自分は現代の分析形而上学における時間の哲学を専門にしています。これまでの自分の研究は特に「時間の向き」を中心に進めてきました。自分の現在の研究内容は大きく以下の3つに分けられます。
分析形而上学における時間の哲学は、マクタガ―トの時間の非実在性の証明に端を発するA理論とB理論という対立構図のもとで展開されてきました。一言で述べるならば、A理論が「時間にとって本質的なのは、過去から現在、そして未来へと移り変わる時間の経過である」と主張するのに対し、B理論は「時間にとって本質的なのは、『~より前/後である』という時間的前後関係である」と主張します。こうした対立構図のもと様々な論争が繰り広げられてきましたが、「時間が客観的な向きを持たなければならない(過去と未来という時間の方向に関して、客観的な違いが存在しなければならない)」という前提に関してはA・B理論の両方とも無批判に受け入れてきました。自分の博士論文"A New Direction for Time"では、この自明とされてきた前提の批判的検討に努めました。具体的には、この前提を正当化するためにA理論・B理論から提出されてきた様々な議論を定式化・検討したうえで、そうした哲学的な議論は今のところ全て失敗していると主張しました。
(1)の研究成果を踏まえて、自分は「時間の向きは客観的なものではなく、われわれ人間が世界に投影している主観的なものに過ぎない」という立場、すなわちC理論が最も有望な時間理論ではないかと考えるようになりました。しかしながら、明らかにこの見解には多くの困難が存在します。例えば、 因果や行為者性、変化などどいった時間に関わる様々な重要な概念を客観的な時間の向きに訴えることなく理解することは可能なのか?もし時間の向きが客観的に存在しないのであれば、我々はどのようにして「2015年は2020年より前である」などといった時間の向きを前提にしているかのように思われる言明を理解できるのか?そもそも客観的な向きを持たない時間は可能なのか?こうした問題への取り組みを通じて、C理論を確立・擁護しようとしています。
(1)、(2)以外にも、時間に関わる様々な問題に取り組んでいます。具体的な現在の研究テーマとしては、「一部のB理論者が主張している、いかなる物理現象にも還元されえないような根源的な時間の向きという考えは理解可能なのか?」、「時間の経過は本当にB理論と両立不可能なのか?」、「時間の空間化とは何なのか?」の3つがあげられます。