質問学とは

なぜ問いを評価するのか?


 “Judge a man by his questions rather than by his answers.”


これは18世紀のフランスの思想家ヴォルテールの言葉です。なぜ、答えよりも問いの方がよりよくその人を判断できるのでしょうか?私が思うに、答えは問いによって限定されますが、問うことには無限の可能性があるからではないでしょうか。つまり、問いは対象を限定し問題を定めてしまいますので、その答えはその問いの範囲の中でのその人の知識や理解しか見ることはできません。しかし、その人が何を問うかは自由であり、そのためにその人がどのような対象に関心を持っていて、それについてどこまで理解しているのかを如実に示します。ですので、その人の答えよりも問いの方が、その人そのものをよりよく知ることができます。

しかし逆に、問いは無限の可能性を持っているために、その良し悪しを判断する、すなわち評価することは難しいとも言えます。なぜなら評価するためには良し悪しを判断するための基準が必要になりますが、問いは様々な可能性をもっているために、問いを評価するための明確な基準を定めることが難しいからです。例えば、問いはその人の好奇心の現れですが、どのような問いがどのくらいの好奇心の強さを示しているのかは一概には決められません。また、「なぜリンゴは落ちるのだろう?」という子どもじみた問いをニュートンがしたからと言って、ニュートンが子ども程度しかこの宇宙について理解していなかったとは言えません。

このように、問いを評価するための基準が曖昧模糊としているために、これまでの試験やテストのほとんどは、その人の問いではなく答えによってその人を判断してきました。設問や問いによって問題を規定することによって、その人の答えが、その問題をどれだけ適切に解決できるかを判断しやすくなります。つまり評価基準を明確にできます。このため、これまでの試験やテストは、それが筆記試験であれ面接試験であれ、その人の問いではなく答えを評価し続けてきました。しかし答えを評価する方法の場合、答えを知っていれば評価は当然高くなります。受験者は過去問を勉強して答えを覚え、試験する側はこれまで出題されていない問題を作るというイタチごっこが昔から続けらてきました。

そもそも答えを評価するというやり方は、評価基準が立てやすいがために、受験者の対策も立てやすくなります。このため、丸暗記された答えなのか、本当に考え出された答えなのかを判別することができなくなります。また、受験者の本当の興味関心はなんなのか、どのくらい好奇心があるのか、といった学びや探究にとってもっとも大事なことも見ることはできません。安易に答えを評価し続けることをやめ、問いを評価する方法を真剣に模索していくのがこの研究です。


どのように問いを評価するか?


答えは問いによって限定されますが、問いには際限がなく自由です。しかし、問いの自由さゆえに、問いの良し悪しを判断するプロセスは複雑であり、それを明確に表現することは困難なように思われます。そこでディープ・ラーニング(深層学習)、いわゆるAIによって問いを評価できないかと考えています。すなわち、問いのデータをたくさん集め、学習データと評価データとに分け、学習データは人が評価を付与し、AIにその評価を学習させ、評価データを用いて学習精度を検証します。これにより、問いに対する人の直感的で複雑な判断プロセスをAIに学習させるのです。 しかしその前にAIに問いとはどのようなものであるかを学習させる必要があると思っています。というのも、「AはBであるかどうか疑わしい」といった疑問文の形になっていない問いもあれば、逆に、「AはBだと言えるのか?」といった疑問文の形をした主張もあるからです。