百万遍念仏

【恵光寺 百万遍念仏】

この度、恵光寺定例法話会にて、百万遍念仏を始めることとなりました。

新松戸に隣接する、旧宿場町の松戸・小金・流山では、江戸時代から寺社や村々において百万遍念仏が始められたと伝え聞いております。昭和の終わり頃まで、この文化が継承されていた様ですが、時代状況の変化から百万遍念仏の声は途絶えつつあります。

浄土真宗では、祈祷念仏としてこれを否定する傾向にありますが、百万遍念仏が伝統されてきた歴史、またそこで育まれた文化は大変意義あるものです。郷土文化の継承という観点から、ささやかながら恵光寺でも始めることとしました。

法話の後の短い時間での百万遍念仏ですが、興味がございましたら、いつでもお越しください。

【百万遍念仏物語】

元弘元年(1331)、紀伊国(現在の和歌山県、三重県南部)で大地震が発生しました。

この地震によって、同国千里浜の遠干潟が隆起して陸地になってしまったと、『太平記』に記録されております。また、その四日後には、駿河国(現在の静岡県)でも地震が発生し、富士山々頂部分が崩落したそうです。

さらに、これらの大地震の後、京都で疫病が大流行しました。事態を重く見た後醍醐天皇は、浄土宗の知恩寺第八世・善阿空円上人に疫病退散の祈祷を命じます。

勅命を受けた空円上人は、宮中で百万遍念仏を一心不乱に勤めました。七日間にわたって念仏を続けると、やがて疫病は鎮まっていきました。これを機に、疫病が鎮められたご利益に与ろうと、宮中から地方の村々の間にまで百万遍念仏が広まりました。

今日でも、各地の寺社、町や村で、鎮魂・追善・豊穣・除災・共助などを目的として百万遍念仏が続けられております。