れた帝都の大聖堂だった。
慣れた道を行き、「ああ、リゼアスタおはよう」などという暢気な声に手を上げて答え、入り口に走った。
「……フロネ!」
彼女は、桃色のワンピースを纏って、そこで待っていた。
「無事、だったか」
「貴方よりは大分、ね」
そう言って笑った彼女の肩が震えている。
『法王』の力が強すぎるのだ――
一刻も早く離れたい。
それが、彼女のためだ。
「飯、行こうか」
「え」
「半年前の話になるが、気が向いた」
フロネは呆けた顔をして、しかしゆるゆると嬉しそうに笑った。
「よし、たらふく食べるわよ! 先ずは帝都を脱出して、隣の国まで行くわ!」
「ああ」
彼女の笑顔は、リゼアスタの心に染み入る。
それだけで、良かった。
――血の河を渡り、それは新米の修祓者に近づいてくる。
故郷の人間の首を投げ捨てて、彼女は、こちらを紅い瞳で見つめている。
「お前、お前が……皆を、殺したの、か!?」
「ええ」
澱みなく、その吸血鬼は答えた。
修祓者の頭の中は真っ白になり、何事か叫びながら彼女に剣を振り上げた。
が、
「お子ちゃまめ」
その剣はあっさりと弾かれる。
手から弾き飛ばされた剣を目で追ってしまい、その隙に吸血鬼は彼の首に爪を立てた。
「――教えてあげるわ」
恐怖で顔を歪ませた修祓者を、彼女は睨みつける。
「ここの住民は、私が来た時にはもう人間じゃなかった」
「うっ、う、そ、だ」
「修祓者の癖に、死体が穢れているかどうかも分からないの? よく見なさいよ」
頭を掴まれ、強制的に視線が積み重なる死体へと向けられた。
そして、悟る。
「うそ、だ……」
その全てが、しっかり、漏らさず、首に噛み跡をつけられ、赤い目を剥いていた。
「お前が、やった……?」
「そう思うの?」
「……いや、ちが……お前の口から、血の匂いが、しない……」
「お子ちゃまのくせに、しっかりしてるじゃない」
彼女は修祓者を解放し、背中を向けた。
「お前は……なん、なんだ? 吸血鬼、なのか? 世界を、穢す、者なのか?」
「お子ちゃまのくせに、私に斬りかからないのね。立派な武器はハリボテ?」
「はぐらかすな、教えろ……! なんで、お前は、俺を殺さず……従者を、殺した?」
吸血鬼は、紅い瞳を修祓者に向ける。
悲しそうに。
それに、修祓者ははっとした。
とてもではないが、世界の平和を乱す者に見えなかったから。
「知りたいなら教えてあげるわ、世界の、神の真実を。でも、それを知って、貴方がどうするかまでは責任持てないわよ」
「……」
深く、頷いた。
「……私は『同胞殺しの』フロネ。貴方は?」
修祓者は先日受け取ったばかりの名を告げる。
「リゼアスタ。『炎の』リゼアスタだ」
...to be continued