地域、人、自然の共生を目指す

「里山の学校」

 学校の概要

(1)校名決定の経緯

 一般公募を行い,応募された案の中から統合準備委員会総務部会において候補の選考を行い,市,教育委員会において決定した。

2)校名に込められた願い

 市花である桜は,学区内に多く群生しており復興のシンボルとしてふさわしいこと,毎年春に咲くきれいな桜の花に,安心して暮らせる平和な地域のイメージを重ね,子ども達の成長を願う思いを込め「桜華」を採用した。

 また,子どもたちには,鳴瀬地区の歴史を未来につないでほしいという願いを込め「鳴瀬」という言葉を付けた。

(3)提案者 櫻井 京子様

開校記念日 9月6日

創立記念日 4月1日

校木

黒松(画像は旧校舎校門脇の黒松)

●学区の概要

(1)東松島市の市及び地勢の概要

 宮城県の中央東部,石巻市の西隣に位置し,北は美里町,西は松島町・塩竃市と接し,南は太平洋に面している。市の東部に定川,西部に鳴瀬川・吉田川が流れている。

 市の西部は,北西から南東にかけて走る松島丘陵と,箟岳旭山環状丘陵のうちの大高森(105.8m)を最高とした60m以上の丘陵との間を北から南東に流れ太平洋に注ぐ鳴瀬川,吉田川の両岸小野地区において谷状に発達した平野が開け,下流の浜市と野蒜地区においてやや幅広い海岸平野を形成している。

 鳴瀬川の本市流域における河床は漸次堆積作用によって高まり,天井川の様相を呈し,今日までに幾度か洪水の原因を成したが,河川改修により堤防が高くされた。また,南部宮戸地区の海岸線は屈曲に富んで著しく風光明媚であり,奥松島と総称される。特に,大高森や嵯峨渓の景観が有名である。浜市地区には明治時代の野蒜築港跡がある。

 仙台と石巻を結ぶ45号線や三陸自動車道,JR仙石線が通っており,仙台圏と石巻圏のベッドタウンとしても発展してきた。

(2)東松島市沿革の概要

 藩政時代は,伊東・三沢・富田氏(小野本郷),剣持氏(野蒜),和田氏(宮戸)などの藩士の所領となっていたが,明治四年廃藩置県により,仙台県の管轄に属し,翌5年より宮城県の管轄に属することになった。

 明治22年4月1日,市町村制の施行により,藩政時代の村は,赤井村,大塩村,鷹来村,小野村,野蒜村,宮戸村の6か村となり,昭和15年には,鷹来村は,矢本町となる。さらに昭和30年5月3日,矢本町,赤井村,大塩村の3カ村が合併して,矢本町となり,小野村,野蒜村,宮戸村も合併して町政を施行し,町名を鳴瀬町と称した。

 そして,平成17年4月,矢本町と鳴瀬町の合併により,東松島市が誕生することになった。

 平成23年3月11日午後2時46分に発生した巨大地震と津波(東日本大震災)により甚大な被害を受けた。住民の多くが仮設住宅での生活を余儀なくされたが,復興住宅が完成し仮設住宅は解消された。市は「東松島市地域防災計画」を策定し,災害に強い町づくりを進めている。

(3)鳴瀬桜華小学校区の概況

 鳴瀬桜華小学校は,平成25年4月小野小学校と浜市小学校が統合して開校した。

 旧小野小学校の学区は,旧町区・浅井・上下堤・根古・高松・新田・西福田など美里町,松島町と当市矢本地区と接する広大な範囲にわたっている。そのため,上下堤方面,西福田方面は市有バスを利用し通学している。

 旧浜市小学校の学区は太平洋に面した浜市・平岡・往還地区からなっていたが,東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。特に浜市と一部の平岡地区の住民は,仮設住宅の生活を経て,内陸の往還地区に住宅を再建・移住している。

 学区内の耕地では農業が行われている。稲作が中心であるが,丘陵地帯の牧場では,乳用牛や肉用牛の飼育が行われている。また,そばの栽培も行われている。震災後に始められたビニルハウスでのイチゴをはじめ,サツマイモ,キュウリなどの栽培も行われている。東日本大震災で被害を受けた浜市地区でも漁業やノリ,カキの養殖業も行われている。

 学区内には,三陸自動車道奥松島インターチェンジ,JR仙石線陸前小野駅があり,国道45号線が通り,交通の利便性が高く震災後新しい住宅の建設が進んでいる。市役所鳴瀬庁舎,小野市民センター,幼稚園,保育所,商工会等もあり,国道45号沿いには新しい商店も見られる。

 歴史的には,小野地区は中世深谷の荘を領した長江氏,近世に入って伊東氏,富田氏の本拠地として栄えた。その居城跡はお舘山公園として親しまれている。鳴瀬川河口には野蒜築港跡がある。明治11年(1878年)から明治政府によって行われた近代港湾建設の土木事業跡である。他にも,新田用水,鳴瀬川・吉田川改修,北上運河などの歴史を伝える史跡がある。また,明治時代に第2代日銀総裁や東京府知事などを歴任し,政治・経済で活躍した富田鐵之助は少年期に小野の屋敷で暮らしており,郷土の偉人として知られている。

 令和3年3月,鳴瀬庁舎東の高台(海抜9.5メートル)に新校舎が完成し,同年4月8日落成式を行った。

校章について

鳴瀬地区小中学校統合準備委員会による一般公募の結果,小学校応募総数32点の中から,文屋かおりさんの作品が採用された。

鳴瀬桜華小学校の名の桜の花びらを表し,小野小学校校章の川を表す2本のラインと,浜市小学校校章の波を配置した。

 海,川,山のある素晴らしい環境の新しい学校で,両校が協力し合い学校を盛り上げてほしいという思いが込められている

 鳴瀬桜華小学校 校歌

 「花になろう」

作詞 松井五郎  作曲 中村雅俊

春には桜の坂道を

  駆け上がれば見える空

  夏には鳴瀬川のせせらぎと 

  響きあう声

  蒼く 萌える

  風に絆を育んで

  心と心が 夢でつなげるように

  明日へ咲かせる 花になろう

秋には色づくケヤキの葉

  優しく季節を染める

  冬には雪の音を紡いでは 

  灯した明かり

  どんな ときも

  強い絆で結ばれて

  心と心が 愛を奏でるように

  明日へ咲かせる 花になろう

  ラララ・・・  ラララ・・・

  いつも強く いつも優しい

  花になろう なろう

  誰かのために いられるような

桜の華になろう