私の趣味はジャズです。ジャズが流れていないと落ち着かないという禁断症状を伴いますから、ジャズ中毒です。
1.ジャズとの出会い
昭和大学入学式の際、音楽部(MAS:Medical All Stars)に勧誘されました。中学時代ブラスバンドでトランペットを吹いていたと話したとたん入部が決まりました。入部したものの譜面の読み方がブラスバンドの行進曲とは全く違い、なかなかジャズらしく読めませんでした。音楽部の合宿の夜に、シンコペーションの練習で先輩からしごかれました。やがて、ビッグバンド・ジャズのスイング感とダイナミック・レンジの大きさに、感動を覚えるようになりました。ビッグバンド以外のジャズも聴くようにと、マイルス・デイビス(ジャズの帝王)のレコードを先輩が貸してくれました。はじめて聴いた時は良さがわかりませんでした。しかし、何回も聴いているうちに、「これはすごい」と思うようになりました。医学生時代は、ジャズのFM深夜放送をカセット・テープに録音して聴きました。この頃から、ジャズが流れていないと落ち着かないジャズ中毒になりました。医学部4年生の時、日比谷野外音楽堂で聴いたメイナード・ファーガソンのライブ演奏は、レコードでは味わえないすごい迫力で、今も時々思い出します。
2.放射線科入局
音楽部の顧問は、放射線科のK教授でした。そのためか放射線科の医局員の過半数を音楽部の先輩が占めていました。トランペットの先輩から、放射線科入局をすすめられました。内科入局を考えていたのですが、「放射線科の大学院に入れば、4年で学位をもらえる」という先輩の甘い言葉に負けました。大学院 1年目に音楽部のリサイタルに出演し、トランペットを演奏しました。放射線科医になってからは、ジャズ中毒がますます進行しました。医学生時代にはレコードは高価で買えませんでしたが、医師になってからは昔の名盤がCDで復刻発売されるようになり、ブルーノートのCDを中心に買い集めました。また、CDの曲をiPodに入れ、通勤の車の中で聴いています。まさにジャズ漬けの毎日を送っています。
3.教授退任の会
ジャズ中毒の私のためにジャズ・パーティー形式の教授退任の会を、音楽部の後輩であるS医局長が企画してくれました。2010年4月4日に東京目黒のブルース・アレイで、音楽部OBによる即席のビッグバンドとコンボバンドの演奏を行いました。ぶっつけ本番のコンボでは「枯葉」を吹きました。音楽部の後輩でセミプロ級のG教授、O先生および T教授にバックをお願いしました 。