幼児2人同乗用自転車
6年前の法改正で普及
最近よく見かけるようになった幼児2人同乗用自転車。平成21年の神奈川県道路交通法施行細則の改正により、基準を満たした幼児2人同乗用自転車に6歳未満の子ども2人を乗せることが認められました。
藤沢市では、平成23年度から、子育て世帯を対象に3万円を限度に購入費の2分の1を助成する補助制度があります。年間400件ほどが交付され、子育て世代の強い味方となっています。特に保育園などへの送り迎えには便利です。渋滞に巻き込まれず、保育園の周りに迎えの車がひしめくことも避けられます。
しかしながら、この自転車への世間の馴染みが薄いことや、自転車一般に関する道交法の認識が曖昧であるために、誤解や不安が生じています。
軽車両である自転車は原則として車道を走ることとなっています。しかし、1人乗りの自転車とは違い、幼児2人同乗用自転車は前後に大きな荷物を載せている状態ですので、ゆっくり走れば不安定ですし、幅もあるため路肩を走るにも交通量のある道路ではとても危険です。川崎市では、母子3人が乗った幼児二人同乗用自転車が、前から来た自転車を避けようとして転倒し、5歳の子どもがトラックにひかれて亡くなる事故も起きています。
一般的に、自転車は車道を走ることが原則だから、歩道では押して歩くのが『常識』と思っている人が多いように思います。しかし、車道走行が危ないと判断した時は歩道を通るしかないわけですが、原則通りに押して歩かなければならないものなのでしょうか?前後に幼児を乗せたままの手押しはそれこそ不安定で危険です。かといって幼児を降ろした場合、自転車を押しながら幼児二人と手を繋ぐことも困難で、それもまた幼児を守ることができません。
今年6月の道交法の改正で自転車に関する取り締まりが厳しくなったため、幼児2人同乗用自転車についての変更はないものの、交通ルールを守らなければならないとの意識が高まり、利用者の方々の不安が高まっています。今回の一般質問を通して自転車に関する基本的な交通法規を確認しました。
例外的に歩道走行は可
道交法には「車両は、歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない」(第17条第1項)とありますが、「普通自転車は、次に掲げるときは、第17条第一項の規定にかかわらず、歩道を通行することができる」(同法第63条の4の第1項)ともあり、「1号 道路標識等により普通自転車が当該歩道を通行することができることとされているとき。2号 当該普通自転車の運転者が、児童、幼児その他の普通自転車により車道を通行することが危険であると認められるものとして政令で定める者であるとき。3号 前2号に掲げるもののほか、車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」との例外規定があるのです。そして「前項の場合において、普通自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分(道路標識等により普通自転車が通行すべき部分として指定された部分があるときは、当該普通自転車通行指定部分)を徐行しなければならず、また、普通自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない」と歩道走行の際に守らなければならないことが第2項に書かれています。ちなみに『徐行』とは「車両等が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう」(第2条21号)と定義されています。
今回の一般質問で「やむを得ないと認められるとき」とはいかなる時かと質問したところ、「国家公安委員会の告示である『交通の方法に関する教則』におきまして,「道路工事や連続した駐車車両などのために,車道の左側部分を通行することが困難な場所を通行する場合」や,「著しく自動車などの交通量が多く,かつ,車道の幅が狭いなどのために,追越しをしようとする自動車などとの接触事故の危険がある場合」について,「普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」の具体的な例として示しております。」との答弁がありました。
特殊性が考慮されてない
今回の一般質問を通してわかったことは、幼児2人同乗用自転車は6年も前から認められているにもかかわらず、その特殊性に反して、一般の自転車と同じ扱いになっているということです。交通弱者である歩行者の安全は第一に優先するべきですが、小さな子どもを2人も乗せた幼児2人同乗用自転車も極めて弱い存在で、守らなくてはならない存在であると私は思います。一方で、自転車としては大柄ですので、運転手の交通マナーもとりわけ問われます。
自転車は車道走行が原則ですが、車道を通行することがやむを得ないと認められるときは歩道を走行でき、その際、歩行者に対する安全配慮義務はあるものの、歩行者がいないのに降りて押して歩かなくてはならないという不合理な法的規制ではないのです(道交法第63条参照)。ある程度は当事者の判断に委ねられているということです。
このように道交法は性善説にたっているわけですが、一方で新庁舎建設予定地の中にある通路など市の管理している通路には、「自転車は降りて通行」と表示されていたりします。こうして書いてあれば、休日など、ほとんど人がいないにもかかわらず、ルールは守らなくてはならないと思い、やはり降りて通行しなければならないことになってしまいます。しかし、市当局によりますと、自転車走行を禁止する根拠法はないとのことです。管理をする上で、性善説に立って利用者の判断を尊重し「歩行者の安全に配慮して通行してください」とするのか、管理主義的に一律に自転車の走行を禁止するのかでは大きな違いです。利用者同士が相互に思いやり、当事者が自律的に判断する方が合理的なのではないか、と私は思っております。
公園のふしぎ
公園は、私たちの住環境の質を左右する、地域社会にとって重要な存在です。誰もが利用できる一番身近な公共の広場です。のびのびと体を動かせる場であったり、憩いの場であったりします。とりわけ、子どもにとっては、自由な発想で多様な経験をとおして成長することができる、地域において子どもが育つ重要な場でもあります。しかし、近年はやたらとルールが増え、してはいけないことばかりで息苦しさを感じている方も多いかと思います。公園をよく使う子育て世代からの声を受け、市当局に確認してわかったことや曖昧な点をご報告します。
① ボール遊びは禁止!?
とりわけ私たち(ちなみに私は35歳です。)の子どもの頃との違いを感じるのは、公園でのボール遊びについてだと思います。“ゴルフや野球など球技をしないようにしましょう”と書かれた看板を随所で見かけます。今回の一般質問への答弁で「施設環境の整った一部の公園を除いた多くの公園では、他の利用者に危険が及ぶ可能性のある、野球やサッカーなどの球技やゴルフなどについては、藤沢市都市公園条例により、「危険な行為、又は他人の迷惑となる行為」として禁止しております。一方で、保護者や大人が見守る中で、幼児のボール遊びなどについては、禁止措置をしておりませんので、他の利用者への配慮をお願いし、ご利用いただいている実態となっております」と市当局は答えました。すなわち、“球技”に発展しない程度のボール遊びまで一律に禁止しているわけではないということです。「危険な行為、又は他人の迷惑となる行為」を禁止しているのであって、基本的には利用者間の相互の思いやりや気遣いに委ねられているということのようです。
② 昆虫採集はいい?
藤沢市都市公園条例の第9条には「都市公園においては,次に掲げる行為をしてはならない」こととして、第6号に「動物を捕獲し,又は殺傷すること」とあります。動物愛護法や『神奈川県動物の愛護及び管理に関する条例』では“動物”とは「哺乳類、鳥類、及び爬虫類に属する動物をいう」と定義があるのですが、藤沢市の条例では明確ではありません。今回、市当局は「“動物”の定義は特に定めておりませんが、植物以外の全ての生き物を動物と認識し対応しております。」「都市公園条例により動物を捕獲し、又は殺傷することを禁止しておりますが、虫取りなどについては、条例に基づき公園管理を行っていく中では、禁止の対象とはしておりません。」との答弁がありました。すなわち、藤沢市では、基本的には動物一般の捕獲や殺傷を禁止としていながらも、神奈川県の条例やその上位法である動物愛護法の規定する愛護動物(哺乳類や鳥類、爬虫類)以外の動物に関しては特に禁止していないということのようです。
命の尊厳というものは、いかなる生物であっても「命のかけがえのなさ」という点においては共通しているわけですが、かといって人間にとって害のある生物を人間がコントロールしようとするということも自然の摂理に適っているように思えます。一方で、人間の行き過ぎた自然への介入が生態系を破壊しているということもあります。私自身の思想信条としましては、人間の自然への介入は極力しないほうがいい、と思っていたりもしますので、一律に動物の捕獲や殺傷を禁止する、ということであったとしても私個人としては賛同するのですが、しかし、子どもたちが成長するに際しては、昆虫採集や自然遊び、といったある種残酷な遊びを通して、命のはかなさや尊さを学ぶという面もあるかと思います。また、そういった遊びには文化としての側面もあります。こうしたことは生命倫理上の様々な問題を含んでいますので、一概にこうでなければならないとしてしまうのではなく、問題が生じたその時々に最善の策を地域の人々を主体として一緒に考え対処していくのが行政の在り方としていいのではないかと私は思います。
地域主体の公園管理を
管理者である市当局やその委託を受けた関係者は、管理上の必要から植物の伐採や植え付け、害虫や外来種の駆除などを行っています。それを傍から見た利用者や地域の人々に誤解が生じていることがしばしばあります。在来種のメダカを放流しているのを見て、金魚を放流してもいいと思ってしまう人や、捕食されてしまうからと鯉は釣ったほうがいいと思っている人もいたりします。それぞれの公園利用者がそれぞれの判断で、好意でしていることが、異なった認識であったりして、衝突してしまうこともあるかと思います。とりわけ、子どもたちは誤解して、怒られたり、危険な目にあったりすることもあるかと思います。公園管理上の考え方や、行っている対処について看板に明示したり、回覧板で知らせたりといったことが、社会教育的意味としても重要なのではないかと提案しました。
NPO幼児教育施設
幼児教育施設というのは、幼稚園に準ずる認可外の幼児教育や保育を目的とした施設のことです。就学前の幼児にとって、保育園や幼稚園は、さまざまな大人や同世代の仲間と出会い、ともに成長する場でもあります。親にとっても、子どもを預けることで仕事など自分のことに専念できるのみならず、子育ての専門家と出会い、アドバイスを得るなどして親として学ぶことのできる場でもあります。
幼児を預ける先としては、大別すると、児童福祉法に基づく保育園か学校教育法に基づく幼稚園があり、保育園は保護者の就労が条件ですが、幼稚園はそうした縛りはありません。しかし、一般に幼稚園の方が費用が高いため、誰もが幼児教育を受けることのできる機会均等を図るために公立の幼稚園も存在しているのだと思います。藤沢市には公立の幼稚園がないわけですが、藤沢市には多様な幼稚園や認可外の幼児教育施設がありますので、幼児教育の公共的役割は担保されているということかと思います。
中でも、今回取り上げたのは認可外の幼児教育施設についてです。幼稚園に準ずる施設で、幼稚園等就園奨励費補助金の交付対象施設となっている幼児教育施設は、市内に12施設あります。英才教育などの特殊な幼児教育を行っている施設がある一方、営利を目的としないNPO法人が運営する施設があります。これらは、高度経済成長の只中にあった1960年代ごろ、郊外に団地が次々とできて人々が移住してきたため、幼稚園不足が深刻となり、親たちが『我が子に豊かな幼児期の育ちを』との願いから自分たちで作ったのが始まりだということです。
認可外ゆえの構造的困難
これら地域の要請に応えて市民の手によって立ち上げられた幼児教育施設は、保護者の運営協力や、子育て相談を重視しているため、あえて預かり時間を短くしているそうです。運営形態としては幼稚園に近いわけですが、団地の集会室などを借りて運営しているために、専用の園庭がないなど、幼稚園設置基準を満たすことができないため、認可を受けることができません。一方で、園庭はなくても、団地の広場を優先的に使うことができるなど、むしろ恵まれた保育環境であったりもします。ですが、認可幼稚園でないことから、認可幼稚園の運営予算の大部分を占める私学助成を受けることができません。藤沢市では、他市では認可外の幼児教育施設は補助の対象となっていないことが多い中、幼稚園等就園奨励費や幼児教育振興助成費などの対象になっているだけ恵まれているのかも知れませんが、それらは運営費に充てることができないため、園児からの利用料で全ての運営費がまかなわれています。そうした構造的問題ゆえに、慢性的に苦しい経営を余儀なくされています。それでも、誰もが利用できるように利用料を上げるわけにもいかず、削れるところといえば人件費ということで、保育経験が20年以上のベテラン職員が、平均的な幼稚園の初任給程度やそれ以下の時給で働かれています。サービス残業が常態化しており、職員の労働条件に責任を持つこともできず、若い世代にバトンタッチしていくこともままならない現状だということです。
現在でも存続している4園からなる藤沢市幼児教育協議会は、20年以上前から毎年、藤沢市に対して公的支援を求めて要望書を出してきました。具体的なお願いとして、幼稚園等就園奨励費補助金や幼児教育振興助成費補助金の増額要望をしてきたそうですが、構造的財政難は改善されることはありませんでした。
今回の私の一般質問では、こうした構造的な問題を取り上げました。藤沢市としても、これまで具体的な財政に関わる相談が協議会からの要望の際にはなかったため、そうした困難を抱えているというほどの認識ではなかったようです。今後は「さらなる支援に関しましては、幼児教育施設は、幼稚園と異なり、県が行う私学助成の対象外となっているため、県に対しまして私学助成の範囲拡大を要望していくとともに、市としましては、施設が抱える運営的な課題などの解決に向けた相談支援を行ってまいりたいと考えております。」と答弁してくれました。
今回取り上げた幼児教育施設は、半世紀近くにわたって地域に根付き、高齢化の著しい団地にとっても、こうした子どもが育つ場があるということが、コミュニティをイキイキとさせる重要な存在となっているように思います。こうした公共的な、市民の自助努力によって維持されてきた子育ての和が、断ち切れることのないように、私としても応援して参りたい所存です。