空海入唐の現風景

空海入唐の現風景 河本 紀久雄

なぜ空海か:

田舎の農家に生まれた私であるが、なぜか母親は百人一首が好きで、冬になると子供達を集めて、乱捕りをやったものである。その際、それぞれ自分の好きな札があって、絶対他人には獲られまいと、字札を並べる際にそれを自分の近くに置き、上の句を読み始めると同時に右手が自然にそこに動く体勢を作り、遊び始めた。

私の好きな札は阿倍仲麻呂の詩「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」であった。勿論、子供のことであるから、作者がどんな人で、歌の意味がどうであるかは知らず、ただ感じが良い程度の認識でしかなかった。その内、彼は遣唐使の一人で、望郷の念に駆られながらも、二度と故郷の地を踏むことは叶わず、異郷の地で亡くなったことを知り、興味が深まり彼の出身地奈良県桜井市を尋ねたりしている途上、今度は「遣唐使の墓誌発見」のニュースが新聞紙上を賑わした。ニュースの本人は井真成と言う藤井寺市の出身の男、と知りそこを訪ねたりと遣唐使への興味は自ずと深まってしまった。

それとは別に、水戸市で「中国語研究懇話会」と呼ぶ学習仲間に属し、10年余活動を続け「中国民話集」の翻訳本を出版したり、定期的に中国に関する発表などを続けていたので、遣唐使を格好のテーマとし調べ続けることにもなった。その流れの中から今回の空海に辿りついたのである。

そんな事情から、空海の中国での道のりを調べるうちに、私が漢詩の原風景として尋ねて歩いていた場所が、彼の道程と結構一致していることに気づき、「空海入唐の風景」として、一部文献資料を拝借しながら、私が見た現代の中国の写真を使って、空海の眼に映ったであろう景色を想像し、その足跡を辿ってみることにしたのである。

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