「命を失くした話」
(作者:周摩様)
いつからだろう。
一人が「心地よい」と感じるようになったのは。
いつからだろう。
聖歌隊の中にいると、言葉にできない、焦りのようなものを感じるようになったのは。
過去が少しずつ曖昧になっていて、先ばかり見るようになって。
そして、いつ、気づいてしまったのか。
自分に過去など無い事に。
階段の多い村だ。
カジはそう思いながら一段一段、確かめるように上っていく。
――もう一週間になる。
一つの村に――事故も無く――長く滞在するのは珍しい。
それも理由合っての事なのだが、正直内心では微かな痛みを感じていた。
他人と長くいると、距離が詰まる。
距離が詰まると、引き剥がすのに苦労する。
自然と離れるのならまだ、いい。
しかし、どうしても。
どうしても、引き剥がさなければならない。
そういう時間を過ごしすぎたのだと、自覚がある。
時に言葉で。
時に剣で。
だからこそ、見えない所に痛みを感じるのだ。
階段を上がる。
一歩、また一歩。
終わりが近い。
「……?」
犬のけたたましく吠える声。
そういえばここには野良犬が住み着いているのだったか。
カジが顔を上げると、影がぐらりと揺れた。
その姿に見覚えがあった。
「エセル!」
名を呼びながら、右足で踏み切る。
その華奢な肩を支えようと手を伸ばしたが、それだけでは派手に体勢を崩した彼女を支えられないと咄嗟に思いなおす。
倒れこんでくる彼女を両手で抱きとめた。
「あ……」
彼女は呆然と少し高い所にあるカジの顔を確かめた。
「大丈夫か?」
『わざと柔らかく』、そう尋ねた。
自分でも不思議なほど、それは自然に出来ている、気がした。
彼女は顔を真っ赤にして――多分、こけたことが恥ずかしかったんだろう。子供じゃないんだから――慌てて体勢を立て直した。
「ご、ごめんね。ありがとう……」
「いや、礼には及ばない。困ったときはお互い様だ」
事実、カジは彼女の家に厄介になっている。
宿の素っ気無いサービスを受けるよりも、随分と尽くしてもらっている気がした。
彼女は働き者だ。
くるくると忙しそうに、朝な夕な、父を助けて働いている。
この村に、女性は彼女しかいない。
大層大事にされているだろうことは、想像に難くなかった。
エセルはカジを最初、旅人だと言っていた。
それを冒険者と正すまでに時間を要したのだが、未だに彼女はカジを世界を漂う旅の者だと思っている節がある。
――それでも、否、そのまま思っていてくれた方がいい。
カジがここに在る理由。それを、気まぐれだと思っていてくれた方が楽だ。
自分は正しくは冒険者ではないのだから。
――そういえば、昨日。
カジはまだ赤い顔を必死に隠しているエセルを見ながら思う。
――彼女を嫁に、と、彼女の父が言っていた。
それは、多分、魅力的な誘惑で。
自分が正しく冒険者になる理由になるのだろうが、カジは笑って否定した。
自分はまだ、聖なる歌を紡ぐ隊の一員だから。
カジは『わざと柔らかく』告げる。
「ほら、エセル。荷物は持ってやるから、早く家に帰ろう」
半ば強引に彼女の荷物を持つ。
中身は、袋いっぱいのじゃがいもだ。
重かっただろうに。
「あっ、ありがとう……」
「だから気にしなくていいって」
微かに笑んで見せる。
そしてふと表情を改めて空を見上げた。
西の山の裾に日が沈む。
山吹色だった空が、暗くなっていく。
夜が意地悪くやってくる――
エセルの家は言ってしまえば質素であった。
だが、そこには確かに温かな家庭が存在している。
彼女に、安全と安心を保障してくれる大事な家だ。
彼女の父であり、この家の主は村長の家で月に一度の会合があるとのことで留守であった。
カジとエセル二人だけ。
それは今までの滞在からすれば、寂しさを感じさせるものであった。
「さぁさ、座って座って」
彼女に促されて、カジは食卓につく。
「今日はエセル特製、じゃがいものシチューだよ。ちょっと待っててね」
「ああ、よろしく」
思わず、笑いが出た。
先ほどの袋の中身から想像していた事ではあったが、やはり今日は『あの』シチューなのだ、と。
エセル特製というシチューは、まあつまるところ、じゃがいものホワイトソース煮だ。
最初見た時、皿を覆い尽くさんばかりにごろごろと入ったじゃがいもに、微かに右頬が引きつったことが忘れられない。
それほどに印象的な食事であった。
それが、最後の晩餐か――
カジは差し出されたその皿を見る目を、エセルから隠すように心がけた。
悟られれば面倒だ。
――いろいろと。
「いただきます」
彼女は礼儀正しく、食事を進める。
カジもそれに倣った。
静かに、噛みしめる。
恙無く食事が終わり、カジは気になっていた事を聞いてみることにした。
「どうして、じゃがいもなんだ」
「え?」
彼女は皿を片付ける手を止めた。
「じゃがいも……好きだから、こうしてシチューを作るんだろう?」
「ああ……」
エセルは困ったように眉間に皺を寄せた。
「野良犬がね」
「犬?」
「そう」
彼女は昔の話をしてくれた。
他愛の無い、昔話。
何処にでもあるような。
「……でね、大変だったんだから。ハリス君は泣いちゃうし、お兄さんも大慌てでね」
「それで持っていたじゃがいもをぶつけて追い返しちゃったのか。そりゃあ野犬も災難だったに違いないな」
「それからかな、じゃがいもが大好きになって犬が苦手になったのって」
カジは違和感を堪えられなかった。
「……好き嫌いの向く方向が違う気がするんだが」
「……そうかな?」
「ああ……」
こうした話は今日が初めてではない。
この一週間、カジはずっと彼女の昔話を聞いてきた。
彼女の内の十数年間。
その思い出を共有して、ふと、思ってしまったのだ。
――自分にはそれが無い。
どこかに置き忘れてきたのか、持ち合わせていないことに、気づいてしまった。
うんうんと頷きながら、その事実に愕然としていた。
だが、それももう一週間前の話。
今は彼女の思い出を共有することが、純粋に楽しかった。
――それをぶち壊しに来たなどとは、ひと欠片も出せるはずも無かったが。
ふと彼女を見ると、その視線に何か言いたげなものが含まれているのに気づいた。
何を、と聞き返す前に、「あ、あのさ、カジさん」と彼女の整った唇が動く。
「何だ?」
「もし、明日もこの村にいるのならさ……、ちょっと付き合ってほしいなーっていうか……見せたいものが、あるの……」
思わず、カジは次の言葉に時間を要した。
明日。
――これほど残酷なタイミングがあるのだろうか?
「……悪い」
ようやく言葉を搾り出す。
「明日にはこの村を出発しようと考えているんだ」
「………………」
彼女は明らかにがっかりした様子であった。
「――そう、なんだ」
自分自身でその失望に折り合いをつけようとしているのか、畳み掛けるように彼女は言葉を継ぐ。
「そ、それもそうだよね。いつまでもこの村にいるわけにもいかないよね……」
「ごめんな、エセル」
何か、言わなければいけない気がして、カジも言葉を継いだ。
「この村にエセルという女の子がいた事、俺は決して忘れない」
「えっ!? あ、ありがと……!?」
今度は明らかに動揺して、彼女は目を白黒とさせる。
それを見て、つい意地悪を言ってみたくなった。
そう、今までのそれとは違い、本心から。
「……ついでにじゃがいもをホワイトソースで煮た料理が大好きで、挙句にそれをシチューと言い張る女の子だった事も忘れないでおこう」
「そ、それは忘れてくれてもいいんじゃないかなっ!? 恥ずかしいよ!」
「冗談だ」
くつくつと笑うと、彼女はやや憤慨して「もー!」と頬を膨らませた。
「私もう眠るからね! 明日もし寝坊してたら出発前には起こしてよ、絶対に!」
「……」
それには頷くだけに留めた。
「おやすみなさい!」と彼女は逃げるように寝室へ入ってしまった。
「おやすみ」
苦笑しながら、そう返す。
――悪い事をした。いや、今からもっと彼女を追い詰めるのだ。
「さて――」
窓の外に視線を投げる。
随分前から、そこには人がいた。
こちらを静かに――本当に、静かに――見ていたのだ。
「――カジ君、話をしないか」
先手を取られた。
カジは立ち上がる動作を、緩慢に行う。
窓の外にいるのは、エセルの父であった。
会合に出かけるというのは、嘘だったのか。
「……話?」
慎重に聞き返す。
「そう、腹を割って話したい。君の本当の目的や……、これからの事を……」
「何を――」
問いかけは途中で立ち消えた。
相手の手の中に、何か隠れている。
見間違えでなければ、あれは火晶石だ。
こんな所で引火されたらひとたまりもない。
「……あまり大きな声を出さないでほしい。娘がこちらに来たら私が困るんだ、頼む」
彼はゆっくりと音を発てない様に細心の注意でこちらにやって来た。
カジと向かい合う位置の椅子に腰を下ろし、しかし右手のそれは身体で隠していた。
あくまでも切り札のようであった。
なので、突きつける。いつまでも向こうに優位性を握られていてはたまったものではない。
「……何が聞きたいんだ? 火晶石(そんなもの)まで持ち出して」
エセルの父親は動揺した様子を見せなかった。
「まず、君の目的を教えて欲しい」
「目的? そんなもの――」
「旅の途中でここへ立ち寄った、と言っていたが……あれは嘘だろう?」
「…………」
ふむ、と内心で頷く。
――演技をしていたのは、この目の前の男とて同じだったのだ。
「何の特産もなく、大した取り得もないこんな寒村を気に入るなんて、まずもってあるわけがない。こんな村に君が一週間も滞在したのは別の理由があったからだ。……違うかい?」
「………………」
答えるつもりは無かった。
まだ、こちらが手を出す段階ではない。
それを見かねてか、目の前の男はさらに言葉(こうげき)を続けた。
「――君は、この村の秘密を知っているね?」
「……、」
剣を探して指が動くのを止められなかった。
カジが次に動く前に、男は止め処なく続ける。
「この村が小規模な麻薬製造場である事を君が知っているものとして話を進めよう」
完全にこちらの反撃のタイミングを殺がれてしまった。
半ば諦めて、カジはその話に耳を貸す。
「君は公安の人間ではなさそうだが、おそらく麻薬がらみの機関が調査の為に雇ったのだろう。……しかし、それならそれで疑問が残る。何故君が一週間もここに滞在しなければならなかったのか」
一週間。
それは実に長く、ゆったりと流れていくものであった事を心のままに思い返す。
「調査の為に雇われたのなら、その麻薬がどんなものかくらいの情報は得られたはずだからね。少なくとも、これこれこういう形状の葉を刻んで乾燥させ、煙草として流通させている、くらいの情報はないとお話にならない」
「……」
剣は、部屋か。
今手元には万が一のために用意してきた、頼りない短剣しかない。
自分は『耳(エメリ)』ではない。超接近戦は避けたいところだった。
「……でなければ、君もあんな事は言わなかっただろうからね」
「……うん?」
カジは得物の所在から意識を離した。
何か、言ったか?
「……」
カジは嗤う。
多分、最初の日の夜、煙草を断った事を指しているのだろう。
確か風邪を理由にしたのだったか?
我ながら安直な理由付けであった。
もはや白旗を上げるべきだろう。
「君は麻薬の情報を持ち、かつ村が麻薬の精製場だと確信を得ていた。にも関わらず君はこの村に残った、それは何故か?」
「……」
無言のまま、顎を上げて最後の答えを待った。
「君は待っていたんだ。月に一度だけ、村の男集が一箇所に集まるこの日を」
「……ははっ」
嗤う。
もう取り繕う必要はないだろう。
「残念だが、村長には君の企みは見抜かれているよ。今日のは会合とは名ばかりの作戦会議のようなものだった」
その言葉の端々に恐怖が宿っているのを、カジは見逃さなかった。
「……村長は、村の皆は今夜中にケリをつけるつもりだ」
「それで、あんたが尖兵って事か」
カジが告げると、何故か男はほっとしたように、しかし油断なく反論する。
「違う、と言っても信じてはもらえないだろうがね。……私の要求を呑んでくれれば、君の味方をしたい」
「火晶石を握っておきながらの条件提示とはな……」
その皮肉に、男は答えなかった。彼は自分の望みだけを、冷徹に告げる。
「私の望みはたったひとつ。私の娘を、エセルを外へ連れ出してほしい」
「エセルを?」
意外だった。
てっきり命乞いでもされるかと思ったのだが。
「そうだ、娘はこの村の汚い部分を何も知らない。この村が麻薬を造っている事だって知らない。毎日、手伝いと称して運んでいたあの葉が麻薬だという事も知らない。……そもそも麻薬とは何なのかすら知らないんだ」
男の声が俄かに大きくなる。
怒りや、後悔を孕んで。
「――そして、その麻薬が。彼女が運んだ葉が、私の命を蝕んでいる事すら知らないんだ……!」
「……」
カジは目を細めた。
だが、反らすなどと愚かな行為はしない。
これは、願いだ。
これは、祈りだ。
一つの命を賭した、消え往く掠れた、魂からの叫びだ。
それから目を反らすことは、本当に、愚かだ。
一度大きく呼吸をし、カジは冷酷に告げる。
「……俺が受けた依頼は麻薬精製に関わった村人全ての誅殺だ。仮にエセルが何も知らずに手伝っていたとしても、それは通らねぇ。過去には麻薬の運び人に道を教えただけで幇助と捉えられた例もある。エセルだけを特別視する事はできねぇよ」
愕然と絶望に顔を歪めて、エセルの優しい父親は全身の力を抜いた。
死刑宣告のようなものだったのだろう。
だからこそ、カジは『まだ演技を続ける』。
「とはいえ、今の俺はまさしく命を握られているみたいだ。参ったなぁ、こんな状況だったらそんな建前、通じねえよなあ。あんたの頼みを聞き入れたら、法にも依頼内容にも触れちまいそうだ。さあて、困ったぞ、どうしたもんかな」
そして、笑う。
あのエセルに見せた時のように、『わざと柔らかく』。
「うん、仕方がない。あなたの頼みを聞き入れよう。――『あくまで仕方なく』」
最後の言葉を、一つ一つ区切って、カジはこの世に解き放った。
目の前の男は呆気に取られた後、長い空白を越えて、くふっと笑う。
「しかし、私が言うのも何だが本当にいいのかね?」
「今更だな。だが、俺の神に誓う」
一つだけ、作戦を思いついた。
『彼女』に感謝しなければならないだろう。
カジは人差し指を立てて聞く。
「ひとつだけ確認しておきたい。この村の女性は、本当にエセル一人なのか?」
「間違いない。狭い村だ、ほかに女性がいれば嫌でも耳に入るさ」
「だったら問題ねぇ。とんでもない屁理屈で何とかしてやるぜ」
だが、とカジは眉間に皺を寄せた。
「問題はあんた自身だろう。俺のちゃちな屁理屈じゃ、あんたの事はどうしようもねぇ」
「その必要はないよ」
「はん?」
「君が本来の依頼を達成するという事は、村の麻薬が失われる事と同義だ。ただでさえ命を削られている上に中毒症状が重なれば、一月と持つまい」
「だが――」
「……それに、私が麻薬に狂う姿などあの娘には見せたくないのでね」
「……、」
カジは思考することを止めた。
救えない命は何処にでもある。
祈っても願っても、大事な何かを賭しても、叶わないのだ。
であるならば――
「君が気にする事はない」
「……はん」
これ以上交わすものはない。
カジは自室に戻った。
無論、仕事の為に。
優しき父親はカジに全ての情報をくれた。
何処に、誰がいるか。どれくらい強いのか。
隠れられる場所も、本当に全て。
だからこれはもはや一方的な蹂躙に近かった。
若い者も、老いた者も。
悲鳴も、嗚咽も。
青銀の刃に切り裂かれて、闇に落ちる。
命乞いも、諦めの色も、呪いの言葉でさえも、カジにとっては風の音と同じだった。
「……」
何人切り捨てただろう? ほぼ全員を切り捨てたはずだが。
不意に眩暈を感じて眉間を抑える。
――そういえば、不浄の者以外を、こんなに短時間で切り捨てた事なんてあっただろうか?
あったような気がするし、なかったような気もする。
村人は強いとまでは言えなかったが、それなりに剣を取った事があるようだ。
だからなのか、一般人相手に、少し、疲れていた。
「……っ!」
不意に背中に悪寒が走る。
慌てて振り向くと、視線の端に走り去る影があった。
「逃がすかよ……!」
しかし走り出して、気づく。
影が走る方向は、村の外ではない。
それどころか、カジがやって来た方向ではないか。
「野郎っ!」
乱暴に言い捨てて急ぐが、相手の方が随分足が速かった。
そこに舞い戻った時には、扉が乱暴に破壊され、何者かが侵入した後だった。
「くっ!」
剣を持つ。
扉に張り付き、中に赤い影が存在する事を確認した刹那、カジは剣を突き出した。
「―――ッ!」
声にならない断末魔が夜を震わせる。
「失せろっ……!」
乱暴に引き抜いた剣は、鮮やかな赤を滴らせた。
ぶちまけられたそれが、波の様にカジの足元まで迫っている。
舌打ちしながら、カジは奥の扉を開けた。
危惧していた通り、村の裏切り者にしてカジの協力者は、喉から血を噴出して床に仰向けに倒れていた。
ゆっくり、それに近づく。
――彼女を起こしてはいけない。そうなれば、きっと、この男は悲しむ。
見おろすと、まだ彼には息があった。
だから、告げる。
「村はほぼ制圧したぜ。後は村長に対峙するだけ……それで全部だ」
その後に言葉を継ぐ事はできなかった。
何を言っても、虚しい慰めにしかならない。
「……」
ただ、死に逝く彼の目が、何かを訴えている。
「何か……あるのか?」
耳をそばだててみるが、聞こえてくるのは苦しそうな息の音と血の噴出す音だけだ。
おそらく相手も言葉が出ないことが分かっているのだろう。
ふと、今まで開かれる事のなかった右手が、カジの目に止まった。
「……やってくれるぜ」
だが、上手く感情が乗らなかった。
男が手にしていたのは火晶石でもなんでもない、不恰好な水晶であった。
それは男の手を離れて、ころころと転がってカジの足元で動きを止めた。
それもそうか、とカジは思いなおす。
あの『話し合い』の場で引火されたら、エセルもただではすまない。
そんな馬鹿なことを、この父親がやるはずはないのだ。
まあ、これが偽物だと気づいたところで、結末は何も変わらなかった気がするが。
「……ふ、」
こちらの何を知ってか、男は明らかに笑った。
何か言ってやろうかとも思ったが、表情と同じく、上手く感情が沸きあがってこない。
ただ。
ただ、
あの日、自分が感じた物を、この男も感じているのは間違いないのだ。
あの日、雪の日、白く白く、そして赤い日に。
感じた、自らが失われる恐怖を。
同じ感情を。
「――さようなら」
ようやく搾り出した言葉に刃を添える。
なるべく、痛みを感じないように。
渾身の力でもって、それを断った。
――ふと、血の海を見ると、何処から入って来たのだろう、斑模様の蜘蛛が溺れていた。
村長の家の扉を蹴破った。
中に人の気配はない。
逃げたにしては、残った気配が綺麗過ぎる。
「……奥か」
扉を開けると、そこには階段が続いていた。
なるほど、何か隠すにはうってつけではないか。
カジは慎重に階段を下る。
思えば、この村は階段の多い村だったな、等と場違いに考えながら。
終点の扉を、間髪居れずに蹴破った。
「……ん」
思わずコートの裾で口と鼻を押さえた。
草のにおいだ。
この村の周辺ではよく見る草が、無数の樽の中に保管されている。
「……精製しなければ、草は草、か」
カジは先に進む。
次の扉の先から人の気配がした。
お粗末な待ち伏せだ――刹那、カジは扉を一息に開けて、肩で相手を突き飛ばした。
鈍い痛みの声がしたのを確認し、剣をその胸に突立てる。
そのまま力任せに、待ち伏せていた男を床に縫い付けた。
ぐしゃりと、水音。
「はっ」
声がした。
もう一人居たのだと思考が冷めるのと同時に、剣を死体から抜く勢いで、もう一人の待ち伏せを袈裟懸けに切り捨てた。
響く、絶叫。
飛び散った血が、床も壁も、赤く染め上げていた。
「はぁ」
大して上がっていない息を整える。
ただ、コートが重い。
一体どれくらいの血を吸ったのか。
――いっそ捨てていこうかと思案していると、か細い息の音がした。
ゆっくりとそちらに目をやる。
「……エセルか」
驚きはしなかった。
あの家でひと悶着起こしたのだ、気づかれても不思議ではない。
気づいて欲しくはなかったが。
「カジ……?」
彼女は確かめるように、否、悪夢であって欲しいと願いながら、カジの名前を呼んだ。
「……来ちまったのか」
もはや取り繕う必要はない。
「なら、見たんだろ――死体を」
彼女は真っ青になりながら、それでも力なく首を縦に振った。
恐ろしいものをみたのだ。それも仕方ないだろう。
「だったら向こうの野草も見たな?」
彼女は再び頷く。
カジは溜息をつきながらコートの裾で青銀の刃を拭う。
「あれ、は……カジが、カジがやったの……? カジが……村の皆を――殺したの?」
長い沈黙の後、カジはエセルの目を真っ直ぐ見て「そうだ」と告げた。
「理由が知りてぇんだったらその辺の物陰に隠れてろ。……これからの会話を聞けば自ずと見えてくるだろうよ」
「……!」
カジの低い声に、彼女はぱっと近くの樽の陰に隠れた。
――それでいい。
ここまで来たのなら、皿まで喰らってもらうまでだ。
カジは無言のまま、その先のドアを蹴り破った。
剣を握りなおし、闇に一声かける。
「……隠れてないで出てこい。もう、かくれんぼは無駄だぜ」
「……、」
ゆらり、闇から現れたのはこの村の村長であった。
ゆっくりとこちらに向かってくる。
「――げに恐ろしき男よ。ただの独りで村の人間を殺し尽くすとは……」
苦々しく言葉が紡がれる。
「我らが何をした? 貴様ら冒険者に我らを殺す権利なんぞあるまいに」
「惚けんなよ」
カジは赤い瞳で相手を睨みつける。
「ここが小規模な麻薬の精製場である事は調査済みだ。……この村に来たのはある人物からの依頼だ。麻薬が世に広まる事を危惧しての事だろう」
おしゃべりは苦手だ。だが、『聞く者』がいる以上、話さなければならない。
「この村で採れるピリス・ホワイトと呼ばれる麻薬。それは体質的な都合で男性しか服用できない。だから、この村にはエセルしか女性がいねぇ。……ひと昔前は村の全員で吸ってたんだろ? 辛うじてこの世に残った女は、幼かったエセルだけだ」
村長はカジの言葉を否定しなかった。
「……いつから我らの企みに気づいておった?」
「最初の夜の煙草。……あんなに奨めてくるもんでな。お前らはそうやって村の人間を増やしてきたんだろ。禁断症状っつー、見えない鎖で村に縛ってな」
「ふん」
やはり、否定はない。
全てが真実なのだと、カジは確信していた。
「それで、どうするつもりじゃ。僅かに……じゃが確かに、村の外に既に輸送した。そやつらはここの薬がなければ禁断症状に狂い、死んでしまうじゃろう。貴様はそういった人間をむざむざと見殺しにするか」
「知ったこっちゃねぇな。……そして、その言葉はお前が言っていい台詞じゃねぇ」
カジは冷たく老人を見おろす。
「今の医療技術で麻薬の呪縛から完全に脱却する事はできねぇ。……たとえ、聖北の神の力でもな。そんな事分かりきってんだよ」
だからこそ、カジは聖歌隊に流れてきたこの依頼を受けた。
麻薬に手を出した時点で詰みなのだ。
「まあ、だからといって麻薬を許すわけにはいかないな。自分の意思で禁断症状と闘うか、あるいは」
そこから先は、踏み込まずとも相手に伝わっただろう。
カジは剣を翳す。
「お喋りが過ぎたな。そろそろ覚悟してもらおうか」
「……とうに覚悟は出来ておるわ」
「そいつは良かった」
「が、最期に教えて欲しい。貴様の依頼人とは――」
「冒険者には守秘義務ってのがあってな。依頼人の素性を話すことはできねぇな」
「そうか……、まぁよい」
村長は「想像はつく」と告げた。
おそらく、嘘ではないのだろう。
「言い残す事があれば聞いてやる」
「ほれ」
何かが投げられた。
足元に落ちたそれからは、金属の音がした。
「銀貨だ。三百枚ある」
「おいおい、命乞いか? 依頼内容に障るから困るんだがな」
「違う。その金で……あの子を、エセルを助けてやってくれ」
「……ふうん?」
「あの子は何も知らんのじゃ。村で麻薬を造っておる事も、我らの正体すらも知るまい。あの子は最期の良心じゃ。腐り果てたこの村の、言うなれば最後の希望じゃ」
「……」
「貴様が連れて行くといえばあの子もついていくじゃろう……後生じゃ、助けてやってくれ」
カジは溜息をつく。
――どいつもこいつも、誰かに希望を託したがる。
「……確約はできない。だが、努力はしよう」
「ああ、それで十分じゃ。……これで、良い」
間髪いれず、カジは剣を振り落とし、村長の命を易々と奪った。
エセルがゆるゆるとその死体に近づく。
「村、長……」
その言葉と表情からは、彼女が抱える恐怖や絶望の大きさを図る事はできなかった。
青銀の長剣の血を払い、鞘に収める。
「……次は君だ、エセル」
代わりに取り出したのは、懐に収めていた非常用の短剣。
この村に来るまでの道中、野鍛冶から適当に買ったものだ。
切れ味は良くないし、二、三度肉を絶てば簡単に刃こぼれするだろう。
そういうもの。
でも、彼女の命を奪うには、あまりにも鋭利であった。
「……うん。そんな事を聞かされたら、私だけ生きてる訳には……」
カジは無言のまま、短剣を振りかざす。
外に出ると、見知った顔が待っていた。
わざわざ現場に来るとは殊勝な事だ。
「よォ……終わったかい……?」
「ああ、首尾は見ての通りだ」
今回の依頼人は、噛み合わない歯を剥いて笑った。
「へっへ……あのバカ兄貴め、小賢しい真似しやがって」
実に満足そうな声であった。
「こうしてピリス村の悪者は消えました……とさ! いやはや、あんたは英雄だぜぇ」
カジは真正面からそれを見つめた。
「……、悪いが」
「――あン?」
「まだ依頼は終わってねぇ。――エセル」
カジは背中に隠れていた彼女を呼ぶ。
エセルは震えながら、目の前の依頼人を凝視していた。
「……おいおい、困るぜ? こんな小娘だけ生かしても可哀想ってもんだ」
彼は面倒そうにひらひらと手を振った。
「ほれ、手っ取り早く殺っちまいな。……報酬は要らないってんなら別だがよ」
「いや、報酬は貰う。依頼の内容は村の人間を一人残らず殺せ……だったな?」
それは聖職者に頼むにはあまりにも凄惨な内容だった。
しかし、受けた。
この身は聖歌隊。悪を殺す者だ。
「この娘は既に死んでいる。……これを見ろ」
投げつけたそれを見て、依頼人はすっとんきょうな悲鳴を上げた。
「な、何だこりゃあ!?」
「エセルの髪の毛さ。たった今、俺が切った」
努めて冷静に言ってのける。
「こ、これがどうしたんだってんだ!」
「なんだ、知らねぇのか」
カジは嗤う。
狡猾に、それでいて悪戯っぽく。
「髪は女の命、なんだぜ?」
――そう、『彼女』は言っていた。
「だから彼女は今、命を失ったわけで。俺は一人から二つも命は取らない主義なんだ――不死者として蘇らない限り、な!」
「何を馬鹿な事を!」
それは否定できない。
これはちゃちな屁理屈だ。そう告げていた。
でも、それでも。
この場はそれで十分だ。
「いいから殺せ! でなけりゃ契約は無効だぜ!!」
「ああ、殺すさ。依頼の内容は村の人間の抹殺――なら、あんたも村の人間だろ? あんたが最初に提示した指示に従うなら、俺はあんたを殺す必要があるんだぜ」
「はッ、な……なんだとォ!?」
安っぽい動揺。まさかそう吹っかけられるとは思いもしなかったのだろう。
それは、甘さだ。
『先ほどとは違って』、カジが完全に優位性を握っていた。
「悪いがあんたが望んだ事だ。契約が成立しないなら、俺だってあんたを殺すしかないよなァ……?」
「ま、待て。待ってくれ」
じりじりと男は後退を始める。
「分かった、報酬は払う。その娘も生かしていい! だから、やめろッ! ほ、報酬が足りないって言うのなら、増額するぜ!?」
「……俺の神に従うならば、お前はもう、人の道を外れた」
溜息をつく。
「あんたがこうして依頼を出した理由だって分かってるんだ。この村の麻薬と、それが生み出す金……てめぇが欲しいのはそれだ。俺としては苦労してやった仕事が水泡に帰すのは避けたいんでな」
麻薬をこの世から葬れないことは避けたい。
それができなければ、何のためにこの村の人間を殺して周ったのか。
もう助からない人間達に、少し早い引導を渡した理由を台無しにされてはたまったものではなかった。
「わ、分かった! この村の麻薬は全て焼却しようじゃないか! な!? これで許してくれるだろ!?」
「浅いなぁ」
思わず声に出してしまった。
全てが浅い。
思慮も、信念も、欲でさえも。
「――して下さい」
「うん?」
震える声で、エセルが呟いた。
強く、強く。
「殺してください……この人は、人間じゃない。お父さんも村長さんも、ハリス君も、そのお兄さんも、村の皆が……その人に殺された。なのに、全てを手放せば生きられるなんて許せない。私は全てを投げ捨てても、もう返してもらえないのに!」
最後は絶叫に近かった。
カジはその肩に手を置いて――瞬時に後悔した。彼女に要らぬ血をつけてしまった――男に嗤いかける。
「――だ、そうだ。残念だったな」
剣を抜く。
「ま、待っ――」
その言葉の間に跳躍する。
間抜けな声を上げて、男は逃げ出そうとする背中を真っ二つに縦に裂かれた。
どさりとそれが地に伏せると、不気味なまでの静寂がやってくる。
もう、この村の人間は、エセル一人だ。
それ以外はもう何処にもいない。
「……ッ」
唇を噛んだ彼女に、カジは近づいた。
「泣きたいなら我慢しなくていいんだ。……汚れてもいいなら、胸を貸してやる。いくらでも待ってやるさ」
彼女の為に出来るのはそれくらいしかない。
気のきいた言葉も、行動も思いつかない。
胸の中で大声を上げて泣く、命を失くした少女の気のすむまで、カジは黙って待った。
翌日。
全部の麻薬を埋め終えて――本当は燃やしてしまいたかったが、炎は凶器だ、危なすぎる――二人は旅支度を整えた。
「本当に良いの?」と尋ねる彼女に、カジは頷いた。
「俺にも責任ってのがあるからな……それに、最期の頼みだ。俺はあんたの父親を殺してしまった。だから、あんただけは……」
「良いの」
責められて当然だというのに、彼女は一言そう告げた。
「あの人や村長さんの話を聞いて、何となく分かったから」
彼女は淡々と言葉を続ける。
「父は、父は永くはなかった。……そうでしょう?」
カジがそれに答えることはなかった。
「あんたの親父の最期の言葉は……あんたを『よろしく頼む』、だった」
「……」
彼女は横に首を振る。
「な、泣かないよ。もう……泣かないって、決めたんだから。父や、皆の為にも、もう……泣かないって……そう、決めたんだから……!」
馬鹿だなあと、カジは内心思う。
泣いたっていいのだ。
泣くことで救われるのは、何も自分だけではないのだから。
「それじゃ、行くか。リューンの親父のところについたら、奢ってやるよ」
「うん……、お願い」
「じゃがいも入れてくれるように頼んでやる」
「ふふっ、大事な事なんだから。……あなたが自分の宿に戻っても、忘れないでよね」
「努力だけはしてやる」
カジが笑うと、エセルは不思議そうに首を傾げた。
「ねえ……私と話してる時、全部演技だったの?」
「まあ」
「じゃあ、今が普通? 今が、本当のカジさん、なの?」
「ああ」
「……今の方が演技っぽいけどなあ」
「……そうかもな」
「っもー! どっちなの!」
からかっているつもりはなかったのだが、どうも彼女には伝わらなかったらしい。
「あんたが自分を知らなかったようなもんで、俺も俺が信用できない事があってなあ」
「……ふうん?」
でもまあ、と彼女は笑った。
「お人よしなのは、演技じゃないんでしょう? だったらきっと、それがカジさんの本質なのね。ずっとずーっと、それでやってきたんだって、私でも、分かる」
「…………っ」
言葉に詰る。
ずっと。
過去から、ここまで、ずっと。
その、言葉が。
自分の本質の正体が、今こうして屁理屈でもって彼女を救ったことならば――
「……ふふっ」
「な、何か私、おかしいこと言った、かな?」
「いや、いや……ありがたいお言葉を聞いた、という感じです」
「う……?」
「方向は決まりましたね」
自己を取り戻す為に、今はリューンへ彼女を送り届けなければ。
押し付けになってしまうが、彼女には幸せになってもらわなければならない。
自らが憧れた、あの宿で生きて欲しい。
それが自分の欲の代替だとは分かっていた。無為な押し付けだという事も重々承知している。
それでも、願わずにはいられなかった。
どうか。
どうか、貴女だけでも。
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あとがき。
今回は周摩さんの「命を失くした話」、そしてそれに付随する「命を尽くした話」を書かせていただきました。
このシナリオはリプレイを企画した時から、このタイミングで執筆することが決定していたもので、つまり終わりが近い、ということになります。
エンディングの大幅な改編をご許可していただき、本当にありがたかったです。
今『天馬の提琴亭』に彼女を連れて行ったら大惨事なので…(一話参照)
終始徹底してNPCの視点で進むこのシナリオは、彼女の甘酸っぱい感情と突如降りかかる絶望とをプレイヤーに如実に伝えるもので、それは実際にプレイしていただくとよく分かるかと思います。
私はプレイヤーなので彼女の気持ちは全部分かっているのですが、カジはプレイヤーではないので曲解したり気づいていなかったりしています。
プレイしながら比べると「おいおい」と思われるかと…(笑)
快くリプレイ小説をご許可してくださった周摩さんに感謝を。
本当にありがとうございました。