JACET英語辞書研究会の歴史
(1995年12月-2007年3月)

0.発足の経緯

AILA’99 東京大会でシンポジウム等の研究発表を行うこと,英語の辞書の研究者に発表の場を提供すること,研究者の連絡を密にすること等を目的に,南出康世氏と村田年が相談して目的の原案を決め,JACETの会員名簿その他から30名ほどに連絡をした。

1. 大きな発表の場の提供へ(1995年―1996年度)

●[1] 1995年12月20日(創立総会) 場所:JACET 本部事務所。出席は6名。以下の事項を審議し,決定する。

1.代表:村田 年,副代表:小林ひろみ

2.研究会の目的:

(1) 関連諸科学を基盤として,英語辞書学の理論的な研究を行う。

(2) 英語辞書編集の実際上の課題(見出し語,定義,文型表示,コロケーションなど)を研究する。

3.会合の持ち方:学習会・輪読会形式ではなく,会員個々の研究成果の発表及び問題点の提示の場とする。

(1) 現在行なっている研究や最近紀要などに発表した研究を発表する。現在研究デザイン形成途上のものでもよい。

(2) 各発表について相互に意見交換をする。(発表30分、意見交換20分を基本とする)研究方法、デザインに関する alternative な方法の可能性や、同じテーマの別の視角の可能性を交換する。

(3) 発表者は発表論文、または研究途上のアイディアの目的、方法、分析と考察/途中経過、今後の展望・課題を 記したレジュメを用意する。(単なる一つの研究発表というよりもその人の研究の手の内を示して広く意見を求めるものとする。)

(4) 多忙なため発表予定のない方の参加も歓迎する。全体としてリラックスして自由に意見交換ができるようにしたい。

(5) 以上の発表と意見交換を通して下記を目指す。

1. 参加者各自の研究を、一歩進め、または多角的に見直す場を持ち、より豊かに進める一助とする。

2. 会員一人一人の研究の充電の場とする。

3. 会員間の研究ネットワークを形成する契機とする。

4. ここから共同研究が始まる芽を育てることにもつなげる。

4.主な研究会会場:JACET 本部事務所。

5.研究会日程:毎月1回または隔月1回。

6.会費:当分の間徴収しない。(JACET から郵送費の補助がある。)

●[2] 1996年3月11日(例会)村田年「辞書と語用論 ― 辞書に見る話し手と聞き手の関係(会場:JACET事務所)司会:小林ひろみ。参加者8名。

●[3] 1996年5月11日(例会)投野由紀夫「英語学習辞典とユーザー」(同上)司会:村田年。参加者10名。

●[4] 1996年7月6日(例会)小林ひろみ「和英辞典作りの実際」(同上)司会:村田年。参加者7名。

●[5] 1996年10月29日 (例会。語法研究会と共催) Stephen Bullon (University of Birmingham), Looking at Language on More Ways than One. JACET本部英教会議室。司会:森戸由久。35名。予想以上に参加者が少なかったので,シンポジウムを企画してはどうかと関西方面の方々にもはかると,賛成が得られ,JACETへ旅費補助の申請も出せたので,実行した。

●[6] 1996年12月14日(シンポジウム)旺文社地下会議室において「英語辞書編集と今日的課題(1)」をテーマに開催した。司会:村田年,提案者:赤須 薫「語義とコロケーション」,井上永幸 「文法・語法の記述とコーパスの可能性」,南出康世「英語辞書における言語的差違の記述」。参加者66名でたいへん盛会で,会場は熱気を帯び,質疑の時間を2度延長した。

●[7] 1997年3月22日(例会)山田 茂「学習英英辞典の動向と問題点」(JACET事務所)出席者20名。

2. 海外の辞書学会との交流(1997年度―1998年度)

[8] 1997年6月7日(例会)成田真澄「機械翻訳と機械処理用辞書について」(同上)司会:村田年。出席者8名。

●[関連情報]1997年8月27-30日 国立国語研究所のシンポジウム「言語研究と世界のシソーラス (Language Study and Thesaurus of the World)が開かれた。主催:国立国語研究所,場所:国立オリンピック記念青少年総合センター国際会議室。内容:中野洋(国立国語研究所)「『分類語彙表』と日本語研究」,R.R.K. ハートマン(英国・エクセター大学)「意味研究」,ヨリック・ウィルクス(英国・シェフィールド大学)「語彙体系と概念体系」,李行健(中国・社会科学院語言文字応用研究所)「中国の辞書の系譜」,トム・マッカーサー(英国・オックスフォード大学出版局)「世界のシソーラス 英語のシソーラス」,荻野綱男(東京都立大学)「日本語のシソーラス」(※総計24の研究発表と8の講演があった。)

これは壮大なシンポジウムであり,同時にわれわれが望んでいたヨーロッパ辞書学会の中心人物2名との交流の好機でもあった。国立国語研究所から内々の許可も取れ,Hartmann, MacArthur 両博士と交渉し,企画を進めた。

●[9] 1997年8月26日(講演会)Tom McArthur, Guides to Tomorrow’s English: The Shapes that Dictionaries and Other Works of Reference Have Begun to Take on, in order to Cope with English as a Universal Language.司会:村田年,紹介:山田茂。(会場:早稲田大学,出席者34名。)

●[10] 1997年9月5日(シンポジウム)(JACET大会の中で)(会場:早稲田大学)テーマ: English Learners' Dictionaries and Users. Chair: MURATA, Minoru;TONO, Yukio : The Role of Illustrative Examples in English Learners' Dictionaries: An Experimental Approach; HATAKEYAMA, Toshikazu : English-Japanese Dictionaries and College Students : Based on an Analysis of Questionnaires to College Students; ASAO, Kojiro : Learners' Corpus and Bilingual Dictionaries.

Supervisory Commentator:R.R.K. Hartmann (Exeter University)。出席者120名。

●[11] 1997年9月6日(講演会)R.R.K. Hartmann, English Learners’ Dictionaries. (会場:早稲田大学。JACET大会の招待講演として。)司会:南出康世。出席者110名。

このシンポジウムと講演会の企画は成功した。ヨーロッパ辞書学会創立者を迎えて,ヨーロッパの辞書研究の学界が近くなったばかりか,ホンコンに本部を置いたアジア辞書学会運営の現状やアメリカ,オーストラリア,あるいはアフリカの辞書研究の現状まで情報が得られた。

●[12] 1997年12月13日(ワークショップ)「英語の辞書」発表者40名。会場:京都外国語大学。テーマ:「英語の辞書,特に学習辞典について」形式:発表会場を4室取り,参加者全員が発言するセミナー形式を取る。第1室(851室):辞書編集に関わる諸問題(定義・コロケーション・コーパスなど),第2室(852室):辞書と語法,第3室(853室):辞書とユーザー・英語教育の観点から,第4室(854室):辞書の解題と批評・通時的考察。

出席者160名,懇親会出席者71名。参加者は,発表,司会,世話役,あるいは質問のいずれかで参加の姿勢を示そうとの会(ワークショップ)の意図が理解され,盛会で,質疑も盛り上がった。時間がきちんと守られ,発表のキャンセルもなかった。関西方面の会員が大幅に増えた。

●[13] 1998年3月27日(例会)小室夕里「Longman Essential Activator 編集とレキシコグラファー養成の問題」(会場:早稲田大学)司会:村田年。参加者25名。

3. ワークショップ(研究発表大会)が定着する(1999年度―2000年度)

初めて例会を関西で開くことにした。ワークショップと違ってゆっくり関西の研究者と話し合うことができて有意義であった。関東からの参加者も5名ほどあった。

●[14] 1998年6月4日(例会)濱嶋聡「オーストラリア英語辞書学:Macquarie 辞書とDictionary Research Centre」,南條健助「学習英和辞書における最適な発音表記とは」(会場:園田学園女子大学)。司会:南出康世。参加者約25名。

●[15] 1998年9月12日(シンポジウム)JACET大会(就実女子大)のシンポジウムのひとつとして,テーマは「学習辞書と用例」とし,司会を赤須薫氏,提案者として土家裕樹,土肥一夫,山田茂の諸氏にお願いした。約70名の参加者を得て,用例についての議論を深めることができた。

●JACET英語辞書研究会のホームページ:この頃土肥充氏担当でホームページを上げることができた。当辞書研究会発足の趣旨,会合の持ち方,各例会,ワークショップ等の案内及び活動報告,その他の連絡のすべてが載るようになった。

●[関連情報] 辞書学メーリングリスト:井上永幸氏がMLを上げてくれ,この頃で100数十名の参加者がおり,毎日活発な議論が展開されて,MLと辞書研究会が相まって英語辞書研究の世界を非常に活発なものにしてくれていると多くの人から言われた。

●さらに辞書研究会は,東北大学の後藤斉氏を通して「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」とリンクし,さらにこれは「国内人文系研究機関WWWページリスト」ともリンクできた。ヨーロッパ辞書学会(EURALEX),北米辞書学会(DSNA),アジア辞書学会(ASIALEX),オーストラリア辞書学会(Australex),国立国語研究所,湖南大学(日中・中日辞典)等とはメール交換による連絡を取っていた。

●[16] 1998年11月28日(ワークショップ)「英語の辞書」をテーマに研究発表54件をそろえて 早稲田大学で開催された。出席者147名,懇親会参加者54名で,すでにワークショップは定着した感があった。

●[17] 1999年3月20日(例会:シンポジウム)「英和辞典の発音記号と日本人のための音声表記」をタイトルに,早稲田大学において。発案者:村田年,司会は國吉丈夫,提案者及びタイトルは,湯澤伸夫「IPA 表記とカナ表記の相補的利用 ― DVD-ROM の活用を視野に入れて ―」,南條健助「英語音声学から見たカナ表記の有効性と限界」,島岡丘「日本語を生かしたカナ表記この10年 ― 自信と希望が湧く21世紀英語発音教育」。参加者約50名で盛会であった。

●[18] 1999年8月6日(シンポジウム) AILA(国際応用言語学会)東京大会のシンポジウムの1つとして。早稲田大学にて中国,韓国から提案者を招き,開催した。司会は村田年,提案者は,CHI, Amy (Hong Kong University of Science and Technology, China),HAN, Young-Gyun (Ulsan University, Korea),MIYAI, Shojiで,テーマはBilingual Dictionaries in Asia: Past, Present and Futureであった。中国,韓国,日本の二カ国語辞典(特に英語)の現状と問題点を挙げて,共通の問題について議論し,将来の研究協力関係の方向を模索した。参加者は約30名で,活発な質疑があった。

●[19] 1999年8月1-6日(ポスター・セッション)これもAILAの催しの1つとして,ポスター発表を出した。提案者は,西村公正(責任者),須賀廣,鷹家秀史 ,関山健治で, テーマは ”Problems of Dictionary Users and Teachers' Role”であった。日本人英語学習者は英和辞典・英英辞典をどう使っているか、辞書編纂者の執筆の工夫がどう受け止められているか,について数百人の学生の辞書利用の実際を明らかにしたものである。

●[20] 1999年10月30日(例会:座談会)「辞書編集と辞書研究 ― Exeter と Birmingham に学んで」をテーマに自由な話し合いをしていただいた。司会は村田年,講師は,大杉正明,東海林宏司であった。この座談形式は聞き手にたいへん受けがよかった。出席者は約50名であった。

●[21] 1999年12月11日(ワークショップ)「英語の辞書」をテーマに研究発表45件,46名を集めて再び関西の園田学園女子大学を会場に開催した。出席者は115名で,いつもながら懇親会参加者が多く55名でなごやかな歓談のひとときを楽しんだ。

●[22] 2000年3月29日(例会:シンポジウム)「和英辞典を考える」をテーマに司会を村田年が務め,提案者・タイトルは,中本恭平「和英辞典の存在意義」,小林ひろみ「和英辞典の編集,特に用例の収集・作成・記述」,中尾啓介「和英辞典編集上の問題点」であった。出席者は53名で活発なやり取りがあった。

●[23] 2000年7月8日(例会)早稲田大学を会場に,竹蓋順子「語彙力を伴ったコミュニケーション能力の養成―複合システムの開発およびその指導効果について―」,相澤一美「リーディングにおける語彙の偶発学習」を拝聴した。参加者は約50名であった。

●[24] 2001年3月26日(ワークショップ)清泉女子大学を会場に発表20件,シンポジウム1件で構成した。今回初めて全体シンポジウムを試みた。講師はAlan Turney, 八木克正,小沼利英で,テーマはBilingual Dictionary: With Particular Reference to English-Japanese and Japanese-English Dictionariesで,司会は赤須薫が担当した。出席者は94名。

今回は「国際辞書学セミナー」と連動させて開き,このシンポジウムにも3名の招聘講師にコメンテーターとして参加していただいた。

●[関連情報] 2001年3月27-29日(セミナー)引き続き清泉女子大学で,Dr. Reinhard Hartmann, Dr. Tom McArthur,Mr. Michael Rundellを講師に,第15回国際辞書学セミナー実行委員会主催のもとに国際辞書学セミナーを開催した。会計関係以外は当研究会主催といってもよいメンバーであった。運営委員長:大杉正明。予想通り満杯の参加者を得て,内容はたいへんよかったとのことばがたくさん寄せられた。

●[関連情報] 2001年3月30日(協賛:講演会)Tom McArthur, The New World English Dictionaries: Some Implications for ELT Lexicography in Japan and Elsewhere. (会場:東京電機大学)司会:村田年。紹介:小室夕里。出席者は27名。JACET主催であったが,役員会とぶつかり,参加者は予想したほどではなかった。

4. アジア辞書学会を射程に入れる(2001年度―2003年度)

●[関連情報] 2001年8月8-10日 第2回アジア辞書学会大会(The Second ASIALEX International Congress)が韓国ソウル市 Yonsei Universityにおいて開催され,16カ国以上から参加者を集め,日本からは17 名の発表がなされ,盛会であった。Plenary Speechの1つに,Minoru Murata, Reading, Vocabulary Acquisition and Bilingual Dictionaries for Learnersがあった。総会において次回(2003年度)は日本で開催することが決定された。

●2001年12月1日 今まで土肥充氏にお願いしていたHPを改訂し,事務局体制を強化した。 英語辞書研究会事務局:村田年(全体),山田茂(例会担当),土肥充(HP担当),石川慎一郎(ML担当)として再出発したが,大学のサーバーの関係でHPは間もなく接続中止となった。

●[25] 2001年12月15日(例会) 講師・演題はHalpern Jack(春遍雀来)「辞書編纂に於ける語彙データベースの役割」早稲田大学にて。司会:村田年。出席者は15名で少なかったがじっくり話を伺うことができた。

●[26]2002年3月27日(ワークショップ)「英語の辞書」をテーマに発表30件を集めて明海大学において開催される。参加者は約100名であった。

●[27] 2002年10月26日(例会)金指崇 “User’s Guides in English-Japanese Dictionaries for Learners, with Particular Reference to Grammatical Information.” 明海大学。司会:村田年。参加者は15名。

●[28] 2003年6月28日(ワークショップ)新刊各辞書の編者にお願いし,「新刊英和・和英辞典のワークショップ」を開いた。講師は,田中茂範(『Eゲイト英和辞典』),赤須薫(『ルミナス英和辞典』),花本金吾(『レクシス英和辞典』),赤野一郎(『ウィズダム英和辞典』),阿部一(『アドバンスト フェイバリット英和辞典』),南出康世(『ジーニアス和英辞典』)で,参加者は約200名であった。(会場:早稲田大学)

●[関連情報] 2003年8月27-29日 第3回アジア辞書学会東京大会(The Third Biennial Conference, the Asian Association for Lexicography--ASIALEX )(会長・運営委員長:村田年)の開催は当研究会の総力を傾けて準備してきたもので,情報の伝達も受入れ準備もたいへんよかったとの評価を得た。世界10数カ国から233名の出席者を得て,招待講演7件,シンポジウム6件,研究発表58件,ポスター発表12件,全発表者144名で盛会であった。詳細はASIALEX ‘03 Tokyo Proceedings: Dictionaries and Language Learning: How can Dictionaries Help Human & Machine Learning? (co-edited by Minoru MURATA, Shigeru YAMADA and Yukio TONO)を参照されたい。

5. 国際的な辞書学セミナー及び論文集の刊行(2004年度―2006年度)

●[29] 2005年3月26日(共催:ワークショップ)「英語の辞書・語彙」のテーマのもとに東京電機大学において開催される。研究発表60件,参加者は多く208名。初めてJACET英語語彙研究会との共催によって発表者が急増し,バラエティーに富んだ大会となった。

●[30] 2006年3月25日(ワークショップ)「英語の辞書と語彙」と題して和洋女子大学で開催された。発表者45名,参加者139名で盛会であった。和洋女子大学外国語センター(センター長:服部久美子氏)の全面的な協力を得た。

●[31] 2006年10月7日(例会:対談)「英国辞書学事情―バーミンガムでの1年」と題して在外研究でバーミンガム大学へ行かれた2名の講師から,英国での生活事情,辞書研究,大学の辞書学講座,研究者との交流,観光について肩のこらないお話をいただいた。講師:赤須薫,山田茂, 司会:村田年。

●[32] 2006年11月11日(セミナー)英国よりHoward Jackson教授(University of Central England, Birmingham)及びMichael Rundell氏(辞書編集者)を招聘し,辞書学セミナーを東洋大学で開いた。満杯の45名の参加を得て盛会であった。JACETより補助があった。司会:赤須薫。講義のタイトルは,Jackson (1) English Dictionaries: Producers and Consumers,Rundell (1) Developing and Querying Your Own Corpus: the State of the Art,Rundell (2) Finding Word Senses,Jackson (2) Issues concerning MLDs,Comments on Papers in English Lexicography in Japanであった。

●[33] 2006年11月12日(講演会)上記両講師による一般向け辞書学講演会を開いた。参加者は15名で少なかったが,長時間にわたってじっくり講演を伺うことができた。司会:赤須薫,山田茂。講演のタイトルは,Michael Rundell, Designing and Exploiting a Lexicographic Corpus: the Key Issues; Howard Jackson, Learner's Dictionaries and Native-Speaker Dictionaries.であった。

●[34] 2006年12月10日(出版)創立以来の懸案であった論文集を刊行し,広く海外にわが国の辞書研究の水準を示すことができた。The JACET Society of English Lexicography, English Lexicography in Japan (Edited by S. Ishikawa, K. Minamide, M. Murata and Y. Tono. Taishukan Publishing Company.) 11年間積み立てた刊行資金にJACETからの補助,各方面からの寄付を加えて刊行した。海外の研究機関,研究者を中心に115部を献呈し,書評・反応を得ている。イスラエルのKernerman社刊行のDictionary News に石川慎一郎による紹介とGeorgia大学のDon R. McCrearyによる詳細な書評が掲載された。

●[35] 2007年3月25日(ワークショップ)「英語の辞書と語彙」と題して研究発表38件,41名を集め,1996年の第

1回ワークショップを開催した京都外国語大学において再度開催した。参加者は98名で盛会であった。しかし,語彙研究会との別々の開催が発表者,参加者ともに少なくしていると思われ,この点が検討課題となった。

●2007年3月31日 当研究会の代表の交代。1995年の創設以来ずっと代表を務めてきた村田年が退任し,赤須薫が代表となる。副代表は山田茂,会計は川村晶彦。運営委員は,石川慎一郎,井上永幸,磐崎弘貞,小室夕里,投野由紀夫,畠山利一。

当研究会は,発足の1995年から2007年3月までの11年間ずっと村田が代表を務めてきた。副代表は前半の6年間が小林ひろみ,後半の5年間が山田茂で,事務局は,村田年,山田茂,投野由紀夫が当たり,重要事項を相談する「世話人」(のちに運営委員)を置いた。当初の世話人は,赤野一郎,井上永幸,小林ひろみ,南出康世,村田年,投野由紀夫,山田茂であった。その後少しずつ世話人を増やしていって,最終的には英語辞書学の中心的な方々でかためることができた。

運営委員:赤野一郎・赤須 薫・浅羽亮一・畠山利一・井上永幸・石川慎一郎・磐崎弘貞・加藤和男・小林ひろみ・南出康世・宮井捷二・村田 年・大杉正明・投野由紀夫・八木克正・山田 茂。

(「JACET英語辞書研究会の歴史」:文責 村田 年,2007年10月)