尾去沢鉱山は、奈良時代の和銅元年(708)年に発見されました。鹿角地域を支配していた、時の権力者の隠し財産であったことも影響し、確かな文献は残されていませんが、当地には大日霊貴神社、錦木塚伝説等、1300年前の伝説が数多く残されています。鉱山では銅が主に採掘されましたが、その他金、銀、鉛、亜鉛が採掘されていました。また、坑道は南北3km、東西2kmの山中に明治以降だけで700km、江戸以降を含めると800kmがシュリンケージ採掘法により鉱脈に沿って縦横に掘られました。
1889年(明治22年)に岩崎家に経営が移り三菱財閥が開発を行うようになってから閉山までの産出量は、銅30万t、金4.4t、銀155tと推定されています。
尾去沢鉱山は、1978年(昭和53年)に閉山しましたが、跡地には選鉱場や大煙突等が残されています。これらの近代鉱山施設は土木学会選奨土木遺産や近代化産業遺産に認定されています。
2007年には日本の地質百選に選定されました。
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