ここでは店主の語りを音声で聞くことができます。
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(昔の商店街の様子ってどんなだったんですか。)
(木村屋の奥さん)昭和40年ぐらいね。んー、でーうちの下の子が幼稚園の頃、だってここえさ、線路はわせて汽車みたいのだったり、あの文化センターの反対側のあそこで、盆踊り大会やったり、結構いろんなことやったの。
(そうらしいですね。なんか商店街の街灯のところにスピーカーがついてて)
(木村屋の奥さん)そうそう。夕方になると音楽流したり、そしたら住人からうるさいって苦情が来て、結局ダメになっちゃた。
(なんかウグイス嬢みたいな人がいて各お店の特売品を放送してたみたいな)
(木村屋の奥さん)そうそう。それをやりながら音楽を流してた。結局ダメになっちゃた。
で、あのツツジ祭りの時は商店街で焼きそば焼いたりしてた。ボランティアでね。それをよくやっててくれたのが、やおたけさんのお母さん。今いないけどね。で、それに手伝いに出てた。今はやってない、今は息子さんが一人でやってるけど、それはおっきい所に卸す、お店ではやってない。
(中略)
(木村屋の旦那さん)結構だって、今の4、5倍あったでしょ。で結構また、ちょうどいいぐらいの年齢の人がいて。動ける人がいてなかなかでしたよ。
(どんなお店があったんですか)
(木村屋の旦那さん)生鮮三品全部あった。だってあのー弁天ストアーっての、マーケット見たいのがあって。そこに肉や魚や八百屋全部入ってたの、あの真ん中あたり。だからそこの、ここ登ってたところにSさんているんだけど、今おばあちゃんが一人で、今旦那さんは亡くなっちゃたけど、その人が八百屋さん。
(中略)
(木村屋の旦那さん)
ちょうど、ここずーと行って、右側にたんぽぽさんっていうクリーニング屋があるでしょ。あと新日本建設。その前ビルじゃない。あそこずーと空き地だったのよ。数年。そこで盆踊りやったんだから。舞台作って。したらたまたま、あの来たの建てに。どこの車だって親父見に行ったら、親父も免許云々じゃね、あん時携帯も何にもないからすっ飛んでて、誰か小川ちゃんかな、「おーい、息子、順一さ、車動かしてくれよ」俺、いいっすよって行ったら、とんでないトラックなのよ、こんなの俺乗ったことねよ。「大丈夫だよちょっと行きゃいいだから、あそこまで」そしたら「早くー」って、どうやってやんだよ。えれー、あぶな。汗流してやった記憶ありますよ。多分新日本関係の人だと思うのよ舞台作ったの。石ころゴロゴロあったんで、みんなで舞台の周りだけは石どうかそうって言って危ないから。石ころ拾ってなんかやってた記憶あるな。そういうのやったのよ。
今、百分の1だね。なんだよオイラがやってるの。並んだって10人ぐらいだもんな。逆に考えると、そんなに子どもでも大人もそんなレジャー無かったんだよね。他にね。スマホがあるわじゃなし、んー、そー、テレビだってそんなあれもないし。どっか出かけるったて、何にもない、何にもないってことないけど。で、たまたま近所でこういう、氷やったり、金魚掬いやったりすると、やっぱわーと来るんだろね。だからもーしょうがないよね。今回郵送するしかないもんね。ガラポンできるわけじゃなしさ。なんかこー無いかなと思うんだけども、まあどの程度出来るかね。あとは人手だよね。
(木村屋の奥さん)ただ、この頃はみんな夫婦でやってたの。だからお父さんが出てても店番がいる。んー、今ほとんどひとりじゃないですか。
(木村屋の旦那さん)きついよね。店空けれない。
(木村屋の奥さん)ね。難しいよね。
(創業ってどんな感じだったんですか)
(マルワ観賞魚の店主)えーとね、これ先代がやってたんでね。昭和50年くらいかなー。多分。当時セトモノ屋さんだったんで。で、ここ柱があるじゃないですか。こっちが靴屋さんだった。でこっちがセトモノ屋さん。でその靴屋さんってのは斜向かいの、今ガレージになってるでしょ。あそこもと靴屋さんあったでしょ。そこの方が借りて。だから金魚のきの字も無かったですけど。
(マルワ観賞魚の店主)でまあ、先代の親父が釣りとか好きで。で、釣った魚を飾ってたらしいですよ。川魚。その時よく昔、金魚を売りにくる行商の方っていたんですよ。はい、金魚売りって江戸時代からあるじゃないですか。ああいう方が通った時に金魚たまたま買って、でそれも並べてたらしいですよ。そしたら、あのー、まあ水槽2、3個置いておいて。そしたら裏に、角に問屋さんが出来たんですよ。新しく。金魚専門の。
(はいはい)
(マルワ観賞魚の店主)そう、で問屋さんができて、でー、それから金魚を売るようになった。要はそん時から多分セトモノ下火になったんでしょうね。要は百円ショップとかで、これ聞いた話ですけど、なんか中国産の安いのが売れて、国産のってなかなか売れなくなってきたらしいんですよね。で、今現在セトモノ屋さん専門店てほとんどないじゃないですか。それで要は事業内容を変えるので金魚に切り替えた。で、その当時まだ小さい問屋さんだった時は金魚だけだったんですけど、それが谷原に移転して、いろんな熱帯魚とかも取り扱うようになったんで、それに乗じてどんどんこう増えってていう感じですかね。
(中略)
(マルワ観賞魚の店主)熱帯魚ブームっていうのあったらしいんですよ。僕はちょっとわからないんですけど。その時、金魚よりも熱帯魚の数が多かったですね。私が最初にここに来たのが1993年なんですけど、その時はほぼ熱帯魚が多くて、半分セトモノ、半分熱帯魚、金魚ちょろっとみたいな感じでしたね。