近年、生物多様性の減少に対する懸念と保全の必要性に大きな注目が集まっていま す。地球上の生物の中でも、哺乳類は、形態・生態・生理・生活史・行動が驚くべきほど多様化したグループです。なぜこれほどまでに多様化が進んだのかを解き明かすことは、 哺乳類の生物多様性を保全していく上でも重要な課題です。 これまで、哺乳類の中でも高い多様性を誇る分類群であるコウモリ類を材料として、自然環境との関連性や行動に関する研究をおこなってきました。調査地域は北海道から沖縄、韓国やタイ、ベトナムなど多岐にわたります。一方で、研究開始当時はコウモリ類に関する研究が少なかったため,手法的研究や分類に関する研究も並行して行ってきました。以下に、これまで行ってきた主な研究テーマと概要を記します。手法的研究
音声によるコウモリ類の種識別法の構築
コウモリの音声(エコロケーション音)には種特異性があるために、音声による種判別が可能になれば、コウモリ類の 環境利用を捕獲することなく評価で きます。すでに欧米では音声を用いた種判別法や調査方法が確立され(e.g. Vaughan et al., 1997)、保全のための研究に生かされています(e.g. Walsh & Harris,1996)。この方法を日本で適用するために、北海 道苫小牧周辺に生息するコウモリ8種の音声を録音・解析し、判別分析による種判別を 試みました。その結果、これら全種について、90%以上の正答 率で種判別が可能となりました。この種判別法構築技術は、他地域のコウモリ群集に対しても適 用可能であり、音声種判別を取り入れた音声調査は、 コウモリ類のモニタリング調査の効率を飛躍的に高めることができます。
このほか、コウモリ類にストレスを与えずに捕獲をおこなうハープトラップを日本で初めて実用化したり、ソーシャルコールを応用したアコース ティックルアーによる捕獲効率の向上試験も行っています。
Fukui D., Agetsuma N. and Hill D. A. (2004) Acoustic identification of eight species of bat (mammalia: chiroptera) inhabiting forests of southern Hokkaido, Japan: potential for conservation monitoring. Zoological Science, 21: 947-955.
Fukui D., Ishii T., Agetsuma N. and Aoi T. (2001) Efficiency of Harp Trap for Capturing Bats in Boreal Broad-Leaved Forest in Japan., Eurasian Journal of Forest Research, 3: 23-26.
生態学的研究
河川の羽化水生昆虫がコウモリの採餌活動に及ぼす影響
多くのコウモリ類が河川周辺を重要な採餌場所として利用しています(Racey, 1998)。その理由として、河川周辺に餌資源が豊富に存在すること以外に、捕食者からの回避や、通路としての利用が考 えられてきました。これら要因を個別に検証するためには、操作実験を行う必要があります。本研究では、河川 から羽化する水生昆虫量がコウモリ群集の採餌活動に影響およぼすという仮説をたて、操 作実験を用いて検証しました。
実験では、水生昆虫の羽化分散を抑制するために、目の細かい網で河川を覆った実験区(1.2km)を設定し、網で覆わない対照区(1.2km)との間でコウモリの採餌活動頻度を比較しました。その結 果、採餌活動頻度は、水生昆虫が羽化する春に実験区で著しく低かったのですが、樹木が開葉し陸生昆虫が増加する夏には、両区間の間で差はなくなりました。
本研究は、1)コウモリが河川を集中的に利用する大きな要因が餌資源量である事、2)春に集中的に発生する水生昆虫がコウモリ類にとって重要な餌資源であること、3)河川から陸上への栄養塩 移動にとってコウモリが大きな役割を果たしている事、を明らかにしました。コウモリの保全のためには、水生昆虫をも考慮に入れた 河川環境の保全が重要であることを意味します。大規模野外実験に よって餌資源量を操作し、生息環境の持つ意味を明らかにしたコウモリ研究は世界的に見て例がありません。
Fukui D., Murakami M., Nakano S. and Aoi T. (2006) Effect of emergent aquatic insects on bat foraging in a riparian forest. Journal of Animal Ecology,75: 1252-1258.
台風攪乱に伴う森林ギャップサイズがコウモリの活動におよぼす影響
森林性コウモリ類は、同所的に多くの種が生息し、森林内外の様々な空間を利用しています。それぞれの種がどのような物理構造を持つ空間を利用するかについては、飛翔能力と空間把握能力が大き く影響すると考えられますが、これらの能力は、翼の形態とエコロケーションコール(音声)の構造によって理論的にある程度予測できます。したがって、翼と音声の構造がコウモリ類の採餌場所選択 を決定する要因になると同時に、森林の空間構造がコウモリの活動に大きく影響をおよぼすと予測されます。
これまでのコウモリの飛翔空間に関する実証研究は、1種あるいは2種のみを対象としており、手法的制約のためにコウモリ群集全体を対象とはしていませんでした。本研究では、森林の空間構造の 異質性として自然攪乱によって生じたギャップを扱い、その大きさの違いに対する生息コウモリ種の応答を、全ての種について明らかにし、翼・音声構造と飛翔空間の関連性についての検証を目的とし ました。 その結果、ギャップサイズに対する反応は大きく以下の3つのパターンに分けることが出来ました。1:ギャップサイズと利用頻度に明確な関係が見られない 種。2:中程度のギャップサイズ で利用頻度が高い種。3:ギャップサイズが大きくなると利用頻度が低下する種。本研究の結果は、生息空間の物理構造がコウモリの採餌場所を決定し、局所的な種組成を決定する重要な要因であるこ とを実証すると同時に、コウモリ類の特徴である翼と音声の構造が、コウモリ群集の空間分布を決定する主要因であることを示唆します。
Fukui D., Hirao T., Murakami M. and Hirakawa H. (2011) Effects of treefall gaps created by windthrow on bat assemblages in a temperate forest. Forest Ecology and Management, 261: 1546-1552.
ヒナコウモリ(Vespertilio sinensis)のねぐら選択に温度がおよぼす影響
ヒナコウモリは本来樹洞や岩の割れ目をねぐらとして利用しますが、ねぐら環境の攪乱によって、近年では人工構造物をねぐらとして利用 する例が増えています。人工構造物へのコウモリの侵入は、 糞尿や騒音被害といった人間との軋轢を生じさせ、コウモリが大量に駆除されるとい 結果を生んでしまいます。また、人獣共通感染症といった健康上の問題も懸念されます。こうした問題を解決する手 段の一つとして、代替ねぐらとしてのコウモリ用巣箱の設置が挙げられます。しかし、コウモリのねぐら選好性は地域や種によって様々であり、最適な代替ねぐらの提供のために、対象種のねぐら選好 性を明らかにする必要があります。本研究では、選択要因の中でも重要視されている「ねぐら温度」がコウモリのねぐら利用におよぼす影響を、巣箱を用いた操作実験によって明らかにすることを目的 としました。
実験では、5〜11月にかけて白色と黒色の巣箱を、繁殖ねぐら周辺の森林内部および畑にそれぞれ設置しました。結果、巣箱は繁殖ねぐらとしては利用され なかったものの、夏期には1〜5個体の 非繁殖個体が巣箱を利用し、秋期には20個体以上の分散個体が巣箱を利用しました。コウモリは、夏期には白黒両方の巣箱を利用していたが、畑に設置された巣箱は利用しませんでした。一方、外気 温が10度以下になる秋期には、ほとんどの個体が白色の巣箱を利用し、森林内部よりも畑の巣箱の方が利用個体数は多くなりました。季節による選択性の変化は、餌資源量の変化とエネルギー消費の バランスが密接に関わっているためであると考えられます。年間を通して安定した代替ねぐらを提供するためには、複数タイプの巣箱を設置する必要があります。
Fukui D., Okazaki K., Miyazaki M. and Maeda K. (2010) The effect of roost environments on roost selection by non-reproductive and dispersing Asian parti-coloured bats Vespertilio sinensis. Mammal Study, 35: 99-110.
各種コウモリの食性に関する研究
食虫性コウモリは一晩で体重の30〜50%の昆虫を捕食するといわれています。コウモリの食性情報は、生態的機能の推定や保全対策構築の際の有用な情報となります。そこで、これまでに様々な種の 食性について、糞分析法を用いて明らかにしてきました。
まず、北海道倶知安町に生息するヒナコウモリについて、食性の季節変動を調べ、ライトトラップによって推定された餌資源量と比較しました。糞分析の結果、7月中旬までは鱗翅目、双翅目、鞘翅目 が多く捕食されていましたが、7月下旬および8月上旬になると双翅目のかわりに膜翅目、毛翅目が多く 捕食されるようになりました。コウモリの幼獣と成獣では食性が違うという研究があるますが、調 査地周辺では7月下旬には幼獣が飛翔を始めており、それが全 体的な食性の変化につながった可能性があります。食性と昆虫量の比較の結果、調査期間を通して比較的大きいサイズの昆虫分類群に依存 している事が認められました。
次に、同所的に生息するコウモリ種間の機能形質の違いが、利用資源の違いをもたらすのかに着目し、石垣島に生息する3種の食虫性コウモリの食性を糞分析によって明らかにしました。また、同時 に3種の翼の形態を測定しました。3種の翼の形態については、Wing loadingは3種間で違いがなかったのに対し、リュウキュウユビナガコウモリのAspect ratio とWingtip shape indexは他の2種と有意 に異なっていました。これらの結果は、リュウキュウユビナガコウモリの採餌飛翔空間が他の2種と異なることを示唆するもので す。また、糞分析の結果、似たような体サイズで、異なる採餌空間を利 用すると予測される2種(リュウキュウユビナガコウモリとヤエヤマコキクガシラコウモリ)間では、一部の時期を除き、食性に大きな違いは見られませんでした。一方で、体サイズは異なるが似たよ うな採餌空間を利用すると考えられる2種(ヤエヤマコキクガシラコウモリとカグラコウモリ)の食性は大きく異なっていました。つまり、同所的に生 息するコウモリ種間の機能形質の違いが、利用資 源の違いをもたらし共存を可能にする事を示唆します。機能形質がコウモリの集団構造の維持・形成に関わる大きな要因の一つになると考えられます。
次に、日本最大の食虫性コウモリであるヤマコウモリの食性を、国内3カ所のねぐらで2年間に渡り調べました。その結果、春と秋および初冬にかけて、鳥類を捕食している事が認められました。年変 動はあるものの、その割合は初冬で最も高く、餌の50%近くが鳥類で占められているものでした。季節による消長から、夜間に渡りを行なう小鳥を捕食しているものと思われます。食虫性コウモリの 鳥捕食は、これまでに2例がスペインとインドで認められていましたが、東アジアでの確認は初めてです。これは、コウモリ類による鳥捕食がこれまでの考えより一般的な現象である事を意味し、鳥類 とコウモリ類の生態的、進化的な相互作用に新たな展開を与えるものです。
Fukui D., Okazaki K. and Maeda K. (2009) Diet of three sympatric insectivorous bat species in Ishigaki Island, Japan. Endangered Species Research, 8: 117-128.
Fukui D. and Agetsuma N. (2010) Seasonal change in the diet composition of the Asian parti-coloured bat Vespertilio sinensis. Mammal Study, 35: 227-233.
Fukui D., Dewa H., Katsuta S. and Sato A. (In press) Bird predation by the birdlike noctule in Japan. Journal of Mammalogy.
分布・分類学的研究
日本列島各地におけるコウモリ相の解明
生物多様性の変動を把握するためには,各地での生物インベントリーの整備が急務です。日本の一部の地域では、コウモリ類の生息情報がほとんどありません。そこで、様々な地域でコウモリ相の把 握のための調査研究をおこなってきました。主な地域は,北海道南西部、和歌山県古座川町、対馬、韓国です。これまでに、北海道初記録となるアブラコウモリの確認,日本で40年ぶりとなるクロア カコウモリの確認、日本で初めてとなるクロオオアブラコウモリのねぐら確認,日本で2例目のヒメヒナコウモリの確認,朝鮮半島で54年ぶりとなるコテングコウモリの確認など,数多くの成果を上 げています。
福井大,前田喜四雄,佐藤雅彦,河合久仁子 (2003) 北海道におけるアブラコウモリPipistrellus abramusの初記録.哺乳類科学,43: 39-43.
福井大,河合久仁子,佐藤雅彦,前田喜四雄,青井俊樹,揚妻直樹(2005)北海道南西部のコウモリ類.哺乳類科学,45: 181-191.
河合久仁子,福井大,松村澄子,赤坂卓美,向山満,Kyle Armstrong,佐々木尚子,Hill D.A.,安室歩美 (2007) 対馬のコウモリ類.哺乳類科学,47: 239-253.
福井大・揚妻直樹・D.A.Hill(2007)北海道大学中川研究林のコウモリ.北海道大学演習林研究報告,64: 29-36.
Kawai K., Fukui D., Sato M., Harada M and Maeda K. (2010) Vespertilio murinus Linnaeus, 1758 confirmed in Japan from morphology and mitochondrial DNA. Acta Chiropterologica, 12: 463-470.
近藤憲久・福井大・倉野翔史・黒澤春樹(2012) 北海道網走郡大空町で確認されたヒメヒナコウモリの出産哺育コロニー.哺乳類科学,52: 63-70.
Fukui D., Hirakawa H., Kawai K. and Armstrong K. (2009) Recent records of bats from south-western Hokkaido. Bulletin of the Asian Bat Research Institute, 8: 9-27.
福井大・揚妻直樹・D.A.Hill(2010)北海道大学和歌山研究林のコウモリ.北海道大学演習林研究報告,67: 13-23.
コテングコウモリの形態の日本列島における地理的変異
コウモリ類の保全を考える際には、各地域集団の系統分類学・集団遺伝学的な背景を明らかにする必要があります。本研究では、分類学的に特に混乱が多いコテングコウモリの日本列島における地理 的変異の解析をおこないました。その結果、北海道から本州にかけては明確な地理的変異はなかったのですが、分布 南限にあたる屋久島個体群について有意な変異の存在が明らかになりました。しかし この違いは、本州内での変異の大きさと、近縁種との関係から、種分化を示すほどの違いではありませんでした。
Fukui D., Maeda K., Hill D. A., Matsumura S. and Agetsuma N. (2005) Geographical variation in the cranial and external characters of the little tube-nosed bat, Murina silvatica in Japanese archipelago. Acta Theriologica, 50(3): 309-322.
河川に依存するコウモリの集団遺伝学的研究
モモジロコウモリは河川域に強い依存性を示すコウモリの1種です。本研究では、モモジロコウモリの集団構造および移動のパターンを明らかにするために、北海道の3河川(石狩,十勝,手塩)沿い から採集した15分集団を対象にして、ミトコンドリアDNAcytb遺伝子の系統地理解析を行ないました。その結果、計9つのハプロタイプが同定され、2つの大きなクレードに分けられましたが、両ク レードの地理的分布は河川域内や河川間の分布状況を反映していませんでした。ハプロタイプ頻度に基づく主成分分析により、石狩と手塩の多くの集団が1つの遺伝的集団を形成することが判明し、石 狩と手塩の間には遺伝子流動が示唆されました。一方、十勝の集団だけが他の河川の集団から遺伝的に離れており、北海道中央部に位置する大雪山系および日高山脈が本種の移動に対する地理的障壁と なっていると考えられます。
Kobayashi F., Fukui D., Kojima E. and Masuda R. (2012) Population genetic structure of the Japanese large-footed bat (Myotis macrodactylus) along three rivers on Hokkaido Island, northern Japan. Mammal Study, 37: 227-235.