戦後の日本が果たした「栄養学の奇跡」をアフリカで起こしたい
~「すり身」から始めたアフリカを栄養改善する挑戦は、女子栄養大学構想へつづく~
~「すり身」から始めたアフリカを栄養改善する挑戦は、女子栄養大学構想へつづく~
NPO海のくに・日本理事長 白石ユリ子
「すり身」で貧しい漁村女性の自立支援を目指す
私がアフリカの漁村女性に「魚のすり身加工技術」をご紹介してから13年が過ぎました。モロッコのワークショップ会場で私が「すり身は日本の浜のかあさんが2000年前に生み出した知恵です。魚を余すところなく利用して、おいしい加工品にする技術です」と話すと、22か国の漁村女性たちは飛びっきりの笑顔と大歓声で迎えてくれました。「すり身プロジェクト」の始まりです。
きっかけは、西アフリカ22か国で組織しているCOMHAFAT(モロッコからナミビアまでの漁業大臣会合)から、下部組織である女性ネットワークRAFEPの女性たちに「漁村女性のネットワーク強化」「漁村女性の能力アップ」の講義を、と頼まれたことでした。世界は女性たちの地位向上を目指す方向に進んでいますが、お題目だけでは人は動きません。女性たちが納得できる確かな目標が必要です。私は具体的で、漁村女性たちがやってみたいと思うことをテーマにしなければと熟慮し、日本からすり鉢とすりこぎを持ってモロッコへ向かいました。そして目のまえで「魚のすり身」を実演したところ、女性たちの心に火がついたのです。以来、モロッコに年に1ー2回通いつづけ、22か国から集まる漁村女性にすり身加工技術、加工品づくり、煮沸消毒などを教え、自国でも広げるように励ましてきました。
2016年、農水省の調査事業でコートジボワールへ出かけたことをきっかけに、コートジボワールでも活動が始まりました。コートジボワールではより踏み込んで「すり身による自立支援」を模索しています。貧しい漁村女性たちを対象に、すり身加工技術、マーケティングやPR、原価計算ができる会計の基礎を身に着けてもらい、自らすり身をつくって営業し、すり身で自立する道をともにつくっていこうというプロジェクトです。2020年から2022年は米国の国際食糧政策研究所とともに、2023年からは外務省のご支援の下、コートジボワール漁業省(MIRAH)のご協力を得てつづけています。2022年春には、アビジャンに立派な「すり身センター」が建ち、すり身プロジェクトの拠点となっています。
識字教育も同時に行う
私たちのすり身研修は1週間かけて行います。すり身加工品をしっかりとつくり、商品にして販売するまでにはまず「衛生管理」と「魚をすり身にする技術」が基本。そして「加工品づくり」のバリエーション、「原価計算」「マーケティング」「PR」「チームワーク」などの知識と技術も身に着けてもらわなければなりません。さらに初日には「魚の栄養学」、最終日には「世界の海洋資源の現状」の知識も指導しています。当初は日本から栄養とマーケティングの専門家に参加してもらいましたが、いまではアビジャンに講師が育っています。
とはいえ対象としている漁村女性は、コートジボワールのなかでも一番、貧しい人たちです。識字率は国の平均が5割なのに対して、漁村女性は1割以下。テキストは文字よりもイラストを多くして作りましたが、それでも理解が十分でないところは、実地で埋めていく必要があります。私たちが「すり身リーダー」と呼んでいる第1期生の先輩たちがサポートすることで研修生が理解を深めるよう努めています。また研修期間の早朝の1時間、識字教育の時間を設け、希望者には「自分の名前と数字が書けるようになろう」と励ましています。
町の屋台販売は大成功、しかし国の発展とともに屋台が壊されていく
アフリカでは街中に数多くの屋台があり、コートジボワールでも屋台販売が庶民の経済を担っています。私たちが最初に目をつけたのは屋台でのすり身販売でした。サンドイッチ屋さんの具材にすり身ハンバーグを使ってもらう、すり身団子をおかずに入れてもらう、という作戦です。屋台は働く大人たちの朝食の場であるとともに、こどもたちが通う小中学校の前や校内にもありますから、こどもから大人までが朝ごはん、昼ごはんのおかずとして「すり身」を口にするようになってきました。
ところが、国の発展とともに屋台がつぶされるという事態が起こりました。路上販売の屋台が次々に壊され道路が広げられる、屋台を撤去した更地に小ぎれいな建物が建てられる。2024年1月にサッカー、アフリカンカップを主催したことが大きなきっかけでした。「道路を広げて渋滞を緩和しアフリカンカップを成功させよう」「町をきれいにして観光客の誘致し観光立国を目指そう」というスローガンがあちこちに掲げられ、首相を経済専門家から都市計画専門家に替えての大改革です。そして、コートジボワールは大方の予想を覆してアフリカンカップで優勝を果たしたことから、屋台はますます壊されています。
すり身加工品を学校、病院、レストラン、ショッピングセンターへ売り込む
この夏は、屋台を壊された女性たちが別の場所で販売できないか、生きのびる道はないか、試行錯誤の連続でした。「ママ白石が首相に直訴したら聞いてくれるかもしれない」と具体的な相談をもって来る人もいます。すり身チーム一丸となって行政、政治家、いろいろ働きかけてみたものの効果はすぐには出てきません。どうしたらいい?と皆で何回も話し合い、これまで地道に営業してきた道に全員が全力で取り組もう、という結論になりました。小中学校の給食メニューに入れてもらう、ちょっと良い店舗に「すり身商品」を置いてもらう、素敵なレストランのメニューに入れてもらうという作戦です。これまでは小規模でしか実現できていなかったことですが、いまは突破し、道を広げなければなりません。「すり身は栄養価にすぐれた健康食品」「とにかく美味しい、食べてみて」と営業に出かける。すり身センターに足を運んでもらい衛生環境を見てもらう。学校関係者に働きかけて、給食メニューにいれてもらう。成功事例ができれば、それを広げて経験を蓄積する。仲間に伝えて規模を増やす・・・いままさにメンバー全員で取り組んでいる活動です。
栄養の知識が、日本人を健康長寿にした
「すり身ワークショップ」の初日は栄養学から始まります。それは「栄養学=食べ物の摂り方」を知らないと、国が発展しても国民は健康になれないからです。アメリカ人の肥満がアメリカの国家的課題なのは皆さんご存知の通りです。栄養の知識を持つ人がいても、国民が栄養バランスのとれた食事を毎日の食卓で実践しなければ、健康にはなれません。
「日本の健康長寿の理由は魚食文化にある」という私の信念は変わりませんが、日本中で健康長寿が実現したのは第二次世界大戦後のことです。その理由は戦後、多くの日本人が栄養の知識を身に着けたこと、栄養学の専門職である栄養士が日本中の学校や病院に配置されたことによります。また地域ごとに食生活改善普及員が置かれ、主婦たちが学ぶ機会を創出したことから、日本中の家庭で栄養バランスのとれた食事が広がり、日本人の健康長寿が実現しました。これは「日本栄養学の奇跡」といわれている、世界でも稀な、素晴らしい事例です。米国でも栄養学の研究は進み、卒業生は多数、輩出されていますが、残念ながら国民の食卓につながっていません。その結果が肥満大国という現実です。国民ひとりひとりが健康でなければ、幸せな国にはなれません。
100年前、日本で生まれた栄養学。実践してこそ意味がある。
栄養学は、ちょうど100年前に日本で生まれた学問です。かつては生理学や病理学、衛生学などの一部として論じられていましたが、医学者である佐伯矩(さいき・ただす)が医学から栄養学を独立させ、1914年に世界初の「栄養研究所」を創設したことから独立した学問となりました。
佐伯は、栄養学は実践されてこそ意味がある学問だと考え、1924年に栄養指導の専門家を育てる世界初の学校として「栄養学校」を設立し、卒業生を「栄養士」と名付けました。日本にはすばらしい先達がいたものと、あらためて思います。
どこの国にもお祭りやお祝いというハレの日のご馳走があります。それは美食にもつながる民族の大切な文化ですが、人は食事を一日も欠かすことができません。佐伯は「日常の食事こそ大事」と宣言し、「食べ物それぞれの栄養を知ることと、食べる組み合わせを学ぶことが栄養学だ」と提唱しました。そして、栄養士たちの活躍により日本中に栄養バランスを考えた献立が広がりました。
私はコートジボワールで、日本がなしとげた「栄養学の奇跡」を実現したいという大志を抱いています。「すり身プロジェクト」の目標は、貧しい漁村女性たちがすり身で自立することが第一ですが、研修の初日に必ず「栄養」の講義をするのは、研修生たちが食べ物の栄養を理解し、日々の食卓で実践してもらいたいと願うからです。そして、「あなた自身が健康でなければ、すり身の良さは伝えられませんよ」と発破をかけています。
アフリカに女子のための栄養大学をつくりたい
私はすり身研修を受けた漁村女性が、コートジボワールの栄養改善のリーダーになることを目指してきました。そしていま、私はコートジボワールに女子栄養大学をつくることを構想しています。佐伯博士にならって最初は「栄養学校」からスタートし、栄養士を育てたい。栄養士が国の各所で活動することで、コートジボワール全体の栄養状態を良くしたい、健康にしたいと構想はふくらみます。そして、第二段階である女子栄養大学が設立できた暁には、アフリカ中からコートジボワールへ留学できるようにし、アフリカ中を健康にしたいと願っています。
日本が戦後の荒廃から立ち上がり、経済大国になった秘密は国民ひとりひとりの健康にありました。終戦時、私は小学6年生でしたが、その後の日本人の猛烈な働きを支えたのは家庭においても学校においても職場においても栄養価にすぐれた食事だったと実感しています。栄養士と家庭の主婦たちが日本人の食と健康を支えてきました。「私たちの体は、私たちが食べたものでできている。だから、毎日の食事にはバランスのとれた食品を摂取することが大事」ということを、広く深くアフリカの皆さんに伝えたい。そして、アフリカの家庭でバランスのよい食事が実現したとき、私が構想した「すり身プロジェクト」は完遂します。その日がいつになるか、わかりませんが、命が続く限り努力をつづけることを自分自身に誓い、心と体を奮い立たせています。
アフリカはいま、猛烈な勢いで経済発展へと向かっています。日本や先進国には経済支援やパートナーシップが求められていますが、そのとき、日本独自のソフトパワーとして「栄養学」で応援できたら、こんなに意義深いことはありません。私は今年(2024年)9月3日、駐コートジボワール大使公邸にて、一方井克哉大使閣下より「在外公館長表彰」をいただきました。授与式に際し、ありがたいお言葉の数々に感激いたしましたが、そのなかで「すり身の普及を通じて、コートジボワールの女性の自立に貢献する活動は日本の誇りとするところ」というくだりでは涙がこぼれました。
私は、日本の魚食文化、そして日本発祥の栄養学を心から敬愛し、誇りに思っています。このたびの表彰をいただき、この日本が誇る食文化と栄養学でアフリカに貢献したいという私の大志は確信となりました。私は女子のための栄養大学構想の実現に向けてさらに走ってまいる所存です。どうか皆さま方のご支援、ご指導を心よりお願い申し上げます。