現地での生活

この文章は、NPO法人「FENICS」の20212月25日発行のメールマガジンに寄稿したものです。編集・発行者の許可を得て、こちらに転載しました。

クントゥルワシの宿泊施設は簡素なもので、タイル状の床に2台のベッドが置いてある。床は石造りなので子供がベッドから落ちないように気を遣い、もしものときのためにタオルなどを敷いておいた。1度か2度は目を離した隙に落ちてしまって泣いていた。大きいスーツケースを2つ持っていき、そのうち一つは子供のオムツ、離乳食、粉ミルク、洋服、子供用便座(私たちの子供は便秘気味で、この便座がないとなかなかうんちをしてくれない)で埋め尽くされた。ごはんはレトルトの離乳食を持っていった。Nさんが私達のために持ってきてくれた分もあり、2週間弱の滞在中はやりくりしてなんとか足りた。子供は少食かつ偏食なので、現地のものは麺やパン、マンゴーなどしか食べなかった。パンは気に入ったようで、食事後も片手に持って少しずつ食べていた。大人の食事中は私と夫が交代であやしながら食べていたが、早く食べ終わったWさんが代わりに面倒を見てくれたりもした。


一番大変だったのは夜の寝かしつけである。時差ボケで子供はなかなか眠らず、仕方がないので授乳(添い乳)で寝かしつけることにした。授乳のせいで私が眠れず辛い時は、夫が子供を抱いて夜中に散歩に出てくれたりもした。夫も眠くて辛い時は、また私が授乳して…と交互にあやしながら夜を過ごしていた。今となっての心残りは、ようやく終わっていた夜の授乳が、これを機に帰国後も復活してしまったことである。夜の授乳はペルー出張の帰国後から1年弱経った現在でも続いている。それまでは朝まで子供も私もぐっすり眠れていたのに、夜中に子供に起こされたり、添い乳の姿勢が辛くなって眠れなかったりと長く尾を引いているので、もっと他に良い方法がなかったのかと思ったりもする。また、調査地は高地で夜が寒く、十分に暖を取らなかったせいで、私が風邪をひいてしまい、帰国後も長引いて軽い喘息になったりもした。子育て中は何かと疲れが溜まって病気になりやすいなと感じた。


とはいえ調査のスケジュールはWさんの計らいもあり、夜の寝かしつけ以外は不安などもなく比較的快適に過ごすことができた。子供は実際に牛や羊などの生き物を見て、「モーモー」「メーメー」と何種類かの動物の鳴き声を発するようになり、普段と違う環境を新鮮な目で見て楽しんでいたようだった。近所の少し年上の男の子と交流したり、お店のお姉さん達に遊んでもらったり、車もほとんど通らない広い道をとことこ歩いたりと、刺激的な生活だったようで、目に見えていきいきとしていた。まだ完全に目を離せる年齢ではないので、夫と交代で子供をあやしながら、フィールド/博物館での資料整理や調査を実施し、また皆で博物館や遺跡の見学に行った。ペルーをフィールドにした研究はこれまで経験がなく、Wさんから直接資料の説明や遺跡の背景を聞けたことはとても有意義で、研究対象への理解がずっと深まった。資料の収蔵庫は宿泊所の階下にあったため、資料の整理をする時は夫と交代で、宿泊所にいる子供の面倒を見ていた。博物館や遺跡を訪問する際は、抱っこひもを使って子供を抱っこしながら皆で訪れた。


振り返ってみて、地球の裏側まで出張に行くのは一人でも大変なのに、子供を連れて初めてのフィールドによく行ったなあと思う。夫の同行がなかったらまず無理だった。それでも、頑張って行って良かったなと思う。COVID-19の蔓延しているこの状況下で、ペルーに限らず海外への調査には当分行けなくなってしまった。この記事を書いている現在、子供は2歳を過ぎ、言葉も話せるようになって自分の意思が出始めてきたため、いまでは別の大変さがある。最近家族で行った国内出張では、抱っこは母親じゃないと嫌だと駄々をこねて困ったりもした。もう少し大きくなれば子連れ出張は楽になるだろうか、それとも逆に大変になるだろうか、とぼんやり考えている。

子供を連れてのペルー滞在を受け入れて出張を計画してくれたWさん、常に子供へ配慮して飛行機の予定も組んでくれたNさん、子連れ出張に嫌な顔せず面倒を見てくれたKさん、同行してくれた夫には本当に感謝である。


クントゥルワシ遺跡を子連れで見学