住所:横浜市 戸塚区 汲沢町 1273 

- 由緒 -

戸塚区汲沢町 五霊神社(ごりょうじんじゃ)では創建四百有余年を迎え、近市近郊からの参拝で賑わいます。

五霊神社は社伝によると、小田原北条氏の治下、元亀二年(1571年)九月十九日、村岡郷宮前の御霊神社から分霊を勧請し、その後、鎌倉権五郎景政とその父景成を合祀して祭神が五柱となったので社名を五霊と改めました。

主祭神の村岡五郎平良文は、桓武天皇の曾孫で、皇族から臣籍に下がり「平性」を名乗った高望王の子です。

良文以下、公致、致成、景成、景政というように、五代連なる当主を祭神として祭る神社は全国でも他に例を見ないといわれ、主祭神に村岡良文を祭る神社も例を見ません。

良文の曾孫、景成は鎌倉氏を名乗り、相模国村岡郷(旧鎌倉郡)を領地としました。

その子、権五郎景政は、後三年の役(1083~87年)で源義家に従い戦巧を立てるなど、勇敢な武将であると有名です。

良文は鎌倉氏をはじめ、秩父氏、三浦氏、千葉氏など優れた子孫を数多く輩出したため、子孫繁栄の神様として崇拝されています。

また、武勇で鳴らした権五郎景政は、生まれたとき大変な安産だったことから「安産の神様」として、そして、その矢で射られながら怯まず敵将を倒した剛毅な気性にあやかり「交通安全、厄除けの神様」としても崇められています。

このため、五霊神社は子孫繁栄の神様として、安産祈願をはじめ、初宮詣や七五三など、子供の健やかな成長を願う多くの方々が近在はもとより遠方からも参拝にみえられます。

また、景政は牛馬を大変大事にしたことから動物のお守りを出している珍しい神社でもあります。