久しぶりの浮島である。
ガイドをしてくれたのは<サンセットリゾートダイブセンター>の忍沢さん。初日は野口カズくんもサブについてくれる。つまり2人のインストラクター/現地ガイドと一緒である。
浮島は水深が浅く、生物が多い。途中にアーチやトンネルもあって浅い割には地形も面白い。さらにエントリー&エキジットも楽ちんだからビギナーダイバーにももってこい……のはずだったのだが、私にとっては楽ちんではなくなっていた。
ビーチの正面、ゴロタに降りる階段がなくなっていた。
ビーチ右側の階段は健在であったが、正面の階段は去年の台風でぶっ壊れてしまったそうだ。
さらには、なんたることか、自分の体力もなくなっていた。
そういや、つくばに越してから、ろくすっぽ運動をしていない。
タンクを背負ってゴロタを歩く自信がない。
ほんの5メートルほどの距離なのに、絶対に転ぶ気がしてならない。
15年ほど前、東伊豆でのビーチエントリーの際にすっ転んで靱帯を伸ばした、あの忌まわしい記憶が蘇る。
こわい。こわいぜ。マジこわい。
ためらっていると、忍沢さんが「初日でいきなりねんざでもしたらアレだから」と、 私のタンクをかついでくれた。
カメラは野口カズくんが持ってくれた。
私は8kgのウエイトと750g×2本のアンクルウエイトに3点セットだけという軽装で、それでもヨタヨタしながら彼らの後をついてゴロタを歩く。
おなかあたりに水がくる深さまで歩き、そこで野口くんの腕につかまりながらフィンをはく。
マスクをつけたあと、忍沢さんにBCを背負わせてもらう。
さらに中圧ホースをドライスーツにつなげてもらう。
その間私は仁王立ちに立っているだけ。
まるで体験ダイバーである。
ダイビング中は元気そのもの。まったく問題はないのだが、さすがに1時間半も潜ると浜に帰ってくる頃には指がかじかんで動かない。
そこでエキジット時はフィンを外してもらった。
次にBCを脱がせてもらった。
そしてまたタンクとカメラをあずけ、自分は身ひとつでプールサイドに戻った。
サンセットリゾートのためにも断っておきますが、浮島のゴロタは決して大変なゴロタではない。
かつての大瀬崎の外海に比べたら、ほとんど砂地みたいなものだ。
三宅島の学校下や富賀浜に比べたら真っ平らと言えるほどのかわいいゴロタだ。
それが証拠に、真新しいドライスーツを着たビギナーらしい女の子がインストラクターに頼らずに、ひとりでちゃんとエントリー&エキジットしている。
しかし私はダメなのである。
こわくて、足がすくんで、歩けない。
2日目、土肥から旧友の小松毅(イワシダイバーズ代表)がやってきた。
野口カズくんはボートダイビングのガイドをするので、今日は忍沢さんと小松毅の、2人のインストラクター/現地ガイドと一緒に潜る。
そしてこの日もまた、2人のガイドが私のタンクとカメラを分担して持ってくれた。
「小松、断っておくけどね、八丈の底土みたいな真っ平らなところだったらタンクを背負っていくらでも歩けるんだよ。でもねえゴロタだとそれだけでもうダメ。ここも前は歩けたんだけど、今はダメダメ」
と小松に言うと、
「知り合いがいないところではもう潜れないなあ」
と小松はハッキリ言ってくれる。
しかし2日目もやはりダイビング中は元気そのものなのである。ドラゴンホールから浜まで一気に泳いで帰ってもへいちゃら。ドライスーツの浮力調整もほぼ完璧。2本目などは1時間40分も潜っていた。
2本目、まもなくエキジット地点、というところまで泳ぎ帰ってきたら、前から2本の足がずんずんとこちらに迫ってきた。
顔を水面から出すと、果たして小松毅の足であった。
「途中で消えたなーと思ったら。なんだ、先に帰ってきてたのね」
「途中で沖に散歩に出かけてさあ、帰ってきたら理枝ちゃんの居場所がわかんなくなって」
「たぶんトンネルの中でウミウシを捜していたんだよ」
「あっそうかあ。2本目だからさすがに寒いだろうし、あの時点で1時間10分たってたから先にあがったかなって思ったんだよね。甘かったなあ」
「甘いよ。だって寒くないじゃん。水温15度以上もあるんだよ」
と言いながらも指はかじかんでフィンのストラップが外せない。
「グローブしてると余計に動かないんですよ」
と素手で潜っている(!)忍沢さんがてきぱきとフィンを脱がしてくれ中圧ホースをはずしてくれBCを脱がしてくれる。私は忍沢さんのなすがまま。
この時は小松が私のタンクを背負ってくれた。
「小松ぅ、あたしは自分が情けない。正真正銘のダメダイバーになってしまったよ」
「水中では元気いっぱいなのにねえ」
「ねえー」
その昔、こーゆー女を私は嫌悪していたのではなかったか?
「やだ~できない~」と言って男に頼る女のダイバーは唾棄すべき存在だ、そう断罪してはいなかったか?
いやしかし、よーくわかった。
できないものは、できない。
ダメなものは、ダメだ。
かつてできたことが、できなくなることも、ある。
できなくなったことを、かつてはできたからといって、無理にやろうとして失敗する。
これを「年寄りの冷や水」という。
だから、無理は禁物。ダメならば、できる人に頼ってしくはなし。
しかし問題は忍沢さんも小松毅も、私よりは若いとはいえ同じ40代であるということだ。
なんだか私ひとりが年寄りみたいでやや悔しい。
もちろん彼らは男性だしプロのダイバーなのだから、彼らと自分を比較するなど「身の程知らず」もいいところだが……。
それにしてもあそこまで甘えきっていいんだろうか?
せめてウエイトの軽いロクハン着用時だけでもタンクを背負って歩けるようになりたいと、ちょっとだけ真剣に考えた浮島のアフターダイブでありました。
スクワットしなくちゃ、明日から……。
(2005.3.9)
追記(2009年1月1日)
これは、沖縄移住前に書いたものの中で唯一、URL移転先まで連れてきた<駄文雑文>です。
忍沢さんも野口カズくんも、もうサンセットリゾートにはおられません。
素晴らしいウミウシガイドさんだったのに、とても残念。
でもきっと、新しい職場でその優しいお人柄、お力を存分に発揮して、よいお仕事をしておられることでしょう。
小松毅は元気にガイドさんを続けてくれているはず!