明治29年の大水害の話を聞いたおばあさんの話
明治29年の大水害の話(海津町)
明治29年の水害は、それはひどいもんで、2回もあったそうじゃ。とくに、9月の2回目は水が深くて2階のまどまでもあったのじゃ。そんなもんで、水屋のない家は命からがら堤防へにげたんじゃ。水屋のある家でも、3mもある石垣の上まで水がきて、たき木などがぬれてしまって、ごはんもたけなかったそうじゃ。そうかと言って、親せきの人も大垣から桑名まで一面に水につかった大洪水なので、見まいにもこれなかったんじゃ。それで、水屋にじゅんびしてあった生米をかじったり、みそをなめたりして2日間はすごしたそうじゃ。もちろん、水がめにくんである水をだいじに少しずつのんで、のどのかわきをふせいでいたのじゃ。
そして、3日目になって、やっと親せきのさし入れでうえをしのいだそうじゃ。それに、どろ水からのがれてきたへびやねずみなどがいっぱい水屋のまわりに集まってきて、こまったものじゃ。また、水屋のまわりに植えてある大きい木にふねをつないでおいて、それに乗って近所やていぼうへ出かけたんじゃ。大きい水屋のに2階を本部にして、村中連らくをとりあったり、食べ物を分けあったりして、水の引くのを待ち、一か月もの間、水屋でくらしたそうじゃ。