導入:『"聖歌隊"』
イルムガルデ。
ラーデックに程近いその地方都市は、聖北の影響を受けた、宗教色の強い街である。
しかし決して堅苦しい雰囲気ではなく、多くの観光客が訪れる賑やかな場所だ。
見所は巨大なステンドグラスが掲げられた聖エリーアス大聖堂。
郊外に少し足を伸ばせば美しいアルバン湖もある。
市民よりも年間の観光客の方が多く、この街は主に観光業と教会への寄付で成り立っているのだ。
信心深い人々と着の身着のままな観光客とが混在する、そんな雑多な雰囲気の中に"天馬の提琴亭"はあった。
賑やかな大通りの先、閑静な住宅街へと続く細い路。
簡素な看板を掲げたその『冒険者宿』の扉をくぐる者が一人。
「いらっしゃい、ようこそ"天馬の提琴亭"に」
入店するなり最初に聞こえてきたのは、明るいが低い男の声であった。
カウンターに目を向けると、赤い髪のいかつい顔をした男がカップを磨いているところだった。
「あ、えっと……」
その強面に、客は一瞬入店を後悔した。
「……いかがされたかな?」
「あ、す、すみません……ええっと……」
「……」
赤い髪の男はカウンターから出て、「お座りください」と客に椅子を勧めた。
――そこで客は、ようやく宿の中をじっくりと見ることが出来た。
白を基調とした内装は華美ではないが美しく、今腰掛けた椅子はしっかりとした革が張られている。
清潔感がある――というよりも、生活感がない。
客室ではないからだろうか思っていると、目の前の男が肩を竦める。
「そんなに緊張なさらないで。今日は、どういったご利用で?」
「あ、その……し、仕事の依頼を……」
「依頼、ね」
男がとんとんと机を指で叩いた。
どうも、機嫌は良くないらしい。
「ここがどういう宿かはご存知で?」
「冒険者宿だ、と」
「ふうむ……。誰から聞いた?」
男の口調が固くなる。
「ギュンター神父から」
「……ほう!」
男の黄色の目が、驚きに見開かれた。
「それで?」
続きを促すその言葉に、先ほどまでの苛立ちは見られない。
「そ、その……うちの村の墓に、怪しい集団が集まっていて、その……村民に暴力を振るうのです」
「ふむふむ」
「小さな村ですから自警団なんてものもありませんし、それでギュンター神父にご相談したところ、ここへ行くように、と」
「なるほど」
「他の冒険者ではなく、ここをと言われまして、その……」
「賢明なご判断ですな」
男はにやりと笑った。
まるで、何かに満足するように。
「ふふふ……では、お引き受けいたします」
「ほ、本当ですか! よ、良かったあ……」
「ただし、我々も土地勘があるわけではありません。村までご同行いただいても?」
「それはもちろんです! 私もこのまま皆さんと一緒に帰ります」
「結構。では――ヴァイオレット!」
男が呼ぶと、緩やかな服を纏った赤い髪の若い女性が「はいはーい」と現われた。
「依頼人だ。今日は此処に泊まる。世話を」
「分かったわ、お父さん」
部屋を片付けてきますねと彼女が下がった後、「娘さんですか?」と客は尋ねた。
「ええ。出来た娘です。あれで魔法を使いこなし、我々の参謀まで勤める」
「参謀? 我々?」
「ああ。我々のことをご紹介しなければならないか」
男は笑い、「私はアダム。この宿の亭主にして、"聖歌隊"――この宿唯一の冒険者パーティのリーダーだ」と手を二度叩いた。
「お客様だ、集まれ!」
すると、部屋の奥から「はーい!」と元気良く少年が現われた。
金髪が目に明るいその少年は「一番乗り!」とアダムの隣に駆けてくる。
「彼はエメリ。よく気がつき、目のいい子だ」
「よろしくね」
ぺこりと頭を下げられ、客も慌てて会釈を返した。
「早くアデラもおいでよ!」
次にやってきたのは修道服を着た老婆であった。
「アデラと申します。以後お見知りおきを」
丁寧に十字を切る動作から、彼女が敬虔な使徒であることがうかがい知れた。
「……ディエ、そんなところにいるな。もっとこちらに来い」
柱の影に隠れていたのは、茶髪の少女であった。
彼女はちらりとこちらを確認して、「ここでいい」と呟く。
「……ディエ。銃が使えるわ」
「は、はあ……」
なんとも地味な子であった。
ちらりと見えた額には、
「……カジはどうした?」
「カジなら」アデラは心配そうに頬に手を当てた。「アダム、貴方が依頼を与えたんですよ」
「そうだった」
アダムは「はぁ」と右手で自分の顔を覆った。
「……いや、もう一人いるのだよ、我々"聖歌隊"の『剣』が――」
「あ」
エメリが声を上げる。
「帰ってきたね」
「ふむ。その耳、流石だな」
宿の扉が開かれる。
入ってきたのは黒い聖北のコートを着崩した青年だった。
こちらに気づくと不思議そうに首を傾げる。
「カジ。仕事はどうだった」
「無事に終わったよ」
「そうか。次の仕事が入った、ご挨拶をしておけ」
「……」
青年は客に歩み寄り、深々と礼をした。
その腰には、銀の長剣が下がっている。
「カジです。よろしくお願いします」
丁寧な挨拶であったはずなのに、客は身を震わせた。
――この青年は、何か恐ろしいことをやってのけた後だ。
生物としての本能がそう告げた。
「以上が"聖歌隊"だ。貴方の依頼、完遂して見せよう」
客の表情は恐ろしさに固まっていた。
「で?」
カジは馬車に揺られながら腕を組んだ。
「アンタが受けたんだ。それなりの事情っていうのがあるんだろう?」
「気になるか?」
アダムは聖書を読んでいて、カジと目線を合わせようとはしなかった。
「昨日あれだけ問い詰めても吐かなかったんだ、今だって素直に答えてくれるとは思ってない」
「分かってるじゃないか」
「でも聞かずには居られないさ。ただの喧嘩の仲裁を、俺達がやる意味は――」
カジの言葉を、ヴァイオレットが「まあまあ」と遮った。
「いいじゃないの。行ってみれば分かることでしょう?」
「そりゃそうだが」
「……カジは仕事熱心」
銃を磨いていたディエがぽつりと呟くと、カジは「ええい」と顔を背けた。
「皆無関心すぎる」
「カジみたいに疲れて余裕がないわけじゃないからね」
エメリにまで笑われてしまった。
「昨日の今日で依頼をやることになった俺の気持ちも考えろ」
「傷なら私が治したじゃないですか」
「そういうことじゃないんだよ、アデラ!」
くすくすとヴァイオレットの笑い声が響く。
「カジは怒りんぼさんだから」
「……真面目すぎるの」
「そうねぇ」
カジは「もういい」と呟いて目を閉じた。
「お前達、もう少しカジを労ってやれ」
「お父さんが一番軽率にカジを使ってると思うけど」
「そうか?」
「自覚なしじゃ駄目でしょ」
親子の会話を聞き流しながら、カジは考える。
自らの立場を。
――普通の依頼な訳がない。
"聖歌隊"は普通の冒険者パーティではないのだから。
「あ、見えましたよ、あそこです!」
外から依頼人の男の声がした。
カジが前を伺うと、なるほど夜空の下にぽつりぽつりと明かりが灯っている。
結局イルムヒルデを早朝に出てこの時間までかかってしまった。
「泊まる場所、あるんでしょうか。ちょっと腰が……」
アデラが困っている。老人に半日以上の馬車は堪えたのだろう。
「……私も、机で銃の手入れがしたい」
「宿が一軒ありますから、そこを手配しますよ」
依頼人はそう言ったが、カジはアダムに向かって「無理だろうな」とぽつりと呟いた。
「何だ、カジ」
「黙ってるなんて酷い男だな、アンタは」
「……ふむ、感じるのか? この距離だぞ」
「見くびって貰っては困る」
「そいつは失礼」
カジの精神には、それがはっきりと触れていた。
――神の意に背く邪悪な者が、あの村には巣食っている。
「なんてことだ」
愕然として言葉を失った依頼人の男を押しのけて、"聖歌隊"は前に出た。
村であるはずの場所にうようよと歩いているのは人型でありながら人ではないものであった。
「ゾンビの村か。壮観だな」
「言ってる場合か」
カジはアダムを睨みつける。
「この分じゃ村人は――」
「だからどうした。"聖歌隊"の役目は変わらんよ」
「……」
目を逸らす。
「さあて」エメリは楽しそうだ。「どっから滅ぼす?」
「当然……全部でしょう」
がちゃりと重い音が二つ、ディエの手の中で響いた。
銀色の銃が二丁。これが彼女の得物だ。
「おっけー、じゃあ行くよ!」
エメリががするりと引き抜いたのは鞭で、二人は我先にと飛び出していった。
「お父さん、私はアデラと依頼人を守るわ」
「そうしてくれ。――カジ?」
「ああ……」
"聖歌隊"の一人である以上、カジに選択肢はない。
彼もまた剣を抜き、走る。
隣を行くのは槍を構えたアダムだ。
「あれはもう人間じゃない。お前の剣を振るう相手だ」
「……うるせぇ。分かってる」
閃光が爆ぜる。前方でディエが戦っているからだ。
彼女は銃を使う。
しかし、その利点――遠距離からの攻撃――を完全に捨て、彼女は敵陣へと躍り出る。
ディエの銃は、敵を無差別に撃ち殺すためにあるからだ。
「あっはっはっは! 何これ弱すぎっ!」
轟音と光の中、軽やかな身のこなしで次々とゾンビを打ち抜いていく彼女は、先ほどまでの陰鬱な雰囲気を持っていない。
――いつものことだ。
一方でエメリは、鞭をしならせ、敵を自分の陣地へと入らせない。
「ばっちぃなぁもう!」
口は相変わらず悪い。
「カジ、お前は突き進んで大本を探せ。一人でやれるな?」
「もう子供じゃない」
「よし」
アダムは手近な者に槍を突き刺し、「行け!」とカジを送り出した。
走る。
闇の中、きらめきを一つ伴って。
目の前に飛び出してくる、人間だった物を一刀の下に切り伏せる。
いっそ心地よく。
月下に千切れ飛ぶ、赤い飛沫。
それを浴びながら進む。
構っている暇などない。
心象に浸っている暇など、ない。
「……っ」
息を呑む。
――見つけた。
「な、何だお前は?」
ひしゃげた声を上げたのは、暗い色の衣を纏った老人。
その胸元から薄汚れた魔力を感じる。
「聖北の狗だ」
小さく呟き、肉薄する。
「っ!」
だが、間に滑り込んできたのは、屈強な体を持つゾンビであった。
その悪臭に顔をしかめながら、カジはその崩れかけた顔に剣先を見舞う。
湿った音が手を伝った。
「聖北ぅ……!? まさか、早過ぎる!」
狼狽した声。
「腰の重い老人共が、こんな偏狭に村に人員を出す――そんな、早過ぎるだろう!?」
「嘘だと言いたいのか」
じりじりと逃げようとしているその男から目を離さず、カジは倒れこんだゾンビから剣を引き抜いた。
ぬらりとした赤い液体が、ぽたぽたと剣先から落ちる。
――目の前の男は、恐らく死霊術師。
この村の墓を荒らし、最終的に村人全てをゾンビに変えた者。
その目的を、知ろうとも思えなかった。
ただ一つ。
『この男を殺すことが"我々"の仕事だ』。
あの依頼人からではない。
遥か上からの仕事だ。
「信じられん……お前、聖北の何処の者だ。騎士団か? それとも」
「……"聖歌隊"」
「何?」
「それ以上は、何もない」
剣を構えなおす。
鋭く息を吸い、意識を集中する。
「法力――」目の前の男は唸る。「本物、か!」
「はぁっ!」
奮える精神を鎮める為に、あえて吼える。
「ちぃっ!」
男はカジを指差した。
そして、短くて小さな詠唱。
その意味は分かっていたが、剣の重さに方向転換が効かない。
指から放たれたのは、『魔法の矢』のような高密度の魔力であった。
それを真正面から受けて、カジは後ろに吹っ飛ぶ。
避けられるほどのスピードは持ち合わせていなかった。
ただ――
「何故、倒れん……!?」
痛みに耐えられるだけの精神と命はあった。
穿たれた肩から多量に血を流しながら、それでもカジは跳ねる。
「うおおおおおおっ!」
剣を袈裟懸けに振り落とす。
骨を絶つ重い手応えがあった。
「ばかなっ……『魔法の鎧』を、突き破る、そんな……!」
どさりと崩れ落ちた男は、それでもまだ息があった。
赤い命を垂れ流し、呆然と闇を仰いでいる。
「……」
カジは息を整え、無駄だと思いながらもその一言を紡ぐ。
「村人を元に戻せ」
「は……はは……どうも、聖北の狗は、頭が悪いようだ……出来るわけがない、だろうよ」
「……そうか」
くるり、剣を回して「じゃあ、いい」とその剣で男の首を刎ねた。
反応を許さない速度で。
ころりとそれが転がったのを確認して、カジは周りをゆるゆると確認する。
――命亡く動くものに、すっかり囲まれていた。
「あいつら本当に仕事してんのか……」
眉間を指で揉み「サボっていたら、殺す。そうしよう、それがいい」と舌打ちする。
前髪の向こう、夕暮れ色の瞳が見開かれる。
「命亡き者なら、失せろ――『亡者退散』ッ!」
闇夜を照らす眩しい光。
浄化の光が、辺りを席捲した。
カジが村の入り口に戻ると、「お帰りなさい」とヴァイオレットが手を振っていた。
舌打ちして「アンタら真面目にやってたのか」と毒づく。
「してた」
落ち着いた様子のディエが大真面目に頷く。
「まー、大体が主を守りに向かったかもしれないけれどねー」
エメリがあっけからんと言うので「そこは止めろよ」と牙を剥く。
「カジ、怪我が」
「……」
そういえば右肩を派手に打ち抜かれたのだった。
上着を脱ぎ捨て、それを見せる。
まだ血は流れ続けていて、上着はぐっしょりを赤く濡れていた。
「まあまあ……今治しますからね」
アデラは回復の奇跡の天才だ。
その手がかざされると、傷はあっという間にふさがった。
「ありがとう」
「いえいえ、無事で何よりですよ」
「……あ、あの……」
依頼人の男は、蒼白な顔を一同に見せた。
「一体、この村は、どう……」
「……」
全員の視線がアダムに集まる。
「大方、墓暴きの死霊術師に蹂躙された、ということでしょうな」
「そ、そんな……」
「ご安心ください。我々"聖歌隊"は聖北の者です。この地の邪悪は拭い去ります」
「なんと……そうだったのですね。おお、神よ……何というお導きか……」
依頼人は十字を切ったが、表情は晴れなかった。
「……しかし、村は、もう戻らない……」
「それも、ご安心ください」
アダムの動きは早かった。
刹那、銀の槍の先端が依頼人の頭の向こうに抜けていた。
それを、誰もがただ観ていた。
「貴方はそれを嘆く必要もないのですから」
どっと倒れた依頼人の体から、命が流れ出る。
カジはそれを平坦に眺めた。
――見てしまったから、仕方ないのだ。
聖北の名を冠する者が、どんな理由にせよ問答無用に『皆殺しにした』事実を、見てしまったのだから。
「さあ、浄化するぞ。体の一片すら残すなよ」
「分かってるわ、お父さん」
ヴァイオレットが長く長く詠唱すると、魔法によって現われた炎が地を焼いた。
まるで浜に打ち寄せられる波のように、静かに、確かに。
暫くそれを眺めていた面々であったが「じゃあ、僕は先に帰るよー」というエメリを先頭に、一人、また一人と炎に背を向けた。
最後まで残ったのはカジとヴァイオレットだけだ。
「面倒でしょうに」
「え?」
「最後まで見届けるのは。私だけで良いと、何度も言ったわよ」
「……いいんだ」
まだ『青さ』を残す顔が、炎に赤く照らされていた。
祈ることはしなかった。
"天馬の提琴亭の聖歌隊"。
冒険者を隠れ蓑とした、聖北教会お抱えの私兵である。
彼らは『ごく普通の』依頼をこなしながら、聖北の敵を斬る。
その正体を知った者ごと。
そこに神の慈悲はない。
――死こそかの慈悲であるというならば、話は別だが。
この物語は、そんな五人ともう一人の話である。