さらば小将町 20期 小川敏(これは20期小川さんが学生時代1978年に富大の部誌に投稿、掲載された記事です )
さらば小将町 20期 小川敏(これは20期小川さんが学生時代1978年に富大の部誌に投稿、掲載された記事です )
【文字起こし版】(Googleレンズで活字に変換、一部修正していますが誤記あるかもしれませんのでご了承ください)
さらば !! 小将町 金沢大学 小川 敏
♫テニス、テニスで今年も暮れたァ~
黒い頼してステテコシャンシャン
除夜の鐘聞くステテコシャンシャン
金大のテニス部小唄ではないが、大学四年間テニステニスで暮れ、 常識ならば白い顔をして除夜の鐘を開くべきところを、スキー焼けした黒い顔で鐘の音に聞き入る毎年です。雪の降ったことのない静岡から毎日ちらちらと雪の舞い散る金沢へ来て、その白さに感激し窓から外を眺めては唯一人願を綻ばせている毎日でした。そんなわけですのでもちろんスキーなどはいたことがありません。大学に入り冬になったらスキーに飛び付きました。クラブのスキー合宿の常達、休みには白峰へと足を運び、しかし一向に上達せず。
最初の一年は先輩に教えられるがままに(この先輩が全く基本を無視した方で、車を運転するようなスタイルで滑れば良いと教えられ)ただただスピードに酔い痴れ、豪快に転倒する非常に痛いスキーでした。そもそもこの初スキーの時に教えられたのが長い低迷の根本原因でした。スキー学校なるものに入っても第一印象は強いので、へっぴり腰(後型)は全く直るところを知らず、スキーの本を見れば自分との違いに非常に落胆し、先輩を恨んだものでした。 そこからがスキーの本当のスタートラインでした。 斜滑向、外向姿勢、谷足加重、ストックの位置とスキーの基本姿勢を体で覚えるのは非常に大変でした。基本姿勢がガッチリ出来ていれば、スキーの形や動きになるのですが、何分にもそれが覚束ぬものでなかなか次の段階へ進めず…。大変イジカシイものですね。しかし、 焦っ て先の事に色気を感じれは、急がば回れ、かえって遠回りになることは分かっておりますので、基本の徹底、そして反復練習それからパラレル、その練習。できない時は基本に戻って、外向姿勢は?、ヒザは?、抜重は?、と考え、(まるでテニスでスランプに陥った時と同じですね。)最近、やっと月並みには滑れるようになったのですが、悲しいかなスキー理論を勉強しようという意志か無く理論的に無知なため、体で覚えるにも覚えられない状態に陥っております。どうしたらここで曲るのか、どうして自分のスキーはここで曲らないのか、原因か掴めません。本当に私はスキーを知らないのです。
私のへボスキーについて書いてしまいましたが、テニスと一緒だなあと最近とみに感じています。全てをテニスの事に置き換えても当てはまると思います。今まで出来た技術が調子が悪いのはスランプ、その克服は基本を一つ一つ地道にやり直してみる事。基本が出来ていなければ(体力もですが)テニスの型、動きになりません。 また、新しい技術への進歩も基本を無視しては、それはすぐにバケの皮は剥がれるでしょう。理論的に考える事も出来ないならば、( 後輩に指導するのも、体験からだけでは説得力が足りませんし)体で覚える事も出来ないでしょう。私は、理論派というより、体験派でして、自分がこのようにやっているので云々、と教えます。体験を理論に当てはめれば、それはだいたい妥当性を持っています。ただ理論の限界はすべてのショットに対して解説してくれてはいません。例えば、短いボールの処理や、背走してからの返球の仕事等、 これらは経験した人に教えてもらうのが一番だと思います。(こぶの吸収の仕方や、急斜面の滑り方など)そして、教えてくれる人に対して忠実に言われる通りにやるのが一番の早道だと思っています。
この辺まではテニスもスキーも同一で、仲々楽しく出来るんですね。しかし、私のテニスとスキーの根本的相意は、「勝負」がかかっているか、かかっていないかであります。勝負がある、駆け引きがある、精神的なものもある、私のテニスとスキーとの大いなる相遠点であります。それ故、スキーはこれ以上面白くはならないと思います。
テニスには勝負に対する駆け引きがあるからこそ、奥が深く、めり込んでしまう自分を感じます。今年は大学四年目にしてインカレ本戦にストレートインし、勝ち進み、シングル16・ダブルス、Fi na1まで行く事が出来ました。しかし、そこで感じたのは、マッチポイントたる、試合中の「あの一本」の深さです。S16で止まったのは対鷲田戦、ファイナル5-6の40-15からのあの一本のダブルフィルトが、相手のマッチポイントでした。ダブルスではサード セット、タイブレーク、9-8、こちらのサービスで、私のサービスでした。ファーストを入れ、そして米沢君がポーチに出たら、吉田昇生君のバックのストレートのパスエース。あの一本がマッチポイントでした。マッチポイントは、最後に勝つポイントが本当のマッチポイントではないといいます。試合中のあの一本が、こちらのマッチポイントになるか、相手のマッチポイントになるか、その一本を取る事が出来るか出来ないかが、勝負強さになると思います。 ですからインカレが終わって心に残るのは、惜しさ、そして自分のテニスの弱さでした。相手を窮地に追い込んでも、どんなに良い試合をしても、負けは負けてす。負ける者は弱いのです。インカレの表彰式で倉島君(順天大)がシングルス準優勝のカップを手に、表彰式が終わると私にポツリと言ったのですが、「こんなカップもらっても仕様が無いんだよな、優勝しなきゃ!」と。非常に印象深く心に残っています。それに引き替え、私は、北信越から出ていって、 決勝戦まで残れたという事に浸っている感じでした。米沢君の試合に負けた後のあの不気嫌さ。米沢君はテニスに賭けています。私も賭けているつもりでしたが、井の中の蛙でした。厳しさの雲泥の差米沢君に済まなかったと痛感しております。
インカレ以来、私のテニスは非常に成長したと思っています。技術的にどうこうのと言うのではなく、精神的に強くなったと思います。インカレは一大契機でした。あそこまでやれたという自信と勝負に対する厳しさをしったと思います。
もう一つの契機はオールジャパンでした。全日本のドローを開いた瞬間、「福井だ!」そしていの一番に脳裏に浮かんだのは、「ロビング攻撃だ。一発目からロブを上げてやれ!」という作戦でした勝負を捨てていなかった自分を嬉しく思います。そして梶谷氏(明治卒業、昨年度インカレベスト4)と会う機会がありまして、その時のアドバイスが私を支えてくれました。梶谷氏は「小川は相手が福井だからと言ってムチャクチャにぶつかっては駄目だ。いつでも勝つつもりで臨まにゃいかん。どんな相手でも勝ちにいかなくてはだめだ。それにはどうしたらいいか考えろ。」そして、「俺だったら福井を前後のゆさぶりにかける。横の動きは、うまい奴ほどいいからな。前後は誰でも苦しいんだ。そして絶対に強いボールて打ち合わない事だ。そして小川はやはり前で勝負だ。勝負はお前はネットでつけるつもりなんだろ。その展開に持ち込む、その展開をしてダメなら、また次の作戦を立てるんだ。それから(福井を倒すのに)一番チャンスがあるのは小川なんだぞ。福井は当然優勝を狙って来る。決勝に照準を合わせて来るとなると、一回戦にはさほど気を使っていないかも知れない。その心のスキを捕らえる事だ。人間スキが出来たら弱い。そのチャンスを逃したらダメだ。」というのが梶谷氏の言葉でした。そこには、勝負師(少し長くなりましたが) 梶谷氏がいました。
全日本に向けて、練習では、勝負を賭けるべきサービスとネットにカを入れ、ロブの練習をし、展間は緩い球で深く打ち、時々短いボールを打って相手をひっぱり出す。短いボールは積極的に前へと思っておりました。サービスゲームは全てダッシュでした。試合中感じた事は、全てストロークはフォアへ集めた方が良いと閃いた事でした。そしてファーストをアップする事が出来ました。作戦と同時に、福井も絶対に油断していました。その証拠に、セカンドセットからは短いボールを打っても全く前に出て来なくなり、ベースラインでパスを狙っていました。以後は、ケイレンというだらしの無い試合で完敗でした。早大の山本君(山本勇二の兄)が試合の前に冗談で言っておりましたが、「ファイナルセットになってもコートに立っていたら、ただのネットプレーヤーでない事が証明されますよ。」(ロッキー)などと言っていましたが、フォースで駄目でしたが、今年のハイライトでした。
昨年の第三回北信越インドアで、金大の本田がシングルスで優勝しました。試合(対加藤戦(金大))戦、素振りをしている本田に一言。(同じ大学の先輩とやるというのは非常にやりにくいものです) 「本田、負けたら全て終わりだぞ。決勝に残っても負けは負けだ。 二位になっても二番目に強いんじゃない。でも優勝したら一番強いんだ。優勝と準優勝は天と地の開きがあるんだ。勝って優勝しなくてはダメだ。」と言いました。試合後ですが、決勝戦の最中、その事ばかりが気になって、絶対負けてはならないと思ってやっていたそうです。それが勝利に結び付いたのかどうか分かりませんが、勝負に新しい態度でぶつかってくれたのは確かだと思っています。それて良かったのです。
私が北信越の後輩に声を大にして言いたいのは、もっと勝負に厳しくなれ!という事です。技術ももちろん教えたいところは沢山あります。しかし、強くなるには、勝負に対する厳しい態度を持って欲しいのです。自分よりも弱い相手にはゲームをやらない。絶対にラブかワンゲームで勝つ。実力の同等の者とは絶対に負けない事。 調子が悪くても負けない事。同じ大学の後輩には、たとえ練習でも負けてはいけない。それもロースコアで勝つ事。実力が上の者とやる時には、コートに長く入っている事、それが大物を喰う素地になる。大物に対して、自分のテニスをぶつける事が出来る事、それが強くなる秘訣です。私が、北信越をどうして抜け出し、インカレなどでも勝つ事が出来たかというのは、誰か何と言おうが、他の者がどんなテニスをしようか、ネットダッシュに勝負を賭けた事が、勝ち進んだ何よりの理由だと思っています。
これが、四年問金沢でテニスをやって得た事です。皆にもっともっと強くなって嫁しいと思います。一試合勝つ毎に強くなると言いますが、私はそれよりも、一試合負ける毎にテニスは進歩する(強くなる)ものだと思っています。試合中の閃き、技術の未熟さ、弱点、勝負所など、試合は勉強の場です。練習は、試合で得たものの練習に過ぎないのです。その点を、強く言いたいと思っています。試合で数多きを得よ! これです。
春一番が吹きあれ、北陸にも春の息吹きが目前に迫ってきた感じがします。金沢での学生生活もあますところ残りわずか、本当によくテニスをやり、飲みに出かけました。
ところで、私が金沢大学のテニスについて今ふり返ってみますと私のテニスが非常に個性的なのに比べ、下級生を圧さえつけすぎて、非常に個性のないテニスになっているのではと反省しています。テニスを伸び伸びとやっていないように見受けつれるのです。
その点貴君の大学は試合において悲常に伸び伸びとやっているように感じます。そこか実力のついてきたところのように思われます。 今後後輩を指導するにあたり、個性を大切にひき伸ばすことができるような方針をとれたらよいと思います。
来たるシーズンは、誰が見ても混戦模様、私にとって速く名古屋の地からも、心がはずむトーナメントになると思います。又、北陸だけにとどまらず、インカレの活躍を期待するものにとって、各個人個人により一層の情熱を持ってテニスシーズンにぶつかってほしいと思っています。
私は大学四年間、誰にも負けぬテニスへの情熱と練習量を持っていたつもりです。それ以外の何者が私のテニスを支えていたでしょうか、考えられません。富山大学の方と試合をやったのは改田君、 梅沢君、鮮上君くらいでしたか、古いところでは堀田さん、神田さん、そして大学へ入って初めてやった柏谷さんくらいてしょう。現役諸君とは仲々テニスができぬままに卒業ですが、全日本を目指して頑張って下さい。そこで、当たるかもしれませんよ!
それでは、富山大学の来季の活躍を期待しております。