「Open eyes」(病み鍋祭り)
(作者:烏間鈴女様)
――酷く頭が痛む。
闇の中にいるはずなのに、閉じた瞼が光に刺されて痛む。
どうしてこんなに頭が重いのだろう。
幾分身体もだるく感じる。
浮遊するような、もがく様な、無様な自分の意識。
自分だけの世界のはずなのに、傍らには誰かの気配がある。
――誰か?
離れて千切れていた意識が、身体が、ふっと己に戻ってくる。
「んあ……?」
間抜けな声を発して、カジは重い瞼を上げた。
「……起きた? カジ」
ディエだ。
彼女はか細く言葉を紡ぐ。
「……大丈夫?」
からかいを含んだその声は、重い頭に良く響いた。
「大丈夫、って――」
その先を言う前に、思い出した。
昨晩は酒を飲んでいて、遅くなって、最後にはディエと二人きりになったのだった。
飲みすぎた覚えはなかったが、記憶がない以上、おそらく破目を外しすぎたのだろう。
――何をどれくらい飲んだっけ?
まさか前にリューンの宿の親父がくれたサケではあるまいし、そんなに飲んだつもりもなかったのだが。
――油断大敵、ということだろう。
「気分は……よくはねぇな。頭が痛ぇ……」
ちらり窓の外に目をやると、陽は随分と高くなっていた。
眩しい。
どうもかなり寝過ごしてしまったらしかった。
「……まったく」彼女は笑う。「皆、もう……出かけた」
「う……そ、そうか……悪いことしちまったな」
何かの依頼が入っていたような、しかし、それが思い出せない。
しかし、ディエが言うならそうなのだろう。
申し訳ないと思うと同時に、まあたまには困らせてやってもいいだろうとも考えてしまう。
随分働いた気がしていた。
それをどう思ったのか、ディエは「しまった」とでも言いたげな顔をした。
「ごめん……気に、しないで。私も……悪いし」
彼女は「今日は一日、ゆっくりしよう」と提案して、心配そうにカジの顔を覗き込んだ。
「顔色、ひどい、から」
深刻そうな顔をするのだなとぼんやり思い、カジはそれに頷いた。
――そんなに顔色が酷いのだろうか。
「そんな顔するなよ。俺が今にも死にそうだって感じだぞ」
「……ごめん。もう、昼も過ぎてるし……流石に、心配だった……」
「……はぁ? 昼過ぎ!?」
思わず声が大きくなる。
「冗談、そんなに寝てたのか……」
カジは頭の痛みに顔をしかめる。
――二日酔いにしても、あまりにも酷い。
「……とりあえず、今日は休んで」
ディエの冷たい指が、カジの手に触れる。
「責任持って、私が面倒見る」
「いや、別に責任って――」
それを笑い飛ばすだけの余裕はなかった。
ぐらぐらする頭を支えきれず、カジの体は離れかけていたベッドに戻る。
そんな自分を、ディエが見ている。
優しく。
見た事がないほどに。
――いや、
カジは掠れた意識の中で思う。
そんな笑顔を、ずっと前に見た事がある気がする。
いつだろう?
どこでだろう?
だが、思い出されるのはここ最近の事ばかりだ。
――そういえば、一ヶ月か、二ヶ月前にもこんなことがあったような。
ディエと飲んで、そうして、こうして――
「とりあえず……目を閉じて、楽にしておいて」
彼女の言葉に、はっと現実に引き戻された。
そうだ、頭が、痛いのだ。
だから、余計な事を考えてしまうのだ。
「私は、水……取ってくるから」
「あ、ああ……頼んだ」
彼女はぱたぱたと部屋を飛び出していき、カジは一人残される。
「……」
頭が痛い。
彼女に言いつけられた通りに目を閉じる。
昨晩、どうやって部屋に戻ったかすら思い出せない。
酔いつぶれたのだとしたら、ディエが運んでくれたのだろう。
悪い事をしたなあとぼんやりと考えているうちに、ディエが戻ってくる気配がした。
「水……持ってきた。喉、渇いてない?」
ほら、と差し出されたグラスを受け取る。
「ありがとう。実はからからでな」
水を口に含むと、それだけで少し気分が楽になった。
乾いた身体に休息に水が染み入る気がする。
「はぁ、なさけねぇ。こんな事で一日休む羽目になるとはなあ」
「……まあ、たまには……そういう日も、ある。気にしない」
彼女は小さくはにかんだ。
「たまにはこうして、ふたりでゆっくりするのもいい、かな?」
「違いねぇ」
精一杯笑って見せる。
「こうして二人きりになるのも、暫らくなかったよな」
――暫らく。
カジは己の出した言葉の意味を反芻する。
暫らく、とは。
どれくらいの時間を指すのか。
「カジ、最近……いろいろ忙しかったから。休めってこと、かも。依頼人に呼び出されたり、飲み会したり、かと思ったら皆で長期の依頼も受けた」
「……そうだっけ」
「……疲れすぎて、忘れちゃった?」
「……」
最近、とは。
どれくらいの時間を指すのか。
何だかぼんやりと、それでいてはっきりと、ぐちゃぐちゃになっている、気がした。
「まあ、今日は他の事考えないで、休んで?」
「そう、だな……」
随分長く走り続けた気がしていた。
全部かなぐり捨てて、一人で、遠くまで。
グラスをディエに返し、再び横になって天井を見上げる。
不審なものも見えない、いつものそれだ。
「なあ」
カジは言葉を投げる。
「前にもこんなことがなかったか」
暫し、沈黙。
「……そう、かな?」
「ああ。ちょっと前に……今日みたいに、俺が二日酔いで倒れた事、あったよな。あの時も、ディエが傍に居た気がする」
また、沈黙。
自分の記憶違いだっただろうか――そう言いかけたが、彼女は「そういえばそんなこともあった」と肯定した。
「もうちょっと、気をつけていれば良かった。でも、まあ……自分でも、気をつけて、ね。明日から」
「そうする。……そのうちまたやっちまいそうだが」
「……ふふ」
「否定してくれよ……」
ディエはおかしそうに笑うだけだった。
それを眺めているだけだというのに、頭はずきずきと痛み続ける。
「なあ、昨日俺、どれくらい飲んだ?」
「……覚えてない?」
「何にも。飲みすぎた記憶すらねぇんだが」
「そう……」
彼女はふと、俯く事で表情を隠した。
「覚えてないなら、覚えていないで、いい……」
「なんだそりゃ。怖ぇんだけど」
「知らない方がいいことの一つや二つ……世の中には、ある」
「やめろよそういうの、寒くなるだろうが」
――昨日の自分は、一体何をしてしまったのか。
「その話は……置いといて、とりあえず、休んで」
食事を取るかと聞かれ、カジは考え込む。
皆が宿にいない以上、食事を作るのはディエだろう。
彼女は控えめに言っても料理が上手くない。
「粥だったら……」
とりあえず「彼女が作っても食べられそうなもの」を頼んだ。
「分かった」
「わりぃな」
「いい、別に。……カジは、それで……いい。私の好きでやっていることだから」
「……そうか。お言葉に甘えて、ゆっくりさせてもらうぜ」
ディエは嬉しそうに微笑んだ。
特別な事を言ったつもりはないのだが。
「少し、待っていて」
「ああ」
彼女が去り、再び目を閉じると、頭痛と倦怠感が思い出したように襲ってきた。
ディエと話していて、すっかり忘れていたというのに。
せめて腹を満たしてからとも考えたが、意識はしごくあっさりと沈んでしまった。
「今日は……一緒に居られなかった」
気がつくと、『天馬の提琴亭』のカウンターに座っていた。
目の前には安物のワインの瓶があって、グラスの半分ほどが赤い液体で満たされていた。
――今日も良く働いたな。
仕事の記憶がないのは引っかかったが、こうして酒を煽っている以上、何かは成し遂げたのだろう。
ワインを煽る。
苦い味がした。
「カジ、また飲んでる」
ちらりと視線を投げると、ディエが呆れた様子で立っていた。
「一緒に、いい?」
「ああ、いいぜ」
「ん……」
彼女はカジの隣の椅子に腰を降ろした。
「そういえば、この前はありがとうな」
「……突然、どうしたの」
「いや、この前。二日酔いの時、礼を言えてなかったな、とな」
――この前?
カジは自分の頭にわいた疑問を無意識に消し飛ばした。
「……別に、気にしないで。当事者として当然のこと、だから」
「謙虚だなあ。礼ぐらい言わせてくれよ、あんな酷い二日酔い、リューンにいったっきりなんだからな」
カジは苦笑する。
「おかげで、翌朝は普通に依頼も受けられたしな」
――どんな依頼を受けたかは忘れてしまったが。
いや、記憶になかったが。
そもそも、受けたかどうかはっきりしないのだが。
「……こりずに、飲むの」
「そこはそれ、気をつければ何とかなるだろ」
「気をつければ……確かに」
「そういうお前も、飲みたかったんだろ?」
彼女はかすかに首を横に振った。
「カジから……迂闊に、目を離すのが、心配で」
「信頼がねぇなあ。今日は平気だって、今日は――」
ボトルを引っつかみ、乱暴にグラスに注ぎ入れる。
赤い水面がくらりと揺れた。
それを彼女に見せ付けてから一気に煽る。
酒が回って、身体がさっと温まった。
「ほら、どうってことねぇ」
「仕方ない。……じゃあ、注いであげる」
彼女は丁寧にワインを注いだ。
先にカジのグラスに、続いて自分のグラスに。
丁度同じ量になるように。
「……どうぞ」
「じゃ。ありがたく」
グラスを手にしたカジだったが、彼女の視線が気になって首を傾げた。
「……どうした、俺のことをじっと見つめやがって」
「……そんなつもりは」
「そうか?」
「……しいていえば、この前の一件。少し、気にしてて。悪いこと、したな、って」
「ディエのせいじゃねぇだろ。気にすんな」
カジは自嘲気味に笑って見せる。
「あの時は相当疲れてたんだろうさ。自分の体調が分かってないなんて"聖歌隊"にあるまじき、だな」
「……そうかもしれない。気を、つけて。それよりも――……?」
不意に、ディエが不思議そうに宿の扉に目をやった。
カジもそれを追ってみるが、特に何もない。
「どうかしたのか?」
「誰か……居た気がして」
「誰もいねぇぞ。……見てきてやろうか」
立ち上がりかけたが、ディエは首を横に振った。
「……多分、気のせい。気が立ってただけ、だと、思う」
「そうか? なら、いいか」
腰を下ろし、カジはふと思う。
――この会話に、奇妙な既視感があった。
この会話はしたことがある。
誰と?
いつ?
「カジ? 黙りこんで……どうかした?」
「あ、うん、いや……多分、なんでもねぇ」
「さっきの話だったら……気にしないで」
「ああ……いや、大丈夫だ」
『何か』が警鐘を鳴らしている。
それを思い出さなければならない。
会話、夜のカウンター、他に誰もいない宿、二人きり。
それは、いつだ?
そして、その日は、そのあと――
「カジ」
ディエの呼びかけに、思考が断ち切られる。
「難しい顔で……どうか、した?」
「……」
心配そうで、それでいて安心させるように微笑んで、彼女はカジを見ている。
「大した事じゃねぇ。前にもこんなことが、あった気がしてるだけさ」
「……そう?」
「ああ、気のせいなのかもしれねぇ。でも、妙に気になって」
「……疲れてるんじゃ? 眉間に皺が寄ってた」
「ふん。……気にしない方がいいんだろうな」
カジは苦く笑う。
「ディエは最近どうなんだ? 眠れてんのか? 寝つきが悪いとか、言ってたような」
「ああ、あれ? ……大丈夫。ヴァイオレットが、いろいろしてくれた」
「ふうん。心配してやる必要はなかったな」
「心配してくれるの?」
「まあ、な。……何だ、俺がいつも冷たい奴みたいじゃねぇか」
「カジは」
ディエの言葉が切れる。
いくらかの逡巡があった後、「優しいよ」と小さな囁きがもれた。
ともすれば幻のような。
「優しい? 何を馬鹿な」
「本当のことだもの」
「ふん――」
彼女はいつもそんな事をいう。
カジは目の前のグラスを煽った。
――ざらり。
酒の味とは違う、どこか苦い感覚が、唐突に。
そして、意識が、ぐるぐると回る。
「――あ……」
手をつく間もなく、カジは机に突っ伏していた。
起き上がろうとしても、嵐に翻弄される小船のように、自分の力ではどうする事もできない。
おかしい。
こんな、酔い、など。
おかしい。
「――カジ?」
まるで他人のもののように残る意識の中。
聞こえてくるディエの声は、どこまでも落ち着いていて、優しい。
「カジ、……大丈夫?」
温かく、自由にならない身体を支えてくれる腕。
「だから、気をつけて、って。自分でも……言ってた」
確かに、それは。
でも、そんなことより。
辛うじて残っていた意識も、急速に闇へと落ちていく。
「……明日は、一緒に居よう」
視界は闇に閉ざされている。
ここは一体どこだろう。
全身の感覚すら無いような気がする。
その空間は静かなようでいて、一つだけ、誰か人の気配がする。
「――カジ? ……まだ寝てる?」
不意に、思い出す。
昔の事。
まだ『彼女』の髪が長かった頃。
慣れない麦酒を先輩騎士に飲まされて、二日酔いに倒れていた時。
『彼女』が心配して、寄宿先の部屋を訪ねて来てくれた日を。
あの時もこうして、いろいろと心配をかけた。
でもその思い出は、今の自分と地続きになっていない。
自分も、『彼女』も。
あの時とは、違うのだ。
「顔色、悪い……大丈夫?」
ディエの声。
返事をしようとするものの、声が出ない。
瞼も開けられない。
そもそも、それらの感覚が、一切、ない。
「……カジ? ……起きて」
ああ、あの時は。
自分もまだ、こんなに歪んではいなくて。
君もまだ、そんなに狂ってはいなかった。
いつから?
――あの、雪の日からだ。
そもそもいつ、『天馬の提琴亭』に戻ってきた?
アダムといつから顔を合わせていない?
最後に仕事をしたのは『何時』だ?
ディエと二人きりで、どれだけの間過ごしている?
思考がぐらぐらと揺れて、定まらない。
「まさか、そんな、嘘……?」
その声は焦燥に満ちていて、不安を掻き立てる。
ここはどこだ? 今はいつだ?
何故、何もできない?
「カジ……カジ。どうして……どうして?」
覚えがある。
『これ』は初めてじゃない。
冷たい喪失感。
失われていく思考。
浮き沈みする己の存在。
やはり、あの雪の日。
白く白く、そして真っ赤な――
「それくらいで、カジが死ぬわけがない」
……死ぬ?
ああ、そうか、これは。
死、なのだ。
ごく自然にそう受け入れてしまって、そして違和感が過ぎる。
酒を飲んでいただけなのに、どうしてこうなっている?
あの時、飲んだ酒に混ざっていた苦味。
何故、どうして、そんなものが?
「カジ、カジ、目を開けて……! どうして……どうして、目を覚まさないの!?」
彼女の、声。
「あれぐらいの……量なら、いつも目が覚めていたのに……?」
思い出した。そうだった。
この前の二日酔いのときも、似たような状況だった。
そしてそれ以前にも、似たようなことが何度かあった。
二人きり。
依頼の合間。
『自分が誰かに疑問に思う時に』。
そのたびに、ディエは優しく看病してくれていた。
まだ、狂う前のように。
何故、思い出せなかったのだろう。
二日酔いになる前の夜に、ディエと二人で飲んでいて、目の前で倒れた事を。
毎回、毎回、忘れていた。
その度に、自分は途切れていた。
でも、もう――
思考は少しずつはっきりしていくが、全身の感覚はあやふやで、元に戻らない。
本当にこのまま――今度こそ――死んでしまうのかもしれない。
ディエの声が聞こえる。
その声と一緒に、何かが見える、聞こえる。
――これは?
「最近、眠れないんですって? 薬、紹介してあげましょうか。大丈夫、変なことしなければ安全な薬よ」
「ディエ、よく聞いてね。お酒と一緒には飲まないこと。そして、飲んだらすぐ寝てね、危ないから」
「すぐに寝ないと無意識に行動する事があるのよ。そして翌朝、それを覚えていないとか、ね」
「いい? 絶対よ。薬が効きすぎると、翌朝体調不良になるどころか二度と起きれない事だってあるんだからね」
「ちゃんと守ってよ、ディエ」
カジ、どうして?
ただ、二人で過ごしたかっただけだった。
誰にも邪魔されずに、二人きりで過ごしたかっただけだった。
カジは、気がつくと一人で何処かに行ってしまう。
私を置いて。
二人きりになりたい、それだけだったのに。
だから、翌朝目覚められる程度に、酒に薬を混ぜ込んで、飲ませて。
この薬は、ずっと、知ってるから。
翌朝、頭痛が酷くなるだけだから、二日酔いで誤魔化しが利くということ。
カジは、疑う素振りを見せなかったから。
あとは、看病するだけだったから。
カジがどこにもいかない、ただ静かな時間が手に入れば、それだけでよかったのに。
どうして目を覚ましてくれない。
どうして目を覚ましてくれない。
だってそうでもしないと、カジは私を見てくれない。
私だけを見てくれることはない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、二度と目を覚ましてくれないなんて、そんなのは嫌だ。
どうして目を開けてくれない。
どうして私を見てくれない。
また『あの』時間が戻ってくるなら、私は何を差し出しても構わない。
だから――
「カジ、カジ、起きてよ、ねえ! カジがいないと、私は、私は……」
声が、聞こえる。
はっきりと、今にも泣き出しそうな。
――最後に彼女の涙を見たのは、いつだ?
「お願い……カジ、目を開けてよ……目を――」
いつから、こうも、僕達は。
いや、分かりきった事を反芻するのはやめよう。
もう、戻れないというなら。
狂った彼女も、歪んだ己も、戻れないというならば。
自分の神を信じるままに、死のう。
カジは、目を開けた。
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あとがき。
今回は烏間鈴女さんの「Open eyes」を書かせていただきました。
本当はこの話は間幕としてオリジナルで書くつもりだったのですが、
そこに病み鍋祭りが開催され、こちらが投稿されまして。
それはそれは即座に烏間さんに許可をいただきに行きました。
この話は相棒の病みっぷりが良いです。
やりすぎちゃうところとか、読んでるこちらがどきどきしてしまいます。
……皆さんは最後どうしましたかね?
だいぶ改変してしまったのですが、
快くリプレイ小説をご許可してくださった烏間鈴女さんに感謝を。
本当にありがとうございました。