毎日おいしい給食をありがとうございます。
本校では、校長が「検食」しています。
今日のメニューは、「ごはん ジョア(ストロベリー)
鮭豆乳フライ ブロッコリー(マヨネーズ添え) チキンカレー」でした。
チキンカレーには、「ニンジン型」にくりぬかれた「しあわせのニンジン」が入っていました♪
各学級の大食缶(カレーが入っている食缶)に1つだけ「しあわせのニンジン」が入っているそうです。
今日しあわせニンジンに出会えた人はいましたか?
河合第二中学校 創立記念日によせて 20260421
昭和22年4月22日に、河合村立河合中学校が開校しました。そして昭和50年に、河合中学校から分離して、河合第二中学校が開校しました。開校時は1年生55名、2年生52名でした。52年3月に初めての卒業式を行い、令和8年の3月に挙行した卒業生では、証書番号6530号の卒業証書を授与しました。多くの先輩方を輩出し、令和6年度には創立50周年を迎えました。保護者の方々の中にも、本校出身の方が多くおられると思います。河合第二中学校は、西大和ニュータウンの中央に位置し、星和台・中山台・広瀬台・高塚台地域等の子どもたちが学ぶ学舎として、創立当初の教育目標を大切にしながら、子どもたちの自主性を重んじ、今後も「大好き河合二中、自慢できる学校!」をスローガンに掲げ、日々教育活動を行ってまいります。
明日の創立記念日には、是非ご家族で当時のお話等もしていただき、河合町の、河合第二中学校の歴史を知っていただく機会にしていただけたら、と思います。
「この教科書は、これからの日本を担う皆さんへの期待をこめ、税金によって無償で支給されています。」 20260407
教科書無償化の歴史
「この教科書は、これからの日本を担う皆さんへの期待をこめ、税金によって無償で支給されています。」
教科書の裏表紙 に添えられている言葉です。
日本国憲法26条には、 『すべて国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。』とありますが、1960年頃は、この26条の解釈は、『義務教育の授業料は無償である』という意味で、教科書は買って準備しなければいけませんでした。
そんな中、1961年、高知市の漁村から教科書無償の運動(無料にする運動)が始まりました。
ここに住む父親、母親たちは、ほとんどが学校に行っていませんでした。なぜなら子どもたちは家の手伝いや子守をしなければならず、学校に通うどころではなかったのです。それでも、生きていかなければならず、生きていくには、読み・書き・計算が必要です。 仕事に出て、砂やスコップのうらに字を書いたり、道を歩きながら看板の字を覚えました。 こうして、自分で自分を教育してきた親たちでしたが、「自分たちの子どもたちを何とかして学校にやりたい。読み、書きぐらいは満足に勉強させてやりたい」と思いました。しかし、子どもを学校に通わせるとしても、教科書を買ってやれません。その頃の教科書代金は小学校で700円くらい、中学校になると1200円をこえていました。母親たちが一日働いても300円くらいにしかならない状況です。300円では、生活するのが精いっぱいでした。
そこで、母親たちは学校の先生たちと話し合いました。「義務教育中なのに、教科書くらいくれんものか。」 憲法第26条を何度も何度も読みました。「教科書を欲しいとか、買うとかいうことではない。はじめから政府 が買い与えることになっているのだ。」と考え、この母親たちが中心となって「教科書をただにする会」をつくりました。
この運動は高知市だけにとどまらず、 大阪・東京など全国に広がっていきました。
このような母親達の思いを伝える場が何度ももたれましたが、なかなか希望はかないませんでした。その間、子どもたちは、教科書の代わりにプリントを使って授業を受けていました。
多くの親が、あきらめずに、たたかい続けて、ようやくこの運動が実を結び、ついに1964年から教科書無償が実現され始めました。
教科書が無償になったのは、こういういきさつがあります。
たたかってきたのは、1日1日の生活が苦しかった母親たちです。この母親たちをたたかわせたのは、「せめて子どもたちには、生きていくための学力をつけさせてやりたい。」 という強い思いです。
この運動をされた人達の願い・思いをしっかり受け止め、教科書を大切に扱い、学習を頑張っていきたいですね。
(この記事を書くにあたり、志免町ホームページの「新しい教科書を手にするときに」を参考にさせていただきました。)