仙台空襲(昭和20年7月10日の未明)では、仙台市内が約2時間にわたって爆撃され、本校があった市の中心部は焦土と化しました。この空襲で23名の児童が犠牲となり、校舎は全焼しました。在籍していた1950名の児童は、疎開などにより散り散りになり、わずか29名となりました。 校木の「くすのき」もこの空襲で校舎とともに焼失したと思われました。
戦火にあってから3年後、焼け落ちた太い幹の周りにぐるりとたくさんの小さな芽が顔を出しているのを子どもたちが発見しました。戦火に負けず雄々しく芽をふきだしたくすのきの力強さに、教員も児童も地域の方々も大変勇気づけられたということです。
その後大切に育てられたくすのきは、仙台の街の復興と共に双幹の大樹に生長し、仙台市の名木100選や仙台市都市景観賞にも選定されています。
毎年、仙台空襲の日や終戦記念日が近づくと、当時を伝えるものとして、新聞やテレビに紹介されています。
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