2. Research

アキノキリンソウ複合種の系統進化と環境適応

  • 日本列島に広く分布するアキノキリンソウ属植物は,草原・林床・海岸風衝地・渓流沿い・高山などの幅広い環境に適応放散しています.形態的には北日本で見られるような大型の植物から,草丈5cmに満たないイッスンキンカに至るまできわめて多様ですし,開花期に至っては京都の共通圃場で5月から開花する系統から,真冬にようやく開花に至る系統まで含みます.アキノキリンソウ群の系統分化の浅さを考えると,こうした多様化が急速に起こったことに驚かされます.
  • 私たちは,アキノキリンソウ群の系統解析を行って分類を見直すとともに,その適応進化を理解するために,共通圃場実験・交配実験・生態ゲノム解析を進めています.

参考文献

    1. Sakaguchi, S., Kimura, T., Kyan, R., Maki, M., Nishino, T., Ishikawa, N., Nagano, A., Honjo, M., Yasugi, M., Kudoh, H., Li, P., Choi, H-J., Chernyagina, O. and Ito, M. (2018) Phylogeographic analysis of the East Asian goldenrod (Solidago virgaureacomplex, Asteraceae) reveals hidden ecological diversification with recurrent formation of ecotypes, Annals of Botany, doi: 10.1093/aob/mcx182. #日本列島のアキノキリンソウ群の系統分化の状況を解析した論文です.まず,東アジアの中で日本産の アキノキリンソウ群は大陸から分化した系統グループであること,さらに列島の中では北海道から沖縄まで地理的なグループに分かれることが分かりました.ところが,このように明瞭な地理的構造と形態分類の間には対応が見られませんでした.この矛盾は,アキノキリンソウ群の多様な表現型が,進化的に中立ではない過程,つまり自然選択の力によって生じてきていることを示唆しています.例えば高山や渓流環境などの強い選択圧が働く場所では,日本の異なる地域で生態型が平行進化しており,本種群の多様化を理解するためにはこうした適応的な過程を調べることが重要であると考えられます.
    2. Sakaguchi, S., Horie, K., Ishikawa, N., Nagano, J.A., Yasugi, M., Kudoh, H. and Ito, M. (2017) Simultaneous evaluation of the effects of geographic, environmental and temporal isolation in ecotypic populations of Solidago virgaurea, New Phytologist, doi:10.1111/nph.14744.#北海道の蛇紋岩地帯では,細い葉をもち,開花時期が2か月ほど早いアキノキリンソウが分 布しています.それらは「地質の島」と呼ばれる蛇紋岩地帯にのみ見られ,島のすぐ回りの林床には開花期が遅いタイプのアキ ノキリンソウが生育しています.また,標高の高い山でも,同様に初夏に開花する早咲きのアキノキリンソウが生育しているこ とが分かっています.小さな地域の中ですが,これだけの開花時期の違うアキノキリンソウの集団同士では,遺伝子のやり取り が起こりにくくなり,系統的に分化している可能性があるのではないかと考えて研究を始めました.そこで遺伝分析を行って, 「集団がどのくらい遺伝的に分化しているのか」と,「開花時期のずれ」との間の相関関係を調べてみました.すると,蛇紋岩 地帯に分布する早咲きアキノキリンソウは通常の遅咲き型から分化していることが分かりましたが,高山の早咲き型はほとんど 相関関係がありませんでした.蛇紋岩型と同じように早く咲く高山のものについては,たとえ低地と山頂の間では明瞭な開花時 期のずれがあったとしても,中間標高には開花時期が重複する集団が分布するため,飛び石のように遺伝子が動いてしまいま す.そのため,標高傾度に沿って遺伝的分化が起こりにくくなったのだと考えられました.

オーストラリア大陸における豪州ヒノキ (Callitris columellaris 複合種) の適応進化

  • 広義ヒノキ科は,7つの亜科から構成させる裸子植物のグループで,たいへん古い歴史をもっています.その中には,形態・生態,そ してハビタットなどの点において,大きく多様化した針葉樹が含まれます.三畳紀からジュラ紀にかけて初期に分岐した系統群には, コウヨウザン亜科やタイワンスギ亜科,セコイヤ亜科,スギ亜科,アスロタクサス亜科などがあります.これらの種群はその祖先と同 様に,湿潤なハビタットに適応的な生理生態特性を保持しているため,新生代に起きた地球規模での気候乾燥・寒冷化に対応すること ができず,多くの種が絶滅に追い込まれました.現在では,世界の湿潤温帯域にのみ,それらの生き残りが見られます.
  • それに対して,パンゲア大陸の分裂とともに南半球に隔離され,新生代に放散的に進化を遂げたのがカリトリス亜科です.そのカリト リス亜科の中でも,特別に生態的適応を獲得した種群がこの研究で対象としているCallitris columellaris 複合種です.他の同属種が オーストラリアとニューカレドニアの温帯域に小さな分布域を持つのに対して,この複合種はオーストラリアのほぼ全域に分布してい ます.大陸北部の熱帯モンスーン地域(サバンナ気候)にはC. intratropica が,大陸内陸の乾燥地域にはC. glaucophylla が見られま す.ブリズベンを中心とした大陸東部の沿海部には,狭義のC. columellaris が砂丘をハビタットとして分布します.また,これまで広 義のC. preissii とされてきたC. gracilisC. verrucosa も, 前述の種群と一緒に複合種を形成していることが私達の系統解析で明らか になってきました.

写真. 生育地の降水量の勾配に沿って,実生にも成長速度や形態に変異が見られる.

  • このように広い分布域を持つ本複合種では,系統進化の途上で3つのバイオーム(乾燥,熱帯サバンナ,温帯)に進出してきたことが 想定されます.植物の種分化のプロセスでは,ハビタットとするバイオームを変化させるような生態的なシフトが起こることはごく稀 であることが知られていますが,ひとたびバイオームシフトが起これば,その後の系統の多様化や地理的分布の拡大を引き起こす可能 性があります.私たちは,大陸全域から本複合種の集団サンプルを採取し,それを多様な面から解析することにより,ヒノキ科針葉樹 における急速な適応進化の歴史と遺伝的基盤を解明しようとしています.

参考文献

  1. Sakaguchi S., Uchiyama K, Ueno S, et al. (2011) Isolation and characterization of 52 polymorphic EST-SSR markers for Callitris columellaris (Cupressaceae). American Journal of Botany 98, E363-E368. #本複合種のESTライブラリから,全ての分類群に適 用できるSSRマーカーをスクリーニングしました.
  2. Sakaguchi, S., Bowman, D. M. J. S., Prior, L. D.,Crisp, M. D., Linde, C. C., Tsumura, Y., and Isagi, Y. (2013) Climate, not Aboriginal landscape burning, controlled the historical demography and distribution of fire-sensitive conifer populations across Australia. Proceedings of the Royal Society B, 280 1773 20132182. #最終氷期のオーストラリアでは乾燥・寒冷化という気候変動 に加えて,人類の到来による火災レジームの変化が植生に大きなインパクトを与えてきたと考えられています.Callitrisは降水 量の減少や火災に脆弱であるという特性を持っていることから,そうした環境変動に応じて分布や集団サイズが変化した可能性 があります.そこで,EST-SSRマーカーを用いて大陸全土のC. columellaris種群の最終氷期以降の集団デモグラフィを解析した ところ,乾燥帯の集団で集中的に集団サイズの減少が検出されたのに対し,火災頻度の最も高い熱帯モンスーン帯では集団は安 定的に維持されてきたことが示されました.この結果から,Callitrisを含むような火災に脆弱な植生に対して,地域的な火災の 影響よりも地球規模での気候変動が大きな影響を及ぼしていた可能性が示唆されました.
  3. Sakaguchi, S., Tsumura, Y., Crisp, M.D., Bowman, D.M.J.S. and Isagi, Y. (2014) Genetic evidence for paternal inheritance of the chloroplast in four Australian Callitris species (Cupressaceae). Journal of Forest Research, 19, 244-248. #これまで葉緑体遺伝様 式が不明であったカリトリス属について,4種を対象に母樹と種子の遺伝解析を行うことで,本属では父性遺伝が優勢であるこ とを示しました.

ニューカレドニアにおけるヒノキ科樹木の生態的種分化

  • ニューカレドニア島で放散的に種分化を遂げた系統には,全球分布するヒノキ科も含まれており,2属(Callitris属とLibocedrus属)が それぞれ3種に種分化しています.これらの種は,オーストラリアとニュージーランドに分布する姉妹種と単系統を成しており,1回の 長距離分散によってニューカレドニアに侵入した後に種分化したことが,私たちの系統解析によって確かめられています.
  • 2属がニューカレドニアで種分化を遂げる過程では,当地に特有の蛇紋岩土壌への適応に加えて,Maquisと呼ばれる乾性低木植生への 進出が平行して起こったと想定されます.私たちは,この針葉樹2属をモデル系として多面的な遺伝解析を行うことで,蛇紋岩土壌と 島内の特殊環境への適応に重要な役割を果たした適応遺伝子座を特定し,適応遺伝子が属間でどの程度共通しているのかを解明しよう としています.これにより, 2属で平行的に起きた適応進化において,特定の遺伝子群に自然選択が働いたかを検証し,ニューカレド ニアにおける針葉樹の多様化プロセスに関する,より一般的な理解を得たいと考えています.

写真. (左) 成木でも鱗片葉をつけず,同属種とは思えないような形態のCallitris pancheri,(右) 河川沿いに点在しているCallitris sulcataの老齢個体.

東アジアにおけるハリギリKalopanax septemlobus の系統地理

  • 東アジアでは東西4000km以上に渡って,湿性の温帯林が分布しています.これだけ広大な面積を覆っているにも関わらず,東アジア のフロラには共通点が多く,日華植物区系Sino-Japanese Floristic Regionとして1つのグループにまとめられています.実際,東シナ海で隔てられている日本と中国には共通して分布する植物も多数存在しますし,わずかな形態変異で区別される姉妹種もあります.この 事実は,比較的新しい時代に地域間で植物の移動が起きたことを示しています.
  • およそ260万年前から始まった第四紀は気候変動に特徴づけられる地質年代で,とくに最近の100万年以降に変動の振幅が増してきまし た.こうした気候変動に伴って海水準は上下を繰り返し,浅海である東シナ海は何度も陸化してきました.興味深いことに,この陸化した東シナ海は温帯林によって覆われていたという仮説が提示されているのです.もしそれが本当ならば,東シナ海陸橋を伝って日 本と中国の間で植物の行き来があったのかもしれません.また,第四紀後期には,現在のような温暖な時期に比べて氷期がより長い時 代を占めていました.そのため,私たちが目にすることのできない氷期における植物の分布を理解することが重要になってきます.
  • 私たちは日華植物区系で最も分布の広い樹木の1つであるハリギリに注目しました.ハリギリはウコギ科ハリギリ属に分類される高木性樹木です.日本列島はもとより朝鮮半島,そして中国の乾燥地を除くほとんどの地域に分布していることから,分布域から沢山のサン プルを集めて遺伝解析を行うことで,東アジア温帯林の辿ってきた歴史を代表するような情報が得られるのではないかと考えました. それに加えて,気候要因によって分布がよく規定されているハリギリの特性を活かして,現在とは異なる氷期の古分布を分布予測モデ ルに基づき再現しました.

ハリギリ.晩夏から秋 にかけて黄色い花を沢山咲かせます.大きく育つと幹直径1.5m,樹高30mに達してとてもカッコいい.

  • 系統解析の結果,ハリギリの種内には3つの主要な系統が存在し,それらは全て中国大陸に分布していることが明らかになりました. そのうち,中国東部で見つかった系統は,朝鮮半島から日本列島にも広く分布しており,またこの地域内での遺伝的分化が比較的小さ いことが分かりました.このことから,現生のハリギリ集団の共通祖先は中国大陸に分布しており,その後,中国東部で派生した系統 が日本列島を含む地域へと分布を拡大させたのではないか,と推察されました.一方,モデルの予測からは,氷期の東シナ海陸橋上に ハリギリの分布適地が存在していたことが示されました.この結果は,こうした氷期に形成された陸橋を渡って,中国東部の系統が日 本列島まで達した可能性を窺わせるものです.
  • また,中国集団と日本集団の空間遺伝構造を比較することで, 過去の気候変動がハリギリの地域集団に対して様々に影響してきたこと が分かってきました.中国では集団間の遺伝的分化レベルが非常に高く,近隣の山塊でも異なる遺伝子タイプが分布していました.こ の結果は,かなり長期間に渡って,中国でハリギリの分布域が変化しなかったこと,そして山塊間での遺伝子のやり取りが限られてき たことを意味します.おそらく,気候変動サイクルに直面したとき,集団は山塊内で上下移動することで生き抜いてきたのでしょう. それに対して,日本では遺伝構造は全体的に弱く,北日本では構造が乱れていることが分かりました.日本列島はハリギリの分布域の 北限地域にあたるため,中国に比べて気候変動の影響をより強く受けてきたと考えられます.例えば,氷期に西南日本で分布が連続し ていたという歴史は,この地域集団間での分化を抑える効果があったでしょう.また氷期後に分布が再拡大したと考えられる北日本では,東北地方で異なる系統が混じり合ったり,単一の系統が北海道に分布を広げていったことが分かってきました.こうしたダイナ ミックな分布動態の歴史が,日本列島のハリギリの遺伝構造に反映されていると考えられます.

左図.系統解析と生態ニッチモデルに基づいて推定されたハリギリの系統分化と分布変遷の歴史.右図.生態ニッチモデルから予測さ れた最終氷期最盛期(約2万年前)における,ハリギリの分布適地(赤色で示された部分).分布適地の大部分は日本列島南部の沿岸部に再現された一方,本州北部の陸化した大陸棚まで分布が残存していた可能性が示されている.

参考文献

  1. Sakaguchi, S., Sakurai, S., Yamasaki, M. and Isagi, Y. (2010) How did the exposed seafloor function in postglacial northward range expansion of Kalopanax septemlobus? Evidence from ecological niche modelling. Ecological Research, 25, 1183–1195.
  2. Sakaguchi, S., Takeuchi, Y., Yamasaki, M. and Isagi, Y. (2011) Lineage admixture during postglacial range expansion is responsible for the increased gene diversity of Kalopanax septemlobus in a recently colonised territory. Heredity, 107, 338–348.
  3. Sakaguchi, S., Qiu, Y.X., Liu, Y., Qi, X.S., Kim, S.H., Han, J., Takeuchi, Y., Worth, J.R.P., Yamasaki, M., Sakurai, S. and Isagi, Y. (2012) Climate oscillation during the Quaternary associated with landscape heterogeneity promoted allopatric lineage divergence of a temperate tree Kalopanax septemlobus (Araliaceae) in East Asia. Molecular Ecology, 21, 3823-3838. #日華植物区系型分布の植物種で最初の集団遺伝解析論文です.

東アジア温帯林構成種の系統地理

  • 東アジア温帯林の分布はどのように変化してきたのか?これは,世界で最も植物多様性の高い東アジア温帯林の形成プロセスや,陸橋によって幾度となく陸続きになった日本列島と大陸との関係性にも直結する重要な問題です.これまで,大型植物化石や花粉化石の分 析を中心に研究が発展してきましたが,化石記録とは独立したデータソースに基づいた推定による検証が必要とされています.私たち は多数の温帯林構成種について集団遺伝解析と生態ニッチモデリングというアプローチを導入することで,この問題に取り組んでいま す.
    • カツラ属植物 Cercidiphyllum.浙江大学・Y-Q Qiu博士らとの共同研究.
    • バイカアマチャ Platycrater arguta.浙江大学・Y-Q Qiu博士らとの共同研究.
    • フサザクラ属 Euptelea.浙江大学・Y-Q Qiu博士らとの共同研究.
    • ユズリハ属 Daphniphyllum.浙江大学・Y-Q Qiu博士らとの共同研究.
    • コウヤマキ Sciadopitys verticillata.森林総合研究所・James R.P. Worth博士らとの共同研究.
    • 日本列島の温帯林構成植物.東京大学・岩崎貴也博士らとの共同研究.
    • トチノキ Aesculus turbinata.京都大学・菅原可奈子さんらとの共同研究.
    • サワグルミ Pterocarya rhoifolia.京都大学・菅原可奈子さんらとの共同研究.
    • イワカガミ属植物 Schizocodon.京都大学・東広之博士らとの共同研究.
    • オンツツジRhododendron weyrichii.千葉大学・渡辺洋一博士らとの共同研究.
    • イワユキノシタ Tanakaea radicans.
    • イワウチワ属 Shortia 京都大学・瀬戸口浩彰博士らとの共同研究.
    • ギンバイソウ属 Deinanthe 京都大学・浅岡由衣さんらとの共同研究.
    • ツクバネウツギ属 Diabelia 海南大学・王华锋博士らとの共同研究.
    • ヒメフタバラン 海南大学・王华锋博士らとの共同研究.
    • カンアオイ属 Asarum 京都大学・髙橋大樹さんらとの共同研究.
    • ハマダイコン Raphanus sativus 臨沂大学・韓慶香博士らとの共同研究.

参考文献

  1. Qi, X.S., Chen, C., Comes, H.P., Sakaguchi, S., Liu, Y.H., Tanaka, N., Sakio, H. and Qiu, Y.X. (2012) Molecular data and ecological niche modelling reveal a highly dynamic evolutionary history of the East Asian Tertiary relict Cercidiphyllum (Cercidiphyllaceae). New Phytologist, 196, 617-630. #浙江大学との共同研究で進めてきた東アジアスケー ルでのカツラ属植物の系統地理論文です.本州中北部の亜高山帯にのみ分布するヒロハカツラCercidiphyllum magnificumとカ ツラCercidiphyllum japonicumとの間で遺伝子浸透が起こっており,北日本のカツラ集団ではヒロハカツラ型の葉緑体に置換さ れていることが分かりました.同様の遺伝子浸透パターンはバイケイソウ属植物でも報告されており,温帯性植物が寒冷気候へ 適応していく上で,そうした浸透交雑がどのような役割を果たしてきたのか,興味深い研究課題だと思います.これからもカツ ラ属植物との付き合いが続きそうです.
  2. Worth, J.R.P., Sakaguchi, S., Tanaka, N., Yamasaki, M. and Isagi, Y. (2013) Northern richness and southern poverty: Contrasting genetic footprints of glacial refugia in the relictual tree Sciadopitys verticillata (Coniferales; Sciadopityaceae). Biological Journal of the Linnean Society, 108, 263-277. #日本に固有のコウヤマキ科コウヤマキSciadopitys verticillataの系統地理論文です.花粉分析からはスギCryptomeria japonicaなどの温帯性針葉樹と共に第四紀後期の気候変動を 生き抜いてきたことが示唆されており,最終氷期には日本列島の沿岸部にのみ逃避地が形成されていたのではないかと考えられ ていました.しかし,葉緑体における遺伝的変異を調査した結果,中部地方の集団に最も高い遺伝的多様性が検出されたほか, 固有のハプロタイプも見つかったことから,最終氷期においてコウヤマキは中部地方の内陸部にも残存していたことが示されま した.

シカと森林生態系の相互作用;生態系管理を目指して

  • 京都府,滋賀県,福井県の県境に位置する京都大学芦生研究林には,老齢の冷温帯性針広混交林が分布しています.この混交林は,主にアシウスギCryptomeria japonica var. radicans,ブナFagus crenata,ミズナラQuercus crispula などが優占し,林床にはチシマザサSasa kurilensis やチマキザサS. palmataなどのササ類,ハイイヌガヤCephalotaxus harringtonia var. nanaなどが見られます.芦生地 域は本州中部から連なる冷温帯林の南西端に当たるため,草本種を中心に多くの遺存分布集団が分布します.ゼンテイカHemerocallis dumortieri var. esculenta,タヌキランCarex podogyna,コメススキDeschampsia flexuosa などが,その典型例です.ま た,奥山であった芦生は大規模な森林伐採を経験していないことから,大径木の樹幹には貴重な着生植物が見られます.さらに,最近 の系統地理研究によると,この地域のトチノキ Aesculus turbinata ,アシウスギ,ハリギリKalopanax septemlobus などには固有のハ プロタイプや対立遺伝子が豊富であるほか,モミジチャルメルソウMitella acerina などの地域固有種が分布することからも,芦生を中心とした地域が第四紀における温帯林の重要な長期逃避地として機能してきたことはほぼ確実だと言えます.

写真.芦生の風景 (左:典型的なアシウスギ-ブナ混交林,中:5月の由良川本流沿いの草本群落・モミジチャルメルソウやリュウキンカが花開く,右:ミズナラの大木).


  • しかし,およそ10年前より,芦生ではニホンジカCervus nippon の生息密度が急激に高まり,その強い採食圧の下で林床植生はわずか 数年で衰退してしまいました.それまでは普通に観察できたササ類やハイイヌガヤなどは,現在では地域的な絶滅危惧種になっている ほどです.こうした危機的な状況を受けて,2006年から大規模なフェンス(防鹿柵)を利用したシカの排除試験が行われています.こ の試験では,シカの生息密度を簡単には下げられない現状の中で,防鹿柵によって地域の生物多様性・生態系機能をどこまで回復させ られるのかを検証しています (芦生生物相保全プロジェクト,又の名をABCプロジェクトhttp://www.forestbiology.kais.kyoto- u.ac.jp/abc/).
  • 私たちはこの防鹿柵の内外(32ha)に3.4kmのトランセクトを設置して,大規模に植物多様性のモニタリングを継続しています.従 来,防鹿柵を用いた植物多様性の変化を検証した研究では,小面積のプロットをベースにしているものが大半であるために,群集の中 の低頻度種の動態を十分に捉えきれない可能性がありました.しかし,そうした低頻度種は群集の種多様性の大きな部分を担っている ほか,シカの採食圧のような外圧の影響を受けやすいと考えられるため,大規模なトランセクト調査によって動態を評価する必要があ ります.調査にかける労力は大変なものですが,柵内での植物群集の回復ぶりを目にするとその苦労も吹き飛んでしまいます.
  • ABCプロジェクトの概要はこちらのパンフレットをご覧ください(http://www.forestbiology.kais.kyoto- u.ac.jp/abc/ABC_pamph.pdf).

参考文献

  1. 阪口ら (2008) 芦生上谷流域の植物多様性と群集構造 ―トランセクトネットワークによる植物群集と希少植物の検出―. 森林研究, 77, 43-61. #大規模防鹿柵試験の初期状況の報告です.トランセクトネットワークを利用することで多くの希少種を検出すること ができたほか,地域の植物群集の構造についても解析を行っています.
  2. 阪口ら (2012) ニホンジカが多雪地域の樹木個体群の更新過程・種多様性に及ぼす影響. 森林研究 78, 57-69. #1.と同じ防鹿柵の中 で,樹木の更新状況について報告しています.防鹿柵の設置はシカに食べられやすい樹木の更新を促進しましたが,その効果は 地形や土壌表面に依存することが明らかになりました.
  3. 阪口ら (2012) 日本海側冷温帯性針広混交林におけるニホンジカの植物嗜好性. 森林研究 78, 71-80. #芦生研究林上谷地域におけ る,シカの植物種に対する嗜好性を調査した結果の報告です.シカの採食圧下にある植物群集では,個々の植物へのシカの嗜好 性の違いが群集組成に影響することが知られているため,嗜好性というパラメータを推定することが重要です.多くの種につい て嗜好性を定量化することによって,シカの嗜好性には植物側の系統的な自己相関が存在すること,日本国内でも地域差がある こと,そして植生の衰退に伴って嗜好性が変化しうることを指摘しました.

その他

  • 無報酬花をつけるナツエビネの送粉生態
    • ナツエビネCalanthe reflexa は盛夏の林床でひっそりと花を咲かせるラン科植物ですが,この花には距がなく,訪花昆虫への報 酬として蜜を貯めることができません.また,ナツエビネが咲くころの林床には,他種の草本植物もほとんど花を咲かせないた め,どのようにしてナツエビネが訪花昆虫を誘引しているのかは,興味深い問題です.私たちは,多数のインターバル撮影カメ ラをナツエビネ集団に導入することで,訪花昆虫相と訪花頻度や結実率に影響する要因を検証しています.

参考文献

  1. Sakata, Y., Sakaguchi, S. and Yamasaki, M. (2014) Does community-level floral abundance affect the pollination success of a rewardless orchid, Calanthe reflexa Maxim.? Plant Species Biology, 29, 159-168. #複数年・複数地点で行った野外調査の結果を まとめた論文です.ナツエビネの送粉生態を記載し,ニホンジカの採食によって無報酬花をつけるナツエビネの送粉成功が影響 されることを指摘しています.
  • ハリギリの葉に寄生するハリギリ褐斑病菌の寄生率の地理的変異
    • ハリギリの葉を秋に観察すると,黒褐色の病班を見つけることができます.これは,主にハリギリ褐斑病菌Mycosphaerella acanthopanacis という寄生菌によって形成されるもので,重度に寄生されたハリギリ個体は早期に葉や果実を落下させてしまう ほか,実生の生存にも負の影響が及ぶことが知られています.このような寄生菌の存在は,森林内でハリギリが散在的に分布す るという特徴を生み出している可能性が指摘されていますが,寄生菌のホストへの寄生率は本州中部の1林分でしか調査されて おらず,より広域スケールでも同レベルの寄生率が保たれているのかは不明でした.私たちの観察では,このハリギリ褐斑病菌 の寄生率には,日本列島内の集団間で大きな変異が存在することが分かってきており,そうした空間パターンが生じるメカニズ ムについて解析を行っています.

参考文献

  1. Sakaguchi, S., Yamasaki, M., Tanaka, C. and Isagi, Y. (2012) Examining the factors influencing leaf disease intensity of Kalopanax septemlobus (Thunb. ex Murray) Koidzumi (Araliaceae) over multiple spatial scales: from the individual, forest stand, to the regions in the Japanese Archipelago. The Journal of Ecology and Field Biology, 35 (4), 1-7. #ハリギリのハリギリ褐 斑病罹病率を日本全国30か所の天然林で調査し,その変異を解析した論文です.罹病率は,ハリギリの個体サイズ・個体密度と いった局所的な要因に加えて,地域スケールで変化する気候要因と関連していることが示されたほか,緯度に沿ったクラインも 同時に検出されました.こうした緯度クラインがどうして形成されたのかは未解決の問題ですが,褐斑病菌とハリギリの進化生態学的な側面を探求していくことが問題解決の鍵になるのではないかと考えています.

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