警告臭 warning odorとは?
捕食者に対して自らの有害性や危険性を知らせる「におい」。刺激臭とは違い、いわゆる警告色(warning color)の「色」自体には有害性が無いように、警告臭のにおい自体には捕食者を撃退する効果は無く、あくまで有害性や危険性を示すシグナルとして機能するもの。したがって、スカンクやカメムシの強烈なにおいとは異なる。
これまで警告臭の研究では、警告色などの別のシグナルを捕食者が学習する際に、においがあると学習が強化されたり、学習するスピードが速くなるというものであり、におい単独の効果については示されていなかった。しかし、野外には主に嗅覚を使って獲物を捜す嗅覚捕食者や夜行性の種も数多く存在しており、においだけで捕食者に警告をする種の存在は十分期待される。
なぜツチガエル?
日本や朝鮮半島に生息するツチガエルは、通称「イボガエル」とも呼ばれ、捕まえたときに「特有のにおいがする蛙」として知られてきた。本種は野外でカエル類を好んで食べるシマヘビの胃内容物からめったに見つからず、ヘビに対してなんらかの防御を持っていることが疑われていた。またツチガエルをシマヘビに与えて実験した唯一の先行研究(Mori 1989)においても、孵化後の摂食経験のないシマヘビのほとんどがツチガエルを吐き出し、食べることができなかったことが示されている。このシマヘビに対するツチガエルの防御は、我々の研究によって、ツチガエルの皮膚腺から出る黄色褐色の分泌物の効果であることが判明した。驚くべきことに、この分泌物を塗ったエサ(外見ではわからない)を与えたとき、より多くのシマヘビがにおいを嗅ぐ(舌だし行動をした)だけで咬みつこうとしなかった。このことから、我々はツチガエルの分泌物のにおいが、カエルの捕食者であるシマヘビに対して、食べることができないエサの警告シグナルとして機能していると考えた。
両棲類の化学的防御
ツチガエルに限らず、カエルを含む無尾類は様々な防御戦略を進化させており、中でも彼らの皮膚の分泌物による化学的防御はおそらく重要である。そうした彼らの皮膚分泌物は、哺乳類・鳥・トカゲ・カメ・クモ・アリを含む幅広い種類の捕食者に対して有害である。ほとんど全ての両棲類の成体が皮膚に多数の腺を持っており(Toledo and Jared 1995)、他の脊椎動物よりも化学的防御について研究例が数多く報告されている(Wells 2008)。それは捕食者だけでなく、むしろバクテリアや菌類を防御している。両棲類の皮膚分泌物の多くに抗菌物質が含まれており(Preusure et al. 1975 ; Zasloff 1987; Barthalums 1994;Toledo and Jared 1995;Bowie et al 1999)、これらの病気からの保護は捕食者に対する防御より先行して進化してきたと考えられている。(Wells 2008)。私はこうした分泌物に含まれる成分の中に、揮発性物質が含まれることで、捕食者に対してのシグナルとして機能すると考えている。実際に、世界の両棲類にはにおいを有することが既に知られている種が多数存在する。両棲類が出すにおいの機能はまだまだ未解明であり、私はその機能の1つとして捕食者への警告シグナルがあると考えている。
これまでの研究
■ツチガエルの分泌物によるシマヘビに対する捕食回避
ツチガエルがシマヘビからの捕食をどのように回避するか、それが彼らの皮膚分泌物の効果であるかを検証する実験を行った。コントロールには、ツチガエルと大きさと色が似たヌマガエルFejervarya kawamuraiを使用した。ヘビにツチガエルとヌマガエルをそれぞれ与えたとき、ツチガエルに咬みついたヘビの割合と飲み込んだ割合はコントロールよりも低かった。またツチガエルの分泌物をシマヘビの餌に塗って与えたとき、ツチガエル分泌物を塗った餌に咬みついた割合と飲み込んだ割合はコントロール(ヌマガエル分泌物を塗った餌)よりも低かった。したがって、ツチガエルはシマヘビからの咬みつきの段階(咬みつき前)と飲み込みの段階(咬みついた後)の両方で捕食を抑制することが明らかになった。さらにそれは致死的でない本種の臭気のある皮膚分泌物の効果であることが示された。(Yoshimura & Kasuya 2013, PLoS ONE)
■ツチガエルの分泌物のにおいが同種他個体に与える影響
捕食回避に効果的であるツチガエルの皮膚分泌物のにおいが、同種他個体に対してどのような作用があるかを検証した。捕食回避のための化合物の存在は、同種他個体にとって捕食者が近くにいることを示すと考えられ、実際にカメムシの数種では捕食者に対する防御物質である揮発性物質が警報シグナルとなることが知られている。捕食者に対して様々な化学的防御を発達させている両棲類では、これまで捕食者に対して放出された防御物質が同種他個体の行動に作用することは報告されていない。ツチガエルの皮膚分泌物のにおいを含んだ空気を同種他個体が入ったケースに送り、ケース内の個体の反応を観察したとき、同種他個体のにおいに晒された個体はコントロールの場合(空気のみ)より活動量が低かった。無尾類では捕食回避行動として静止するなどの行動が多数報告されており、ツチガエルの活動量の低下は、同種他個体が用いた防御物質の存在により間接的に捕食者の存在を知り、捕食回避行動をとったと考えられた。
■ツチガエルのにおいがシマヘビ成体の摂食行動に与える影響
ツチガエルの分泌物はヘビがエサを込むことを妨げる効果があり、分泌物が口内に付着したヘビは口を大きく開ける特有の行動を見せる。こうしたヘビの捕食行動に与える分泌物の効果は、ヘビが本種を咬むなどして分泌物と接触した際に生じることがわかっている。一方、咬みつきによる接触が無くても、ヘビが本種のニオイを知覚するだけで捕食を止める場合がある。たとえば、野外で捕獲したヘビに本種を与えたとき、ニオイを確かめるだけで全く咬みつかない個体が観察された。こうしたニオイの効果は個体によって差がある。我々は、個体間の差が見られるのは、ヘビが本種と接触した経験を通して本種が食べられない餌であることを学習してニオイだけに反応するため、それまでの遭遇経験の違いによる学習の程度の差によると考えた。だが、ヘビが接触の経験を通してニオイに対する反応を変えることは明らかでなかった。我々は、ヘビを本種と接触させ、接触経験の前後でニオイに対する反応が変化するかを調べた。本種のニオイがする餌とコントロールのヌマガエルのニオイがする餌を与えたときの咬みつきの有無を観察した。その後、生きたツチガエルまたはヌマガエルと接触させた後に、再びニオイがする餌に対する反応を観察した。結果、ツチガエルを経験させた個体はニオイを嗅ぐだけで捕食を止まる割合が高く、ヌマガエルを経験した場合は経験による変化は見られなかった。したがって、ツチガエルと接触した経験によってヘビは本種のニオイを学習し、ニオイを感知するだけで捕食を止めることが示唆された。
■ツチガエルのにおいがシマヘビ幼蛇(ナイーブな個体)に与える影響(取り組んでいます)