学校紹介

校区の概要

本校は、日野町全域を校区としている。

日野町は、鳥取県南西部に位置し、その境を岡山県新見市及び新庄村、日野郡日南町及び江府町、そして西伯郡伯耆町及び南部町に接する。南東部には中国山地が東西に連なり、中国山地の高度は1,000mに達するところもある。南西部から北東部にかけては日野川が流下している。ほぼ中央部には、ツツジの名所、ハッチョウトンボの生息地、高さ50mの龍王滝で知られる滝山公園があり、その北方の標高400mの高原には、野鳥の宝庫として知られ、ハイキング、キャンプで訪れる人も多い鵜の池公園がある。岡山県境にある明地峠は、隠岐島へ配流された後醍醐天皇が通ったと伝えられる峠で、晩秋から初冬にかけては雲海の名所としても知られている。東部にある標高1,005mの宝仏山は、大山隠岐国立公園に属し、古くから信仰の山として知られている。

秋から冬にかけて越冬してくるオシドリは日野川で多く確認でき、県外からも多くの観光客が訪れるなど、日野町の観光資源ともなっている。日野川にはコイやフナなどのコイ科の魚類が多く、支流にはヤマメ、イワナなどの冷水を好むサケ科の魚類が生息している。アユは日野川及び支流に多くいたが、その数は減少傾向にある。国の特別天然記念物に指定されているオオサンショウウオは日野川を始め、その支流で確認できる。日野川とその支流、それに伴う渓谷や湿地などでは、ハッチョウトンボ、イシガケチョウ、コガタノゲンゴロウ、クロゲンゴロウなどの希少な昆虫が確認され、また、河川や水田などでゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルなどが見られる。

黒坂地区、下榎地区、岩田地区、平ラ地区、榎市地区などに古墳が分布しており、紀元4世紀から6世紀頃には多くの人々が定住したものと考えられている。平安時代には京文化が伝えられ、戦国時代には尼子、毛利両氏の相争う戦場となった。江戸時代初期には、関長門守一政が黒坂地区に城下町を形成し、その後には福田氏による自分手政治が行われた。一方で根雨地区や板井原地区には宿場町が形成された。また、たたら製鉄は、明治時代に近代製鉄が台頭するまで、この地域の重要な産業として町内各地で行われていた。

明治22年(1889年)の町村制施行により、根雨、真住、渡、安井、黒坂、菅福の6か村に、大正2年(1913年)には根雨、日野、黒坂の3村となった。昭和28年(1953年)には根雨町と日野村が合併して根雨町に、昭和34年(1959年)さらに黒坂町と合併して、現在の日野町が誕生した。

平成12年(2000年)10月6日午後1時30分、鳥取県西部(現南部町)の地下10kmを震源として鳥取県西部地震が発生した(マグニチュード7.3)。震源となった断層は日野町を通っており、根雨で震度6強を観測、町内全域で住宅の全壊等大きな被害が出た。

国立社会保障・人口問題研究所の推計人口によると、日野町の人口は2040年には1,500人弱と現在の約半数に落ち込むとされている。少子高齢化、都市部への転出等による人口減少の問題は町の重要な課題であり、今まさに町の存続に係る重大な局面となっている。町では、少子高齢化、人口減少などの課題に的確に対応するとともに、将来にわたって町民の生活と安心を守り、活力ある日野町を維持していくため、「きらり日野町創生戦略」を策定し、郷土への愛着を深め、全国に向けた情報発信、観光振興により、交流人口の拡大を図っている。

明治5年(1872年)に学制が発布され、翌年以降、上菅、黒坂、板井原、濁谷、根雨、渡及び野田に学校が開校した。その後の統合、そして昭和22年(1947年)の学制改革により、菅福小学校、黒坂小学校、板井原小学校、真住小学校、根雨小学校、日野小学校となり、同年、黒坂中学校及び根雨中学校が開校した。昭和48年(1973年)に板井原小学校、真住小学校、根雨小学校が統合し、新たな根雨小学校が開校、昭和57年(1982年)には、その根雨小学校と日野小学校とが統合し3代目となる根雨小学校が開校した。昭和59年(1984年)には、黒坂中学校と根雨中学校とが統合し、日野中学校が開校した。平成13年(2001年)には、菅福小学校と黒坂小学校とが統合し、新たな黒坂小学校が開校した。そして、令和5年(2023年)3月末をもって、黒坂小学校、根雨小学校及び日野中学校を閉校とし、同年4月1日、義務教育学校「日野学園」が開校した

町内には、学校給食センター、ひのっこ保育所、公民館、図書館、鳥取県立日野高等学校などの教育関係機関がある。

学校の沿革

令和5   4月   義務教育学校「日野町立日野学園」開校

                               校章制定(原案:小谷裕子  制作:開校準備委員会)

                               校歌制定(作詞:石井昭吉  作曲:池田八声)

                               マスコットキャラクター(ぴよぴよ団)制定

                             デザイン令和4年度日野中学校生徒  制作:令和4年度後期日野中学校生徒会)

                            学校運営協議会設置(コミュニティ・スクール)

                            初等(1〜4)、中等(5〜7)、高等(8,9)の3ブロック制スタート

                            独自教科「はばたき科」スタート

令和6年   2月   駐車場整備工事開始

令和6年   5月   駐車場、駐車場外周から体育館裏フェンスおよび倉庫2か所完成

校章

原案:小谷裕子  制作:開校準備委員会

中央にはひらがなで「ひの」の文字をかたどる。「ひ」の文字は、未来に向かって羽ばたく翼を周囲にはまっすぐに伸びる「ほこすぎ」を3本描き、それぞれ「黒坂っ子」「根雨っ子」「日野中っ子」がすくすく伸びていく様子をイメージしている。

マスコットキャラクター

[デザイン:令和4年度日野中学校生徒    制作:令和4年度後期日野中生徒会]

日野町の鳥「オシドリ」から、鳥をモチーフとして、校訓にそって4つのキャラクターを描いています。

まなぴ【向学】・ともぴ【友愛】・つよぴ【誠実】・まいぴ【自主】

所在地

児童生徒数

学級数

児童生徒数及び学級数

職員数

職員数

生活時程

生活時程