全国の豪邸と違い、個々の屋敷が豪華さを競い合うのではなく、
旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招き、
吹屋の街並み全体が統一されたコンセプトのもとに建てられた。
これは当時としては驚くべき先進的な思想だった。
ベンガラ色にこだわるために赤銅色である石州瓦
(島根県石見地区で作られる粘土瓦)を屋根に敷き詰め、
壁には防虫・防腐効果もあるベンガラの漆喰壁を採用した。
島根県から呼び寄せた宮大工、瓦職人の確かな職人の技により
赤い街並みが形成された。
昭和初期まで銅山とベンガラで栄え、日本三大銅山として活況を見せた名山 吹屋であったが、第二次世界大戦後、安価な化学工業製のベンガラが出回るようになり、1972年には銅山も閉山。次々にベンガラ商は廃業し、街の衰退とともに、建物も老朽化が進んだ。
しかしその後、街並みを保存して観光地にすることが街の再生につながると、有志が動きだし、現在も保存会が中心になって補修を重ね、当時の姿を守っている。