学校紹介

学校沿革

安政元…池田清氏、鹿児島より来島し、私塾を開く。

明治6…池田新三郎氏、寺子屋を開く。

明治14…志摩郡第4番学区に編入。

明治19…志摩郡第11番学区に編入。

明治32…本校設立の認可。4月落成開校。

明治38…小呂尋常小学校新築、落成。6月15日開校式(現福祉館付近)。

昭和2…校舎移転(現公民館・保育所)。

昭和16…糸島郡北崎村立小呂国民学校と改称。

昭和20…校舎、軍に徴用され、住宅で授業(約1ヶ月)。

         校舎を大楠丸船員に提供。お宮で授業。

         台風により校舎倒壊(海軍兵舎跡を仮校舎)。

昭和21…海軍兵舎古材を使用し校舎再建。

昭和22…糸島郡北崎村立小呂小学校と改称(中学生は北崎に寄留し通学)。

昭和23…教師離島。24年1月まで教員なく休校。

昭和24…鬼塚太郎校長、着任。3学級編成。定員4名。教室の改造(3教室)。

         北崎中学校小呂島分校併設。二部授業開始(午前小学校・午後中学校)。

昭和25…小・中学校開校以来、初の修学旅行(太宰府)。

昭和27…種牡牛、学校で飼育管理。

昭和28…学校にミシンが来る。

昭和30…島の自家発電により電灯がつき、ラジオの学校放送聴取可能。

昭和33…新校舎落成。二部授業解消。

昭和36…福岡市に合併。福岡市立小呂小学校、福岡市立北崎中学校小呂分校と改称。

昭和38…正月以来大時化により渡島できず2月1日になり、自衛隊ヘリコプターで職員帰島。

昭和41…乾パン・ミルク給食開始。

        中学校複々式解消。2学級となる。

昭和42…講堂兼へき地集会所、落成。

昭和44…北崎中学校より分離し、福岡市立小呂中学校として独立開校。

         福岡市中学校総合体育大会、初出場。

         校歌制定。

昭和45…校旗・校歌入魂式。

         理科準備室、技術科倉庫、ごみ焼場、職員中学生の手により完成。

昭和46…中学校3学級認可。

胸章制定。

昭和52…新型ピアノが来る。

昭和56…新校舎開校。

昭和58…グランドピアノ購入。

平成3…校舎及び体育館屋根全面改修。

平成10…「小呂小学校創立100周年・小呂中学校創立50周年」式典挙行。

平成13…新校旗引渡式。

平成16…中学校、リコーダーアンサンブルコンテスト市大会・県大会ともに金賞。

平成18…市民プール等で小中学校ともに水泳教室を実施。

平成20…中学校、県リコーダーアンサンブルコンテスト金賞。

平成21…中学校、市リコーダーアンサンブルコンテスト二重奏金賞・四重奏金賞。

        中学校、県リコーダーアンサンブルコンテスト二重奏金賞・四重奏最優秀賞。

        全校劇「小呂開拓物語」上演。

平成22…中学校、県リコーダーアンサンブルコンテスト二重奏・四重奏「最優秀賞」「県教育委員会賞」。

        中文連弁論大会「市長賞」。

平成23…第57回九州へき地研究大会。

        第56回福岡県へき地・小規模校教育研究大会発表。

平成24…内浜中学校交流。

         小呂ふるさと市生徒オリジナル商品県大会銀賞。

平成25…内浜中学校交流。

         愛宕浜小・内浜小交流。

平成26…中学校、社会見学(熊本県小国)。

        自然教室(海の中道青少年海の家)。

平成27…小学校、社会科見学・大相撲九州場所見学。

平成28…小・内浜小交流・水泳学習。

        中・リコーダーアンサンブル市大会四重奏「金賞」県大会へ。

平成29…わたしたちの樹 植樹(キンモクセイ)。

        なっとり遠足復活。

平成30…集中豪雨のため休校(小呂小中のみ)。

        長期欠航の場合の給食物資運搬ヘリ運航開始。

令和元…九州へき地教育発表会 発表。

        安心・安全メール導入。

令和2…新型コロナウイルス感染防止により臨時休校(4/6~5/16)。

       一人一台端末導入。

令和3…北崎中との美術・家庭科ジョイント授業開始(中学部)。

       小呂こども山笠。

       小呂島大文化祭(小呂フェス)。

令和4…中・全国離島学校サミット開催(離島経済新聞社協力)。

       北崎中交流・水泳学習。

令和5…中・全国離島学校サミット開催(離島経済新聞社協力)。

       小呂山笠3年ぶりに開催(子ども山笠も同時開催)。

       三番叟3年ぶりに開催。

校章

校訓