縁 起

 大通宝山富満寺萬勝院は、奈良時代の名僧行基によって開創され、当時の寺域は三キロ四方に及び、その峰々谷々に七堂伽藍三十二宇の施設が経営され「西の高野山」と言われていたと伝えられている。

 その後は、年ごとに荒廃したが、弘法大師が諸国行脚の時に霊気を感じられて再興された。しかし、室町時代の嘉吉の乱により、赤松氏の本拠地である当地は戦場と化し、堂宇すべてが焼失した。

 その後、赤松氏の復興により菩提寺として萬勝院が再興された。

 徳川時代初期に姫路城主池田輝政公領地となり、祈願寺として寄進を受けて萬勝院を本坊として六院三十三坊が再建された。

 以後姫路城主・赤穂城主の帰依により堂宇の修繕等を受けたが、明治政府の廃仏毀釈で五院が廃院されて萬勝院一院となり現在に至っている。