初代キャプテンからのメッセージ
◆笹丘ラグビーの成り立ちについて
我々が立ち上げたチームが30年も存続しているなんて感激の極みです。
少しばかり、私がはっきりと記憶していることを書きます。
1982年、私が小学5年生の春、馬場先生が担任のクラスになりました。
(馬場泰弘先生はH23年5月現在西区福重小学校の校長先生です。)
その頃は分団登校がなく、朝早めに登校すると学校のグランドが自由に使えるので、
みんなで何か運動しようと言うのが始まりでした、呼びかけたところ他のクラスの生徒
まで集まって、30人ぐらいになったと思います。実はその人数だったのでラグビーに
なったのです。しかも始めた当初、ラグビーについては全員素人でした。
もちろん馬場先生もラクビーなどやったことがなく、一生懸命ラクビーのことを勉強して
いたのを覚えています。
当時は土曜日も休みではなかったので、練習は週6日、毎朝早朝学校に着くとまず着替えて、
上半身裸、素足の短パンだけで学校内の一番の外回りを3キロほどランニング。
上半身裸、素足は冬でも雪でもそうしていました。
ラグビー自体の練習プログラムは細かくは覚えていないのですが、そう変わったことは
していなかったと思います。
なんせ、ラグビーボール以外は何も持ってなかったので、タックルの練習は
マット運動の時のマットをロール状にしてやっていました。
素人集団なので、技術的なことよりも基礎体力作りのほうが主だったと思います。
1年間しっかりと練習して6年生の春に初めての試合を行いました。
そして、5月に名古屋に転勤になってしまったのでキャプテンを譲り、チームを抜けてしまいました。
当時は、ブラックタイガースというチーム名でした。
はじめての試合をする時「笹丘小学校チーム」じゃ格好悪いので、みんなで考えて付けたチーム名です。
当時はかっこいいと思ったのですが、子供の考えることですからね、チームフラッグは今思えばエビですよね。
今は、ユニフォームが公式戦と練習用とあるんですね。
普段着ているほうが私たちの時代のトラ柄なのは嬉しいですね。
◆現在のチームメンバーへ
素人集団の私たちが始めたラグビーチームが30年たった今でも、
更に大きくなって活動を続けていることに感動しています。
今のチームに比べれば、私たちの技術などひどいものだったと思いますが、
ラグビーへの想いは同じだと信じています。
きっと肘、膝、すりむけていることでしょう。
痛い思いも何度もしたと思います。
でも、それが嫌な思いになって残ることなんてないはずです。
笹丘ラグビーのモットーである「走ればなおる」
私たちの時も似たような言葉をよく言われました、
すりむいた膝が痛いなどと言っていると「練習すればなおる、はしれ!」
これから中学、高校と進んで行く中でラグビーを辞めてしまうかもしれませんが、
それはそれで構いません、今、全力でやってください。
必ずみんなの力となります。
なんの力かなんて口で説明できる物ではないので説明しません。
今全力で取り組めば必ず分かる時が来ます。
大事なのはラグビーの技術ではなく「気持ち」です。
これからも笹丘ラグビーを応援していきます。
村澤剛志