分子は普段、最もエネルギー的に安定な基底状態(S0状態)で存在していますが、光エネルギーや化学エネルギーなどのエネルギーを外部から獲得すると、励起状態(励起子)とよばれる高エネルギー状態へと変化し、発光・エネルギー移動・電荷移動などの様々な興味深い現象を示します。太陽光が降り注ぐ自然界では、太古から分子の励起状態を光合成の初期過程で巧みに活用し、生物にとって欠かせない酸素や有機物を産み出してきました。一方、人類による励起状態の活用は、LEDやレーザーなどのオプトエレクトロニクス、太陽電池や光触媒などの光エネルギー変換材料、光免疫療法による癌治療や細胞活動の光機能操作などで発展を続けており、様々な産業・医療分野において光エネルギーの有効利用が進められています。
当研究室では、π電子系有機分子や金属クラスター(金属超原子分子)を主な研究対象とし、それらの「光物性や励起状態過程の解明」に取り組んでいます。また、それらの物質を「低エネルギーな光子(長波長の光)をそれよりも高エネルギーな光子(短波長の光)へと変換するフォトンアップコンバージョンへと応用」し、太陽光をはじめとする光エネルギーをより有効に活用できるようにすることにも挑戦しています。そのような基礎研究を通じて、エネルギー・環境問題の解決に理学的な立場から貢献したいと考えています。
地球上に降り注ぐ太陽光は人類が持続的に享受できるクリーンエネルギーであり、その更なる有効利用が切望されています。太陽光は紫外線から赤外線に至る広範なエネルギー(波長)の光(光子)を含んでいますが、現状の太陽光駆動デバイスで利用可能な光は紫外・可視光領域に限られてます。例えば、水素発生光触媒では700 nm、有機薄膜太陽電池では800 nmを超える波長の光(近赤外・赤外光)をほとんど活用できておらず、そのような未活用な光を利用できるようにすることが課題となっています。光エネルギー変換デバイスの動作波長域を拡げる取り組みはほぼ限界に近付いていることから、低エネルギーな光子(長波長な光)をそれよりも高エネルギーな光子(短波長な光)へと変換するフォトンアップコンバージョン(UC)が、その解決の糸口となる技術として注目されています。その中でも後述する三重項−三重項消滅に基づくフォトンアップコンバージョン(TTA-UC)は、地表での標準的な太陽光照度(1 sun = 100 mWcm−2)でも機能することから、非常に有望なUCメカニズムとして注目を集めています。
三重項-三重項消滅アップコンバージョン(Triplet-Triplet Annihilation Upconversion)
三重項-三重項消滅(TTA = Triplet-Triplet Annihilation)に基づくフォトンアップコンバージョン(TTA-UC)は、分子の励起三重項状態(T1状態)を効率よく生成する物質(= 増感剤)とTTAを効率よく起こす蛍光性分子(= 発光体)を組合せ、長波長の光をそれよりも短波長な光に変換する手法です。現状では、TTA-UCは太陽光程度の光強度で機能する唯一のアップコンバージョン機構であり、例えば、TTA-UCによって太陽光に豊富に含まれる近赤外領域(> 700 nm)の光を可視光に効率よく変換できれば、太陽電池や光触媒などの光エネルギー変換材料の効率の向上につながることが期待されます。
溶液中におけるTTA-UCのメカニズムは次のように説明されます。まずS0状態にある増感剤が、入射光(hυa)を吸収して励起一重項状態(S1状態)へと遷移し、項間交差(ISC)を経て効率よくT1状態になります。このT1状態の増感剤からS0状態の発光体への三重項エネルギー移動(TET = Triplet Energy Transfer)が起こることで、発光体のT1状態を効率よく生成(=三重項増感)することができます。このT1状態の寿命はマイクロ秒(10-6 s)~ミリ秒(10-3 s)と励起状態の寿命としてはかなり長いため、それらは拡散を通じて出会い、TTAを起こして片方の発光体がエネルギーの高いS1状態に、もう片方がS0状態に戻ります。このように生成したS1状態の発光体が、入射光(hυa)よりも短波長な蛍光光子(hυf)を放出し、より高エネルギーな光子への変換(=フォトンアップコンバージョン)が達成されます。波長の長い(低エネルギーな)近赤外光を波長の短い(高エネルギーな)可視光へ変換するためには、S0状態からT1状態への遷移(スピン禁制遷移)を起こしやすい増感剤を利用してISC過程におけるエネルギーロスを抑制することが有効ですが、このような特性を有する増感剤は、一部の重金属錯体や有害元素を含む半導体ナノ粒子に限られていました。
配位子保護金属クラスター
「ブドウの房」を語源とする「クラスター」と呼ばれるナノ物質は、構成原子数が2~100個程度の超微粒子です。とりわけ、有機配位子で安定化された金属クラスター(= 配位子保護金属クラスター)は、溶液中で精密に合成することが可能な安定かつ低毒性なナノ物質であり、構成原子数、金属コアの合金化、配位子の種類などによって、物性のチューニングや表面の機能化が可能といった拡張性に優れた特徴をもっています。下図に示すように金属クラスターは、金属原子のみから成る金属コア(Mn)とそれを取り囲むように結合した配位子から構成されており、分子のように明確な幾何構造と組成を持っています。構成金属原子数が極めて少ないため、その数や種類が1個違うだけでも性質が劇的に変化します。
当研究室では、白金1原子をドープしたチオラート保護銀クラスター[PtAg24(DMBT)18]2-(DMBT = 2,4-dimethylbenzenethiolate)を近赤外光(785 nm)で励起すると、ペリレンなどの蛍光性分子のT1状態を効率よく増感できることを見出し、液体および固体状態でエネルギーシフトが +1 eVを超える近赤外光-青色光アップコンバージョンを実現しました(Angew. Chem., Int. Ed. 2021, 60, 2822.)。
以上のように当研究室では、無数の種類が存在する配位子保護金属クラスターが、TTA-UCの三重項増感剤として機能することを世界で初めて見出しました。配位子保護金属クラスターの三重項状態とそれを利用したTTA-UCに関する一連の研究成果は、以下に記すように国内外で高く評価されています。
【最近の研究成果】
・プレスリリース:「金属クラスターを用いた近赤外-可視光変換に世界で初めて成功」 詳しくはこちら
"Single Platinum Atom Doping to Silver Clusters Enables Near-infrared-to-Blue Photon Upconversion" ドイツ化学会の Angew. Chem., Int. Ed. の "Hot paper" と "Frontispiece" に選出
・Wileyの化学ニュースサイト ChemistryViewsで論文が紹介: "Single Atoms Make A Difference"
・英国王立化学会の J. Mater. Chem. C 誌の特集号 "Materials for thermally-activated delayed fluorescence and/or triplet fusion upconversion"への招待論文:
"Unravelling the Origin of Dual Photoluminescence in Au2Cu6 Clusters by Triplet Sensitization and Photon Upconversion" が "Outside Front Cover" に選出
上記の論文が Advances In Engineering社の Featured papers に選定され、同社のホームページに掲載 詳しくはこちら
・Au25超原子分子の三重項性と近赤外フォトンアップコンバージョンに関する論文:
"Evidence for triplet-state-dominated luminescence in bi-icosahedral superatomic molecular Au25 clusters" が、英国王立化学会の Nanoscale の"2022 Nanoscale HOT Article Collection" , "Outside Front Cover", "Editor's Choice Collection on Photon Upconversion"に選出
・Au13超原子の三重項状態の特性と生成機構を解明した論文:
"Dissecting the Triplet-State Properties and Intersystem Crossing Mechanism of the Ligand-Protected Au13 Superatom"が、アメリカ化学会の J. Phys. Chem. Lett. の Supplementary Journal Cover に選出
・プレスリリース:「光エネルギーを保持する有機配位子で修飾した金属クラスターを開発し、太陽光照度で効率20%を超える赤色光-青色光アップコンバージョンを実 現」 詳しくはこちら
Triplet-Mediator Ligand-Protected Metal Nanocluster Sensitizers for Photon Upconversion" がアメリカ化学会の J. Am. Chem. Soc. の Supplementary Journal Cover に選出
【最近のスタッフ・学生の受賞】
・2024年 分子科学国際学術賞 三井 正明 詳しくはこちら
・2024年 第18回分子科学討論会 分子科学会優秀ポスター賞 有馬 大地 詳しくはこちら
・2024年 ナノ学会第22回大会 若手優秀ポスター発表賞 有馬 大地 詳しくはこちら
・2023年 化学科 卒業研究業績報告会優秀講演者賞 三好 悠月 詳しくはこちら
・2023年 第17回分子科学討論会 分子科学会優秀講演賞 有馬 大地 詳しくはこちら
・2023年 光化学討論会 優秀学生発表賞(ポスター) 有馬 大地 詳しくはこちら
・2023年 ナノ学会第21回大会 若手優秀ポスター発表賞 内田 惇木 詳しくはこちら
・2023年 ナノ学会第21回大会 若手優秀ポスター発表賞 有馬 大地 詳しくはこちら
・2022年 化学科 卒業研究業績報告会優秀講演者賞 吉田 航多 詳しくはこちら
・2022年 光化学討論会 優秀学生発表賞(ポスター) 有馬 大地 詳しくはこちら
・2022年 ナノ学会第20回大会 若手優秀ポスター発表賞 有馬 大地 詳しくはこちら
・2022年 日本化学会 第72回 進歩賞 新堀 佳紀 博士(2017~2021 助教)詳しくはこちら
・2021年 第15回分子科学討論会 分子科学会優秀ポスター賞 和田 悠幹 詳しくはこちら
上記の研究を行うためには、ナノ物質の合成(make)・計測(measure)・理論計算/シミュレーション(model)の全てを行うことが必要です。化学というと「物質を作ること(合成)」が真っ先に頭に浮かぶと思いますが、当研究室では「物質の光物性を調べるための計測装置の開発」も積極的に行っています。このような研究活動を通じて多彩なスキルや高度な思考力を身に着け、社会で活躍しているOB・OGが沢山います。人類の未来へとつながる(かもしれない)基礎研究にぜひ我々と共に挑戦しましょう!