現在,当研究室で主に進めているのは,無脊椎動物の記載分類と分子系統解析です.また生活史・生殖様式・行動の記載,集団遺伝解析なども行っています.ここでは当研究室による研究成果の一部を紹介していく予定です.なお本項目は2016年9月に執筆を開始したので,それ以降のものが中心となると思います.
Kakui. 2024. Brixitanais, a new substitution name for Brixia Jóźwiak, Drumm, Bird & Błażewicz, 2018 (Crustacea: Tanaidacea: Akanthophoreidae). Zootaxa 5458: 449–450.
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牡蠣,柿,火気など,身の回りに同音異義語は溢れていますが,違う生き物(あるいは分類階級;以下同様)に同じ学名を使用することは出来ません(※).しかし,学名があまりに多いことも関係して,既に使われていた学名だったことに気づかず,同じ学名を別の生き物につけてしまうことはときどき起こります.違う生き物につけられた同じ学名,これを同名Homonymと呼びます.同名が生じた場合,基本的により古くに同学名がつけられた生き物がその学名を維持し,より新しく名付けられた生き物の同学名は変更されます.変更の仕方は状況によって(1)全く新しい学名を充てる,(2)学名を変更する生き物に対して過去に使われていた学名を使用する(※)というものになります.今回の研究は,2018年にタナイス目甲殻類の新属として提唱された学名Brixiaが,実は1856年に設立された昆虫の属名と同じだったことを明らかにし,タナイス目の当該属に新しい属名Brixitanaisを提唱した,という,変更の仕方(1)の内容になります.
同名の解消は,新種発見などに比べるとどうしても地味な活動に映りますが,重要な分類学の研究活動の一つです.
Kakui & Nakano. 2019. On the authorship of the genus-group name Curtipleon (Crustacea: Tanaidacea: Metapseudidae). Species Diversity 24: 179–180.
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例えばある生物について,これまでに知られているどの属にも所属させることができないと判断した場合,新しい属を設立することになります.新属の設立に際してはいくつか満たさねばならない条件があり,条件を満たしていない新属設立は,設立されなかったことになってしまいます.
設立の条件は難しいものではないのですが,残念ながら条件を満たしておらず設立されなかったことになっている例はあります.今回扱った属名もその一つで,最初の設立行為は条件を満たしていなかったがその後期せずして条件を満たして(しまって)いたという興味深い例でした.具体的には,1976年の論文で設立されたとされていた属名Curtipleonが,実は同論文が条件を満たしていなかったため設立が認められなかったこと,期せずして1983年の論文がCurtipleonという属名の設立条件を満たしていたこと,つまりCurtipleonは1976年の論文ではなく1983年の論文で新属設立された属名だったことを明らかにしました.
分類学は,学名の安定性という観点から,何がいつ設立・記載されたのかという時系列の情報がとても重要な学問です.今回の研究内容は,設立年(今回は設立者も)を修正したという一見地味に映るものかもしれませんが,分類学にとって重要な成果になります.
Oya & Kajihara. 2017. Description of a new Notocomplana species (Platyhelminthes: Acotylea), new combination and new records of Polycladida from the northeastern Sea of Japan, with a comparison of two different barcoding markers. Zootaxa 4282: 526–542.
近くの海に行き浅瀬の手ごろな岩を裏返すと(※),様々な動物を見ることができます.しかし彼らの名前(種名)を知ることは多くの場合容易ではありません.単に特徴を観察するのが難しい場合もありますが,名前のついていない動物(=未記載種)の方が多い現状にあるからです.未記載種に名前をつけること(=新種記載)は,当研究室の主な研究内容の一つです.
今回研究を行ったヒラムシは,その名の通りとても平たい体をした動物です.岩にぴったりと張り付いて滑るように進んでいるさまがよく観察されますが,体が破れたり溶けたりしやすく,採集と標本作成は容易ではありません.加えて,種名を決めるには体を薄切りにし,染色して内部構造を観察しないといけないため,研究の比較的難しい動物群だと言えるでしょう.今回,北海道石狩湾の潮間帯から1未記載種を含む計4種のヒラムシを発見したので,未記載種をヒラムシ分類学者の故萩谷盛雄(HAGIYA, Morio)先生に献名(※)したNotocomplana hagiyaiとして新種記載し,他3種については再記載を行いました.さらに4種のDNA配列情報を決定し,種間の類縁関係(系統関係)を明らかにしました.
今回研究を行ったような身近な海の岩の下にもまだまだ名無しの動物は潜んでいます.彼らに地道に名前をつけていくことは,あらゆる科学の基盤となる大事な研究です.
図:石狩湾の潮間帯から見つかったNotocomplana属ヒラムシ4種.一番左が新種記載したN. hagiyai.右3個体はN. septentrionalisの体色変異.スケールは5ミリメートル.Oya & Kajihara (2017)から改変,転載.
Jimi et al. 2017. Designation of a neotype and redescription of Hesione reticulata von Marenzeller, 1879 from Japan (Annelida, Hesionidae). ZooKeys 657: 29–41.
分類学の研究としては,名前のない生きものに名前をつける,いわゆる新種記載を思い浮かべる人が多いかと思いますが,名前のついた生きものを再び記載する,再記載も大事な研究です.これは,種の区別のために近年用いられている特徴が,古くに記載された種で観察・記録されていない場合がよくあるためです.
再記載は,新種記載時に用いられた標本を見直すことで行われるのが一般的ですが,同種だと判断できる個体を新たに採集して,それに基づいて行うこともあります.後者のうち,種名が紐づけられている唯一の標本であるホロタイプ標本(※)が失われており,かつ分類学的混乱を引き起こしている種については,混乱解消を目指し,種名を紐づける標本を新たに指定することがあります,このとき,新たに指定されたホロタイプ相当の標本をネオタイプ標本と呼びます.
今回研究を行ったのは,1879年に記載され,ホロタイプ標本が失われてしまっていたゴカイ類の一種Hesione reticulata(和名:オトヒメゴカイ)です.オトヒメゴカイが含まれるHesione属は近年,生きているときの体の色彩パターンが種の区別に重要だとされているのですが,本種の詳細な体色パターンは記載されておらず,そのことで本種と本種によく似た複数種を巻き込んだ異名問題(同種か別種か)が生じていました.そこで本研究では,オトヒメゴカイのホロタイプ標本の採集地周辺でHesione属の標本を採集し,生時の体色パターンや形態を詳細に観察したところ,オトヒメゴカイが独立した種であると判断できたため,本種の再記載とネオタイプ指定を行いました.
種名を一個体の標本に紐づけるという現行の命名上の仕組みは,種名の安定性をもたらす一方,古くに記載された種が関わる分類学的混乱の解決を難しくしている側面があります.本研究はそのような分類学の難しい課題を一つ解決した,とても重要な成果になります.
図:オトヒメゴカイHesione reticulataの生時の写真.スケールは1センチメートル.Jimi et al. (2017)から改変,転載.
Kajihara et al. 2016. Occurrence and molecular barcode of the freshwater heteronemertean Apatronemertes albimaculosa (Nemertea: Pilidiophora) from Japan. Species Diversity 21: 105–110.
【論文PDF】
すべての種は,屋内ではなく屋外で生じたことに疑いはないと思いますが,実はこれまで屋内環境からしか見つかっていない種というのも存在しています.今回論文で扱った紐形動物(ヒモムシの仲間) の一種,Apatronemertes albimaculosaはそのような動物で,命名時に用いられた個体はドイツのペットショップの淡水水槽で見つかりました(属名のApatronemertesは「祖国のないヒモムシ」を意味します).本種はその後オーストリアのペットショップとアメリカの一般家庭のやはり水槽内から報告されていましたが,今回ついに日本から初めてApatronemertes albimaculosaが見つかったので形態を再記載するとともに,将来の祖国探しの助けとなるよう本種のDNA配列情報を決定しました.
今回見つかった個体は一般家庭のグッピーの飼育水槽内に住んでいました.得られた標本についてDNA配列を決定したところ,DNA配列データベースに登録されていたスペインの淡水魚水槽から見つかった種名不明のヒモムシの配列と一致し,本種がスペイン(の水槽内)にも生息していることが確認されました.
Apatronemertes albimaculosaは,水草の根の間に潜んでいた個体が人の手により運ばれることにより世界各地の水槽に広がったと考えられています(実際根の間に潜んでいるのが観察されています).しかし祖国はいまだ不明です.本論文では,10度以下の環境に置いた個体が数日以内に死んでしまったこと,本種とアマゾン産の1種を除くとこれまでに知られる淡水生/汽水生ヒモムシの全種がアジアに分布していることから,本種はアジアの熱帯域産の種かもしれないと考察しています.
図:Apatronemertes albimaculosaの生時の写真.スケールは1ミリメートル.Kajihara et al. (2016)から改変,転載.
Tomioka et al. 2016. Cosmopolitan or cryptic species?―A case study of Capitella teleta (Annelida: Capitellidae). Zoological Science 33: 545–554.
生物には我々ヒトのように,世界中に生息する汎存種(cosmopolitan species)と呼ばれる種の存在が知られています.しかし近年,DNA配列情報を用いた研究が進むにつれ,汎存種だと考えられていた種が実は形態では区別できない隠蔽種(cryptic species)と呼ばれる種の集まりであった,つまり1種が広く分布しているのではなく,地域ごとに異なる隠蔽種が生息している状況であったという例が報告されるようになりました.本論文は,ミミズやヒル,ゴカイなどが含まれる環形動物門におけるモデル生物として有名な,イトゴカイ科の一種Capitella teletaの示す広域分布,言い換えるとC. teletaが汎存種であるか否かについて,DNA配列情報を用いて初めて検証した研究になります.
日本2地点(宮城と愛媛)から得られた形態よりC. teletaと同定された個体と,大西洋西岸マサチューセッツ(C. teletaの記載に用いた個体が採集された場所)から得られたC. teletaのDNA配列をspecies delimitation法(※)で解析した結果,愛媛産の個体はC. teletaであること,宮城産の個体はC. teletaと遺伝的に異なる別種であろうことが明らかとなりました.本研究により,C. teletaが汎存種であることが示されたと同時に,隠蔽種も存在するだろうことがわかりました.なおC. teletaは浮遊幼生期間が数時間と短い(分布拡大能力が低い)ことから,本種の広域分布の形成には海運など人の営みが関係しただろうと考察しました.
図(上段):メチルグリーン染色を施したC. teletaと隠蔽種の前体部.(下段):C. teletaと隠蔽種の分布(地中海からの報告は除いてある).赤丸,形態・DNA配列情報からC. teletaであることが確認された標本の産地;青丸,隠蔽種の産地;黒丸,形態からC. teletaと同定された標本の既報告産地.Tomioka et al. (2016)から改変,転載.