議会定数について

大阪府議会は、1878年に”大阪府会”として始まりました。当時は今の府域より狭い上に人口も少なく、11選挙区から34名の議員が選出されました。その後、府域の拡大や人口増などで2010年には、112議席にまで増大しました。


 しかしながら、長期低迷する経済情勢や大阪府の財政運営の酷さにより、大阪府は破産寸前にまでおいつめられます。その結果、大幅な歳出削減に取り組むこととなりますが、多くの関係者に痛みを強いることになります。そのような政策を求める側の覚悟をあわらす身を切る改革を行うべきと主張したのが、2010年に発足した大阪維新の会です。

 大阪維新の会は、2011年4月に行われた統一地方選挙において府議会定数2割削減を公約に掲げ、過半数の議席を獲得。同年5月の議会にて2割削減を実現する条例改正案を提出し、これまでにないスピード感で可決しました。もっと議論すべきだ、拙速だ、などの理由で議論は進みません。定数削減すれば次の選挙で議席を失う可能性が高まるので、個人としての収入保障?の観点から反対したい人たちもいたかもしれません。

 議場へ向かう通路にバリケードが築かれ抵抗が強まる中、過半数の議席を有していた大阪維新の会の単独賛成で可決。私にとっては最初の議会でしたが、いきなり深夜の午前2時45分の採決となり、議会というものの凄み?を実感しました。


  選挙区をそのままで定数を109から88へと削減すると、一票の格差が無視できないほど大きくなります。そのため具体的な選挙区と当該選挙区の定数をどのように決めるかは議論を継続することとし、2014年に至り確定しました。新選挙区が定数1で維新所属の議員が2名いる、そんな選挙区が続出することになりました。党利党略だけで維新が定数削減したわけではない一つの証拠ではないでしょうか。


 とはいえ、次の選挙は2015年春にやってきます。定数1で維新所属現職2の状況でどのように選挙に臨むのか?

   二人とも出馬して有権者に判断していただくという意見が正論でしょう。正論ではありますが、強行すぎるという意見にも説得力があります。当時は、堺市長選挙での維新敗北、泉北高速鉄道の売却をめぐって大阪維新の会大阪府議会議員団総会で決定した内容と異なる投票をした所属府議3名を除名にしたことで、維新は過半数を失っている局面。党勢に陰りが見えていると主張する向きもあった時代です。維新が割れるなら党の候補者に有利。維新所属の府議としては勇気が要求される選択肢であり、なかなか採用しずらい。結論が出ないまま、最後はじゃんけんで決めるか?というところまで追い詰められていました。


 結局のところ、公認を巡ってのじゃんけんには至らず、市会へ転身する、様々な理由で離党する、といったことで定数1をどうするのか問題は自然?に解決を見ました。定数削減が維新にとっても、少なくとも当事者として投票をおこなった当時の維新所属大阪府議会議員にとって、身を切ることの意味を重く感じざるをえなかった。まさに身を切る改革でした。2023年の大阪市会において断行した定数削減においても苦悩が待ち構えることになると思います。


 その後、2019年に行われた統一地方選挙において、議員1人あたりの人口が全国の都道府県議会で最大となる。すなわち、もっともスリムな都道府県議会を目指して、さらなる定数削減を行うことを公約に掲げ、過半数の議席を再び獲得。2022年に定数88から79へと削減する条例を可決し、維新主導の定数削減はおおよそ3割カットの水準になりました。


 人口増大がとまり、人口減少が現実になる中で定数削減するのは、ある意味当たり前のようにも感じますが、残念ながらそうではありません。


 自由民主党と民主党の両党首が合意した衆議院定数削減は、いまだに実現していません。両党あわせれば過半数どころか、議席のほとんどを占める上に、合意した自由民主党党首は歴代最長の首相任期を務めるほどのリーダーシップがあったにもかかわらず、です。参議院にいたっては、議席削減どころか定数が6議席増大しています。その中で約3割もの議席をカットした大阪府議会の実績は大きいと私は思います。


国会議員は、特に当時から国会議員である者は、せめて国民に約束したことは、実施してほしい。やり方は簡単です。まず定数を削減する、選挙区はその後で決める。このやり方なら、今日にでも定数削減は実現できます。