研究の概要

(最終更新日:2020年7月18日)

これまでの研究の概要をまとめてあります。

何も書いてないよりはましだろうということで、とりあえず統計物理の専門家向けに書いたものをベースに作ったので、ちょっと難しめになっています。

少しずつ更新して簡単なversionも作りたいと思っています。

研究室のページに最近の研究(バクテリア乱流ヤヌス粒子)を学部生を想定してもう少し易しめに書いたものがあります。

1. アクティブマター物理学

アクティブマターの集団運動におけるマクロな秩序の発現

A) バクテリア集団運動における長距離配向秩序の実現と異常な密度揺らぎの実在証明

大腸菌や枯草菌に代表されるような、水中を泳ぐ棒状のバクテリアの集団は、排除体積により向きを揃えるものの、個々が作る流れ場で配向秩序が不安定化するため、通常は大域的には向きが揃わない乱流状態を示します(下記B参照)。この研究では、バクテリア(大腸菌)を擬 2次元の非常に薄い流体層内に閉じ込めて、かつ、バクテリアの分裂を抗生物質で阻害することで通常の10倍程度の長さまで細長く伸長させて向きを揃いやすくするという極限的状況を創り出すことで、バクテリアの向きが揃った秩序相を実現しました。定量的解析により、この集団運動が無限遠まで向き の揃った長距離秩序を示すこと、べき的な相関を持つこと、そして中心極限定理を破る巨大な密度ゆらぎ Giant Number Fluctuations (GNF)を示すことが明らかになりました(図1)。

実はこれらの性質は、自己駆動粒子多体系を研究するアクティブマター分野において、系の対称性のみに基づく連続場理論の動的くりこみ群解析[1]や集団運動の標準模型であるVicsekモデルの数値計算[2]によって普遍性が理論的に予言されていました。また平衡系では長距離秩序が理論的に禁止される2次元系であっても集団運動では長距離秩序を実現される点や、GNFが系の回転対称性の自発的破れに由来する数理的性質であることから、これらは集団運動の重要な特徴と長年見なされてきたものでした(僕の数理科学の解説記事など参照…少し古いですが)。しかし現実のいかなる実験系では長距離秩序が観測されず、理論と実験の乖離状態にあったといえます。そのため、この実験がVicsek普遍クラスに属する初の実験となり、数多くの理論研究に基盤を与えられたと同時に、この実験がVicsek普遍クラスを実現できた理由にも関心が持たれました。Vicsek普遍クラスに属した理由として、従来の寒天培地上でのバクテリア実験のような完全な2次元系ではなく、2枚の平面の間の薄い流体層中にバクテリアを閉じ込めた擬2次元系であるために、バクテリア同士が相互作用せずにすれ違ったり軌跡が交差したりできることでVicsekモデルに近い相互作用が実現できていることを指摘しました。この考えは、現在では実験や排除堆積効果を明示的に入れた数値計算や実験[3]によっても支持されています。

Nishiguchi, et al. Phys. Rev. E 92, 052309 (2015)

図1: 衝突によってバクテリアが平行 or 反平行に揃うネマチック相互作用の結果、長距離配向秩序相と巨大な密度揺らぎ(GNF)が生じる

B) バクテリア乱流の反強磁性秩序への自己組織化と境界条件・流れ場のトポロジー

アクティブマターの成功例はバルク中の理論や実験に限られている一方、生体内での細胞集団運動など生命科学としても興味のある現実的な状況へ適用するには、境界が重要となることが多くあります。また、バクテリアや培養細胞、微小管・分子モーター再構成系、自己駆動コロイド粒子(Nishiguchi & Sano, Phys. Rev. E 2015)など数多くの実験系では、向きの揃った秩序状態よりも乱流のように流れ場が時空カオス的変動を示す状況の方が実は多く存在します。そこで、いかにしてこのような乱雑な集団運動が境界と結合するのか、また、その結果いかにして秩序化しうるのかを調べる題材として、バクテリアの作るアクティブ乱流で実験おこなっています。上記A)で述べた通り、遊泳バクテリアの3次元的な濃厚懸濁液は、流れ場が時空カオス的に変動するアクティブ乱流相を示します。アクティブ乱流のバルクでの振る舞いは連続場理論での記述に成功しているものの、その境界条件はニュートン流体のnon-slip条件のように単純ではなく、境界のあるときのアクティブ乱流の振る舞いを統一的に理解することはできていませんでした。(バクテリア乱流の動画は研究室のwebページを参照してください。こちらの方がもう少し易しめに書きました。)

そこで我々は、境界の影響を定量的に調べるため、枯草菌の作るアクティブ乱流が微細な柱の格子中に流れ込む実験系をsub-µmスケールの微細加工技術により実現して、異なる間隔の柱格子の間での振る舞いを同時観測しました(図2)。結果として、体積比わずか4%程度の構造物をバルクのアクティブ乱流の相関長に合致するよう周期的に配置するだけで、アクティブ乱流が反強磁性渦格子秩序を自発形成することを見出しました。有限サイズスケーリング解析によって、本実験系では格子全体にわたって欠陥のない長距離の秩序を実現できることが証明でき、理想的にはいくらシステムサイズを大きくしても無限遠まで秩序が保たれることがわかりました。また、本実験系ではバクテリア懸濁液が常に空気に接するよう工夫してあるため、バクテリアが酸欠になることなく長時間観察が可能なので、渦の寿命(persistence)や反強磁性渦格子の秩序変数のゆらぎの測定もおこないました。これによって、渦同士が隣り合うことで指数関数的に渦の寿命が伸びていることも実験により明らかとなり、この安定化機構を説明する現象論モデルも構築しました。さらに、柱にchiralityを持たせることで渦格子秩序を反強磁性から強磁性に変えられることも実証し、渦を制御する新手法を提案することができました。(ここまでがNishiguchi, et al. Nature Communications 9, 4486 (2018)の内容)

次に、柱の周りの流れ場のトポロジーに着目して研究をおこないました。すると、反強磁性渦格子秩序において、微細な柱は巻き数-1のトポロジカル欠陥とみなせるだけでなく、孤立した1本の柱も巻き数c=-1のトポロジカル欠陥として振舞うことが判明しました。興味深いことに、孤立した柱の直径を変えて、周囲に誘起される流れ場の巻き数を測定したところ、直径を大きくするに従って、柱はc=-2, -3などより大きな負の巻き数のトポロジカル欠陥として振る舞う傾向にあることを発見しました。さらに、実験データから新たな境界条件として速度vと渦度ωの両方が固体表面でゼロとなる"v=0 かつ ω=0"を連続場方程式に課すことで、バクテリア乱流のマクロな渦秩序形成の数値的再現に成功し、また単一の柱のトポロジカル欠陥としての性質を数値的・解析的に説明することにも成功しました。ここまでの知見を総合することで、トポロジカル欠陥としての柱を適切に配置することでバクテリア乱流の渦秩序構造をトポロジカルに設計する一般論を構築しました。(Reinken, Nishiguchi, Heidenreich, et al. Communications Physics 3, 76 (2020)の内容)

この研究が、カオス的変動を示すアクティブマターから秩序を抜き出す制御手法のさらなる発展や、微生物集団からエネルギーを抽出したりする新たなマイクロ流体デバイスの設計指針に発展すると良いなぁなんて妄想しています。

C) 自己駆動コロイドの集団運動:ヤヌス粒子の鎖状構造の示す鞭打ち運動のスケーリング関係など

誘電体のコロイド微粒子の半球を金属でコートした非対称粒子(ヤヌス粒子)の懸濁液を2次元透明電極で挟み、鉛直方向に交流電場を加えることで、粒子をあたかも微生物のように水平面内で遊泳させることができます。このような泳ぎ回る人工的な粒子を使うことで、生き物では難しいような高度に制御した実験をおこなうことができます。我々のこの実験系では、交流電場の周波数と水中のイオン濃度を制御することで、粒子間の相互作用(斥力 or 引力など)に加えて、推進方向(誘電体側に進むか金属側に進むか)を制御することができ、また、交流電場の振幅によって粒子の遊泳速度を制御することができます。これらの制御変数を調整することで、微生物やその群れを模した実験をおこなうことができます。たとえば、現在では、アクティブ乱流状態やVicsekモデルのように全粒子が一方向に向きを揃えて進んでいく秩序状態などが実現できています。

交流電場の周波数が高い条件下ではヤヌス粒子の誘電体面と金属面の間に引力が働き、興味深い鎖状構造が自発形成されます。この鎖状構造の先頭を固定した場合、後ろの粒子が前を押すため応力が蓄積して直線配置が不安定となり座屈し、まるで精子や藻類などの鞭毛のような振動現象が生じます。精子や藻類(例:クラミドモナス)など真核細胞の鞭毛の振動は、鞭毛内部にある分子モーターによる応力が蓄積することで発振します。鞭毛などのactive filamentに関して、鞭打ち運動の振動数が内部の分子モーターの駆動力の4/3乗でscaleするという理論予測[4]がありましたが、生き物や生体由来素材を用いた実験では駆動力の制御は容易ではありません。そこで私は、電圧の調整によりヤヌス粒子の駆動力を自在に制御できる利点を活かして、理論と比較する実験をおこないました。結果として、振動数が駆動力の1乗でscaleするという理論と食い違う結果を得られましたが、ヤヌス粒子間の引力が粒子表面に誘起される電気四重極子に起因する効果を理論に加えることで、この振る舞いが理論と整合することを示しました。この結果はactive filamentの普遍スケーリング則の検証にとどまらず、直接測定の困難なヤヌス粒子表面の電荷分布に間接的根拠を与えることができたため、まだ完全には解明されていないヤヌス粒子の駆動原理の理解を深めることができました。(Nishiguchi, et al. New J. Phys., 20, 015002 (2018)←ここにあるビデオアブストラクトもぜひ見てください)

最近では、このヤヌス粒子の密度が低い状況での構造に着目して研究をおこないました。アクティブマター研究では通常は集団運動などが生じてくる高密度の状況を扱うことが多いですが、密度が低くヤヌス粒子がランダムに動き回っている状況にも、非平衡系特有の相関を見出しました。ヤヌス粒子集団の示すpair correlation function(粒子の空間分布)に“翼”のような特異な構造を発見し、これをアクティブ・ブラウン粒子(active Brownian particles)という、自己駆動粒子をLangevin方程式で記述するモデルに基づいた解析理論と数値計算からも説明することに成功しました。(Poncet, et al. arXiv: 2006.08202 (2020)

これからも、まだまだ、ヤヌス粒子を使って動きから現れる普遍法則を探っていきたいと考えています。

2. 生物物理学

A) バクテリアのIV型線毛のダイナミクス

IV型線毛(type IV pili)システムは、多くのバクテリア(例: Escherichia coli, Vibrio cholerae, Pseudomonas aeruginosa, Neisseria spp.)に存在する、直径およそ 6 nmで長さ数µmのフィラメントを最大およそ1 µm/sもの高速で体表から出し入れする運動機構です[5]。その機能は多岐にわたり、基板への粘着や張り付かせた線毛を引っ張ることで動き回るtwitching motilityに用いるだけでなく、環境中のDNAを体内に引き込み形質転換するcompetenceや、宿主に感染する際の接着などにも用いられます。

ポスドクとしてパリのパスツール研究所に在籍していたときに、モデル生物として髄膜炎菌(Neisseria meningitidis)のIV型線毛の実験をおこなっていました。それから今まで引き続いて、その分子機構を非平衡物理の立場から理解することを目指して研究をおこなっています。論文が出たらもう少し詳細に記述したいと思います。

そのほか、髄膜炎菌が血管内皮でコロニーを作る際に、IV型線毛がどのようにして宿主の細胞に張り付くのかを、in vitro実験と物理的なモデリングにより理解を進める研究もおこないました。線毛が宿主細胞の細胞膜に接着する過程を詳細に理解するために、変異をしらみつぶしに調べるdeep mutational scanningという手法を用いて線毛の接着起点を生化学的に調べると同時に、髄膜炎菌から精製した線毛を微小流路中で培養した宿主の内皮細胞上に撒く実験をおこないました。すると、線毛の先端のみが最初に細胞に付着し、その後、ある一定強度以上のせん断流を加えると線毛全体が細胞表面に不可逆的に接着することが分かりました。この実験結果を低レイノルズ数での流体力学と確率過程理論を組み合わせることで説明することに成功し、線毛の接着が先端から開始することを理論的に説明することができました。(Kennouche, Charles-Orszag, Nishiguchi, et al. EMBO J. 38: e102145 (2019)

[1] J. Toner and Y. Tu, Phys. Rev. Lett. 75, 4326 (1995), J. Toner, Phys. Rev. E 86, 031918 (2012)

[2] T. Vicsek, et al., Phys. Rev. Lett. 75, 1226 (1995), H. Chaté, et al., Phys. Rev. E 77, 046113 (2008), F. Ginelli, et al., Phys. Rev. Lett. 104, 184502 (2010)

[3] X.-q. Shi and H. Chaté, arXiv:1807.00294 (2018), S. Tanida, et al., Phys. Rev. E 101, 032607 (2020).

[4] K, Sekimoto, et al., Phys. Rev. Lett. 75, 172 (1995), L. Bourdieu, et al., Pays. Rev. Lett. 75, 176 (1995), R. Chelakkot, et al. J. Royal Soc. Interface, 11, 20130884 (2013).

[5] A.-F. Imhaus and G. Duménil, EMBO J. 16, 1767 (2014), B. Maier and G.C.L. Wong, Trends Microbiol., 23, 775 (2015).