物語は、感情を駆動する装置である。
目的と動機、そして障害によって構成されるそれは、人のこころを動かし、変化を描き、やがて終わる。
私たちは物語を通して、恋や恐怖や救済を知る。
現実では触れ得ない密度の出来事と感情を、虚構という安全圏から受け取る。
それは、確かに人間の理解を深める。
生を推し進める原動力にもなる。
しかし、人生は物語ではない。
人生は切り分けることのできない連続であり、
明瞭な導入も、都合のよい転機も、整えられた結末も持たない。
出来事は散在し、意味は後付けされる。
それでもなお、人は生を物語として理解しようとする。
そこに意味や構造を仮構することで、自らの時間に耐えようとする。
この錯誤は否定されるべきものではない。
むしろ、私たちはその「人生=物語」という錯誤に支えられている。
だが、見誤ってはならない。
それは現実ではない。
――<幻影>。
それは、こころが現実の上に重ねる、物語のかたちをした錯誤。
過去の想いや、現在の歪み、あるいは未だ訪れぬ未来の予感。
確かにそこに見えるが、決して触れ得ないもの。
人はふと、何でもない風景の中に、失われた誰かの姿を見る。
あるいは、まだ来ぬ幸福の影を先取りする。
そのとき現実は色褪せ、<幻影>は輪郭を強める。
だがそれは誤認であり、代替ではない。
それでもなお、人は<幻影>を追う。
自らを支える原動力となることを信じて。
私たちはこの<幻影>を描く。
現実を逸脱せず、しかし現実に収まりきらない像として。
こころという不可解な機構が投射する、その揺らぎを。
私たちはGEN'EI. をここに発刊する。
雑誌《GEN'EI.》は次の目的を持っています。
物語の性質を明かす
力を持つ虚構である「物語」の性質を明かし、
私たちの人生がそれにどのような影響を受けているのかを示す。
<幻影>を描写する、または考察する
こころが現実の上に重ねる<幻影>。
過去の景色、未来への予感。現実の上に現れながらも、決して実在しないその像を描き出す。
あるいは、「人生=物語」という錯誤を助長する現象としての<幻影>を考察する。
幻影圏を構築する
小説、エッセイ、批評、論考――形式は問わない。
それぞれが《GEN'EI.》という文学的共同体のなかで交差し、
その集積として、<幻影>が立ち現れる場――「幻影圏」の構築を目指す。
詳しい寄稿に関する情報は寄稿ガイドをご覧ください。