バロックダンス
バロックダンス
鈴木ヴァイオリン教本1巻の後半になってくると、メヌエットやガボットなどの曲を弾けるようになってきます。
メヌエットやガボットの名前は良く聞きますよね?そんな名前の音楽がたくさんありますよね?でも名前は同じでも全然違う曲で…
“百聞は一見にしかず”ということで、メヌエットの動画を!
どうでしょう?
実は、メヌエットもガボットも踊りの曲なのです。
ですが、それがヴァイオリンの無伴奏になると、このように変身します。
バッハ 無伴奏パルティータ 第3番
※その他のバッハの無伴奏パルティータ第1番、2番も踊り名前がついているのですよ!
踊りのリズムが主体になっているようです。因みに第3番の一番初めのプレリュードは例外です。
踊りと器楽は密接の関係にありながら、別々の道を辿ったのかもしれませんね。
実は、大学時代には、正にメヌエットやガボットなどを踊るバロックダンスの授業がありました
一つ一つの踊りでリズムに乗ったスッテップを踏み、また体の重心のかかる拍が音楽と一致していたりと、とても楽しかったのを覚えています。
その時に少し興味が湧いたので、資料だけは手元にありましたので、(専門分野外の事ですが)少しまとめてみました。お時間のあるときにでも、気が向けばお読み下さい。
【バロックダンスとは?】
バロックダンスとは、17世紀初め頃から18世紀半ばにかけてフランスの宮廷で栄えヨーロッパ中に広まっていったダンスで、そもそも人間の感情や情熱を表現する芸術として生まれたものではなく、貴族の社会思考をを反映して宮廷社会で作られた表現芸術。
その頃の貴族たちが理想とした姿にはギリシア神話に登場する神々や英雄などがあり、決して心情をあからさまにさらけ出すようなことはせず、調和と秩序を重んじて、沈勇である様をそこに見いだしていたようだ。(この調和と秩序を重んじる精神性は、同時代の音楽とも共通する。)
このバロックダンスは<社交ダンスの源泉である宮廷の舞踏会>と、<19世紀以降のバレエと発展していった宮廷内のエンターテイメント>に大きく分けられる。
宮廷の舞踏会には、祝祭の際に開かれる政治的な秩序だって行われた舞踏会や豪華で贅沢な社交的催しの仮面舞踏会などがあった。方や、エンターテイメント性の高いものは宮廷バレエやコメディバレエと呼ばれ、(ルイ14世時代の宮廷芸術の代表的なものであり)神話や英雄詩を題材にして、音楽・舞踏・詩を一体化したもので、貴族スタイルからコミカルなものまで多種多様だったらしい。しかし、ルイ14世の引退後このバレエは衰退し、代わりに作曲家のリュリが、イタリアオペラを導入し、フランス人の趣向に合わせ宮廷バレエの要素を取り入れた、古典悲劇が題材となる叙情悲劇がその後大流行する。
【バロックダンスの様々な踊り】
《メヌエット》
メヌエットは宮廷舞踏の花形として一世紀以上も踊られたバロックダンス。フランスで流行し、イギリス、ドイツ、イタリアなど、ヨーロッパ中の宮廷に広がっていった。
宮廷舞踏としてのメヌエットの最盛期は17世紀末から18世紀初めにかけて。
男性と女性のカップルで踊り主に男性が女性をエスコートする。踊りには、品格や教養、秩序を重んじた貴族独特の自己表現が見られる。
通常のメヌエットは3/4拍子で書かれてあるが、1回のメヌエットステップは6拍(=2小節)を要する。
また強拍は、通常各小節の頭に置かれる。
♩♩♩|♩♩♩( は“拍にかかる重さ”を示す)
メヌエットを通して問われる貴族の教養は、礼儀・作法・ダンス上の身のこなしはもちろんのこと、ダンス音楽にいかに敏感かという音楽性も問われていた。また、たった6拍をどのように分割し、またどのように装飾するのかということを100年以上も舞踏家達は熱意を傾けたと言われている。
《パスピエ》
パスピエは宮廷の舞踏会で踊られるダンスとしても人気を博し、またオペラやバレエなどでは、パストラル(牧歌的)な場面でよく踊られた。3/8や6/8拍子の音楽のアウフタクトで開始され、第1パスピエ、第2パスピエ、ダ・カーポして第1パスピエに戻る。パスピエもメヌエットの関連舞曲として取り上げることが出来る。音楽上の特徴は、時折見られる<ヘミオラ>のリズムが挙げられる。
※ヘミオラ)通常、楽節の終わりから3小節目と2小節目(の2小節間)に起こる拍子の変化で、小節線を越えて6拍子を大きく3拍子にとる。
《ブレ または ブーレ》
ブレはオーヴェルニュ地方のフォークダンスに由来するという説があるが、宮廷舞踏のブレとの繋がりは明らかではない。
音楽は2拍子系で多くの場合は2/2拍子で、時折2/4、4/4拍子で書かれてある。リズム的には単純明快で、「陽気な、喜びに満ちた、心地よい」と例えられ、軽やかに演奏されることが多い。また、ステップには、軽やかな跳躍が含まれる。精神性の深さをあらわすというよりも、生きる喜びを表現しているともいわれている。
《リゴードン》
ブレの関連曲として挙げられ、同じく2拍子で活発で明るい陽気な雰囲気を持つ。ルイ14世時代にフランスで流行し、イギリスへと人気は広まった。
《ガヴォット》
ダンスとしても楽曲としても、ガヴォットは1720年、30年代に流行のピークを迎える。それは、この時期に流行したパストラル(牧歌的で、羊飼い達がバグパイプの音に合わせて野外で踊る風景を思い浮かべてみて下さい)趣向に関連している。宮廷(や、パリ)の華やかな生活に飽きてきた((;゚〇゚))貴族が、のどかな田園生活や牧歌的雰囲気に憧れ、理想化して出来上がったと言われている。また、器楽曲としてバッハも、このパストラルに関連して、多くのガヴォットをこの時期に作曲している。ミュゼットの持続低音の響きを想起させるような作品。
ステップの特徴は跳躍を含むことで、その着地は1拍目にくることが多い。
18世紀初め頃のガヴォットの音楽には2つのスタイルがあり、<イタリアタイプ>と<フランスタイプ>に分かれていたらしい。イタリアタイプは(コレッリの作品に代表されるように)超絶技巧を目指した(ヴァイオリン音楽の発展に見られる)テンポの速い動きが特徴とされる。フランスタイプは、アウフタクトから始まる、バロックダンスとしてのガヴォットの音楽。
《アルマンド》
アルマンドとはフランス語で「ドイツ(人・語)の」を示す。ドイツを発祥地として、フランスで発展し、当時の文化の最先端であったフランスから、ドイツがそれを手本として取り入れるという、面白い経歴を持つ。舞曲としては実際のダンスと深い関わりを持つが、器楽曲としての発展とは、この舞曲に関してはダンスの歴史と重なり合う部分が少なく、分けて考える必要がある。
16世紀のアルマンドは拍に合わせて歩行する事を基としたダンスだったのが、17、18世紀になれば、(イギリスのヴァージナル楽派やフランスのリュート音楽の発展によって)チェンバロやリュートといった楽器の特質を考え、音符を分割して技巧的な部分を加えて変奏していくうちに、踊るためのアルマンドから、独立した器楽曲としてのアルマンドが形成された。その後、このフランスのアルマンド様式は、バッハなどの作曲家にももたらされることとなった。
ルイ14世時代のアルマンドは2分音符に動きが当てはめられてあることが多く、2/2拍子や6/8拍子(複合2拍子)で書かれ、シャッセというおどけた表情のステップが組み込まれた、若い貴族が好んで踊るような軽快で若々しさを感じさせるダンスだった。
しかし、1760年頃にフランスで新しいアルマンドのスタイルが登場する。2/4拍子に合わせてシャッセを多く含んだ軽快なダンスと紹介されているが、男女のペアがつないでいる手を離さずに、回転しながらその手の組み方を様々に変えていく踊りとなった。そうして、ステップに特徴のある音楽というよりも、手をつないだり腕を組んだりと、社交ダンスとしてのコミュニケーションの意味や楽しみがあったとされている。
《クーラント》
ルネサンス時代には軽快な跳躍(ホップ)を用いるダンスと紹介されているそうだが、17世紀末に、イタリアでは<コレンテ>、フランスでは<クーラント>とはっきりとそのスタイルの違いが音楽上に見られるようになった。
イタリアのコレンテは、3/4拍子や3/8拍子で軽快な雰囲気を持ち、早いパッセージを用いるヴァイオリン曲や鍵盤曲として発展をとげた。これに関してのダンスの資料は現存してないそうだ。
一方、フレンチ・クーラントは、荘重でゆったりとした3/2拍子の舞曲で、国王に最もふさわしい格調高いダンスとなった。
典型的なステップには、グリセと言われるすり足の美しいステップが含まれ、1拍目にスッと上方へ伸び上がり、二拍目ですり足でエネルギーを解放するかのように前進、2拍目裏拍でプリエ(片足を少し上げる動きで、次への準備に行われるステップ)をして、3拍目で静かに着地をしてフレーズのまとまりを作る…という静かでまとまった美しい動きのようです。
音楽上の拍にはステップと知的で巧妙な関わりがある。らしい…
ステップから、3/2拍子という一小節6拍を
① 4拍+2拍
② 2拍+4拍
③ 3拍+3拍
④ 2拍+2拍+2拍
⑤ 6拍
という組み合わせに分ける事が出来る。とのこと。
《サラバンド》
サラバンドの起源は、16世紀のラテンアメリカやスペインで歌と共に踊られた民族ダンスといわれている。この時期のサラバンドは表現が野卑で淫らであると言うことで、16世紀末にはスペインでは禁止されたが、実際の所どのようなダンスかは明らかではない。17世紀の初めには、情熱的な激しさと異国趣味の色彩を持つダンスとして、ギターやカスタネットで伴奏される音楽と共に、イタリアへもたらされた。
器楽曲としては、17世紀にイタリアやフランスで独自に発展し、特にフランスでは、テンポのゆっくりとした荘重な雰囲気を持つ舞曲として、元来のスペインの踊りとは全く異なる踊りになったと考えられている。それは、ドイツにも影響し、J.S.バッハは好んでゆっくりなタイプのサラバンドを作曲した。当時、サラバンドは、「荘厳」「厳粛」「メランコリー」という言葉で形容され、気品のあるバランスのとれたダンスであったといわれている。
一方、スペイン、イタリア、イギリスの器楽曲いおいては、速いテンポのサラバンドが主流となるが、舞踏との関係は分かっていない。(18世紀のイギリスではフランスと同じタイプのサラバンドへ移り変わった。)
サラバンドには特定のステップは存在しないようだが、リズムパターンとムーヴマン(強拍に当たるステップの箇所)には、はっきりとした特徴があるらしい。
サラバンドの典型的なリズムパターンと強拍
① ♩♩.♪|♩♩♩
② ♩♩.♪|♩.♪♩
※♩♩ =二拍 =強拍
③ ♩♩♩|♩♩♩
④ ♩♩♩|♩♩♩
後述のフォリア、シャコンヌとパッサカリアは、サラバンドの関連舞曲として取り上げられ、いずれも3拍子の踊り。
《フォリア》
「フォリア」という語は、もともと「ばかげた」「狂気の」「頭からっぽな」という意で15世紀後半に、ポルトガルで歌のついたダンスとして生まれ、16世紀にスペインで広まっていったが、その熱狂的な踊りは、フォリアそのものだったと言われている。その後、ギター音楽とともにイタリアへもたらされ、フランスへはイタリアのギター奏者によって17世紀中頃に紹介されたが、作曲家達がその音楽を、フランス独自のものへと変化させた。(その音楽は「スペインのフォリア」と呼ばれる)
“フォリアはあらゆるサラバンドの旋律の中で最も有名なものである。”と述べられているが、サラバンドの(シンコペーションのような)リズムと強拍がはっきりと現れ、踊りと音楽のリズムが共に、サラバンドとのたくさんの類似点を持っている。
だが、このスペインのフォリアはカスタネットの楽譜が共に残されており、踊り手は、ダンスのヴァリエーションに合わせてカスタネットのリズムを演奏しながら、ステップを踏んだと言われている。
また、変奏曲が用いられることによって、ダンス、カスタネット、音楽が共に高まりを作り(フランス人から見た)スペインの色彩を帯びた、華やかなフォリアとなった。
《シャコンヌ》
17世紀初めにスペインで流行したチャコーナは、初期のサラバンドと同様、激しい性格のダンスだったらしい。イタリアではギター音楽、声楽曲と発展していく中で、一定の和声進行、定型バス旋律を用いた変奏技法として形を整えていく。
かたや、フランスにもたらされたチャコーナは、スペインやイタリアとは異なり、気品高くバスの定型をもつ、テンポもゆっくりとした舞曲のシャコンヌに形を変えた。
このような経過を経て、イタリアのチャコーナと、フランスのシャコンヌは、器楽曲としてドイツで統合される。そして、1675年頃から1750年頃にかけて、シャコンヌとパッサカリアの全盛期が訪れたと言われている。
現存するシャコンヌの舞踏譜の多くは、劇場用のダンスのものだったようだ。道化役が踊る、貴族スタイルには全くあり得ないようなものから、逆に貴族スタイルを用いた、(男性ソロ用と、女性ソロ用の)音楽・振り付けが共に美しい、リュリのオペラに出てくるようなものもある。また、シャコンヌのメロディーに対するカスタネットのリズム譜のあるものや、カップルで踊るものもある。
《パッサカリア》
パッサカリアは元来舞曲でなく、17世紀初めのバロック歌曲のリトルネッロを指すめいしょうであったが、その後スペインやイタリアでシャコンヌと同じように定型のバス進行を土台に変奏展開していく器楽曲として発展していった。
リズムの特徴は、
♩♩.♪|♩♩.♪
となっているらしい。
舞曲として用いられるようになったのは、17世紀半ばにフランスにもたらされてからのようだ。
踊りは、技巧的な早いステップが細かく組み合わされていたものであったり、また技巧的なステップを用いつつも、美しさやスピード感の変化を強調していたりと、跳躍の含む技巧的なものであったようだ。