状況や中身に合わせ、これからもオンラインで朝礼や集会をするときも出てきます。でも、対面型の朝礼を復活させたのは、相手に気持ちを伝えるには、オンラインよりも対面のほうが優れていると分かってきたからです。
単に情報を伝えるだけなら、対面であってもオンラインであっても、それほど違いはありません。でも、本当の意味で繋がり合うには、オンラインではどうしても限界があります。学校は相手と心から繋がる場でなければなりません。オンラインでいくら言葉(話し言葉と書き言葉)でやりとりしても、それは画面上での繋がりの域を超えないと考えたのです。
前置きはここまで。「親子俳句」で狙ったのは、一つは本校の教育目標「自ら学ぶ意欲と豊かな心をもち、未来を切り拓くたくましい子どもの育成」の中にある「豊かな心」を育む手立ての一つとしたこと。二つ目は、家庭教育の一環としての親子の触れ合いを求めたということ。最後は、「俳句」という古典に親しむ機会としたこと。この三つです。
全員集合したところで、児童会運営委員が司会を担当。朝礼を始めました。
わたしが「俳句って聞いたことある?」と尋ねると、2年以上の子どもたちの手はほとんど挙がりました。さすがです。
次に、本校の子どもたちが詠んだ作品を紹介。下は、今の都祁中の1年生が5年生のときに詠んだ句です。
1 あじさいの なかにかくれた かたつむり
2 つゆのじき 一人ぼっちで かさをさす
続けて、今の3年生が2年生のときに詠んだ句も映しました。
3 赤とんぼ とびたつときが やっときた
4 くつわむし ふうせんかずら あかとんぼ
それぞれの作品の句意を解説しながら、どの言葉で季節が分かるかと問いました。
まずは2の句から。これは「つゆ」ですね。続いて3の句。これは「赤とんぼ」です。それから1の句に目を向けます。「あじさい」と「かたつむり」で季節が分かります。最後は4の句。これは「くつわむし」「ふうせんかずら」「あかとんぼ」…すべて秋の季節に関わる言葉です。
このように季節を表す言葉を「季語」と言うということ、季語は一つが基本だけれど二つ三つ入っていても間違いにはならないということを教えました。
続いて、季節が感じられる写真(春…蕗の薹、夏…山百合、秋…神社の境内に落ちた銀杏の葉、冬…大人の背丈ほどもあるつらら)を見せました。
蕗の薹と山百合、つららは自宅近く、銀杏の葉は都祁吐山町にある下部(おりべ)神社で撮ったものです(※すべてHP内「都祁の四季」サイトに載せています)。
これらの写真を見せながら、俳句は過ぎ去った季節を振り返るよりも早く感じ取った次の季節の訪れを詠むほうがよい、外に出て自分の心で感じ取ったことを大事にしてほしいということを伝えています。
最後に、翌25日に「親子俳句」の募集用紙と取組の趣旨説明を兼ねた用紙(実物はこちら【PDF】をクリック)を配り、翌々日の26日から6月9日までを作品募集期間にすると伝え、この日の朝礼を終えました。
※下は廊下に設けた投句コーナーと投句箱。子どもたちは作品(短冊)を持ってきたらこの箱に入れ、名簿にシールを貼るようになっています。
なお、「親子俳句」は春夏秋冬の4回、行う予定です。