top > lecture > 科学技術論演習Ⅰ> 科学技術論演習Ⅰ:第2回(12月3日)

第2回は、前回みなそれぞれが作成したブラインドの取扱説明書を机の上に並べ、みんなで鑑賞しながら「特徴を分析し、自身の見立てを言い合うところからスタートです。許可とってないのでここに実際に作成してもらった取扱説明書は載せませんが、いずれも力作というか、よくできていました。インストラクションをするということがどういうことなのか、すでによくわかっているということでしょう。

で、自身を見立てをああだこうだとフリーに言い合うわけですが、その前に「見てわかる」「だいたいの人が『そりゃそうやな、当たり前だけど』」と言ってくれるようなレベルのものでいいのだ、と指示し、発言に求められるレベル感を設定します。「たとえば『作業を進める順に並んで書かれている!』とか」と例を出したところ、「その程度でいいのかよ」てな感じで若干の笑いが出たわけですが、これで問題なしです。すると意見が結構出てきます。いずれも面白いものでしたが、以下抜粋。

「イラストに矢印などが入るとわかりやすい」

ブラインドを操作している瞬間を切り取った画像や絵に矢印を入れると「動き」が見えるようになる、という話。拳のところにつけると、手を矢印の方向に回しているように見えるということ。「二次元上に活動の時間情報をどう埋め込むか」という一段階抽象度を上げた問いに仕立てて考えると、実はこの観点は結構面白いことに気づきます。記号論とか漫画のコマ研究とかでも議論されているトピックなので、以降見てみましょうか、などなど。

「動作の説明をしっかりしようとすると長くなってしまい、(読み手が)疲れる」

起きていることを何でもかんでも親切に書こうとすると大変、という話ですね。だから、というわけではないですが、むしろインストラクションにおいては「しっかりとぜんぶ書かない」ように私たちはしているのではないでしょうか。これについては、「そうしたほうがわかりやすいから」というわかりやすい/わかりにくいという評価軸で考えてしまいがちですが(これ自体はおかしなことではありません)、「手短な記述自体はどのようなデザインになっているのか」ということと、「なぜその手短な記述で『十分わかる』のか」という点で検討すると盛り上がりそうです(私が)。

「~を~する」という形式で書かれている

説明書におけるインストラクション的記述の基本形式がこれなのでは、という話です。併せて、それによって生じる変化とゴールがどこかに書かれている、ということも。そもそも、「~を~する」単体だけ取り出したら、シンプルすぎてよくわからない記述である、ということが重要な気がします。とりあえずしっかり書こうと思ったら、「ブラインドの羽を下に向けるために、ブラインドの右端に付いている棒のあなた側の先端に付いているグリップを反時計回りに回します。すると、羽を制御している紐があれこれ動いて、ブラインドの羽が下を向きます」…ぐらいの記述は簡単にできます。でも実際は、「グリップを反時計回りに回します」だけで事足りるわけです。なぜこれで十分なのか。これも検討に値しそうです。

「ひもを引っ張る」だけで記述としては十分。わざわざ「ひもを掴み、そして引っ張る」と書かなくてもよい

なぜなら、「引っ張る」という動作をするためには「掴む」という動作が先になされていなくてはならず、それゆえ「当たり前」なのでわざわざ書かなくてもよい、と。これはなるほど、と思いました。もしこれが正しいのなら、それでもなお「掴む」という記述がある場合は、何を掴むべきかという選択において迷いやミスが生じる要素が予測されるとき、ということもあるかもしれません。特定の動作のシークエンスの記述においてなにをどこまで省略しても問題ないのか、という観点は大変おもしろいです。これも真面目に検討すると楽しいと思います。

線を引くだけでいろいろ整理される

つながりをもたせたり、境界を作ったり、「流れ」の意味を付与したりと、「線」でいろんなことができます。このトピックについてはインゴルドが最近いろいろ言っています。ギブソンの議論もからめながら見ていくと勉強になりそうです。

ほかにもいろいろな意見が出ていましたが、ぜんぶを簡単にまとめると、以下4つのトピックにまとめられそうです。それぞれのトピックに関連しそうな文献も挙げてみます。

というわけで、次回以降はしばらく文献を読んで、知識を蓄えていくことにします。レジュメの作り方のレクチャーの意味も込めて、初回は私が担当します。Livingston(2008ab)を取り扱い、短いインストラクションの理解可能性についてあれこれ考えていきたいと思います。折り紙で白鳥を折ったりもします。