「良い書を創造するために」
「現代日本の書を背負って立つのだからな」--現日会発足の日、南先生は話されている。
この言葉に、当時、先生のすさまじいばかりの気迫をみる。
戦後『書壇展望』で厳しい書評を展開された先生が、書評だけでは駄目だと考えられた結果、設立されたのが「現日会」である。ご自身の理想を具現する為に「現日会」を創られたのだから、そのおもいは大変なものだったと想像する。
このたびの第五十五回記念現日書展に際して、前回の記念展で編んだ冊子「南不乗の理念 ― 生誕百年に当たって ― 」を踏まえ、南先生が目指した書を改めて確認してみたい。
一、芸術としての書
この感覚は、すでに先生の長兄手島右卿先生が薫陶をうけられた比田井天来先生の主張の中にある。この大きな思潮は、土佐の書道の流れの中に、南先生の体の中に伝って熟成されている。
二、人間としての高い美意識
個人としての高い美意識を育てる。作品としての自発性、純粋性は勿論、作品には絶対的自我の発露、真の美の追求がなされなければならない。作品は、自己の分身として、独自の発想・精神を持つという自覚と認識を持ちたい。
三、芸術する心
自己の信念を貫いて、その孤独に耐え、真実を求めて独自の思想精神を確立し、その美的心象を表出することが作品に求められる。
四、一家の風格ある書
一家の風格とは、その作家だけが持つ独特の書相といったもの。その独自の書風に、更に格調の高さ、気韻精神の高さ深さを具現していなければならない。
五、自由闊達な書
作品は自由闊達に書くべきで、その自由さ闊達さがなくては生きた人間の意志を表現するものではない。ただし、書作品の自由とは、書の範疇の中での自由であって、出鱈目の自由奔放ではない。文字を無視した非文字の作品、書から逸脱したものは書作品とは認めない。如何に崩れたゆがみでも、自然、必然の理によるものでなければならない。真である必然の世界である。筆と墨と紙とに支えられた表現の自由を指向するのである。
一見崩れた様な表現をしても秀れた造型力を持つものは、要をしっかりおさえて、ゆるぎない構成を示しているものである。また、若者には若さにふさわしい覇気がなくてはならない。それが自然に辿る境地である。書もまた同じ道理である。
六、日本の伝統芸術と共に
日本の美術や能、歌舞伎でも、観る人の琴線に触れるものであれば、洋の東西を問わず受け容れられることがある。書の世界も同様であろう。
もののあわれの優雅さが日本の伝統であるとしたならば、それを現代の書の中にどう生かしてゆくか。余韻のあるロマンを持った良い書を指向してゆきたい。
先生は病床にあっても、「良い書」という事に執念を燃やしていらした。その先生の思いを繋いで、今年現日書展は五十五回を迎える。在野の書団体として、今その存在はどのようなものであるのか。
創立者南不乗の理念である一人一党の精神を守り、自由と奔放、個性豊かな格調ある書を目標に、会員一同、これからも「良い書」を目指して、大いに頑張ってゆかねばならない。
第五十五回記念現日書展 実行委員会