※株式会社バイストンは2021年4月1日にに倉敷帆布株式会社に社名変更します。
バイストンは倉敷帆布などを数々のブランドを取り扱ている店舗です。バイストンの社名は会社の創業者である武鑓石五郎 と妻の梅という名前をとって名付けられました。(梅=バイ、石=ストーン)
※左のコーポレートシンボルも梅と石をモチーフにしています。
児島地区の郷内にて、現在の倉敷帆布の発展に大きく寄与した 厚物織り工場「武鑓織布工場」が武鑓石五郎と梅により創業されました。
「武鑓織布株式会社」の創立者 武鑓石五郎と梅の三男進衛により、 織布の「丸進工業株式会社」が創業されました。
丸進工業、タケヤリ、タケヤリ帆布協同組合の三社が倉敷帆布の販売会社「株式会社バイストン」を設立しました。
美観地区店にオープンしました。
帆布発祥は古代エジプトにまで遡ります。亜麻帆布が起源とされており、耐久性に優れ、ミイラの巻き布にも使われていました。また日本では織田信長の帆船に用いられたのが最初だと言われています。江戸時代末期に伝わるようになり、帆木綿を船頭であった工楽松右衛門が速い船をつくるために帆の発明に没頭し、綿帆布へと発展させました。後に江戸と大阪の航路を発展させる発明品となり、たちまち全国へ広まりました。明治には足袋や畳縁、大正には学生服へと転換、昭和には軍服を生産し、そして現代に至ります。
倉敷帆布とは1888年より伝統を紡ぎ、革新を織り続けてきた『倉敷帆布』。その品質に大切な役割を果たすのが、130年以上受け継がれてきた高度な糸撚り技術です。綿100%の原糸数本を撚り合わせて生み出す、しなやかさと強さを併せ持つ糸は、職人の経験と感覚を頼りに 現代では希少なシャトル織機によって織り上げられ、セルヴィッチと呼ばれる美しく整った両端を持つ倉敷帆布へと生まれ変わります。
倉敷帆布は130年もの伝統があり、岡山県での生産が7割です。昭和40年代に廃番となったシャトル織機を用いて織り上げているため、生地の端まで均一に美しく織り上げることができます。耐久性があり、丈夫なつくりになっています。撥水性があり、熱にも強いといった特徴もあります。また、1号から11号の生地の種類があり、数字が大きいほど生地の厚さが薄くなっていきます。
1.合糸:2~8本の原糸を一本の糸に合わせていく
2.撚糸:合糸された糸に撚りをかける作業
3.整経:1200~2000本のタテ糸を200本~300本ずつに計6~10回に分けてドラムに巻き取る。さらにビームと呼ばれる巨大ロールに巻き戻す。
4.経通し:ビームに巻いたタテ糸を織機のパーツに通していく(全て手作業)
5.製織:シャトル織機にビームを載せ、ヨコ糸をセットして平織りする
6.流し検反:織りあがった帆布を50mごとにカットし、検反機にかけて傷や汚れにチェックを入れて振るい落とす
7.畳み:振るい落とされた帆布を1mごとに重ねて畳む。(トウフタタミとも)
8.仕上げ:傷の個所を職人が再チェックし、ヨコ糸の連れ込みを抜いたり、穴を補足して縫ったりする。最後に刷毛で糸くずなどを払い落して完成。
児島地区は江戸時代、大規模な干拓事業が各地で行われました。その影響で綿の生産が盛んになり、児島地区が繊維産業の発祥の地となりました。
バイストン本店のある郷内地区もまたその影響を受けて繊維産業が盛んになりました。特に江戸時代後半の干拓地から綿の生産が増えるにつれ、
益々盛んになりました。帆布の他にも真田紐や染めの原料の藍なども生産されていました。
このサイトは卒業制作で制作したものです。