第1話 シドニー&ホーチミンの旅
今回の旅はライオンズクラブの国際大会(93RD LIONS CLUBS INTERNATIONL CONVENTION)が
シドニーで行われ、兄(2歳年上)との二人旅でした。
航空会社は、ベトナム航空(ホーチミン トランジット)、何のことはない、お安いからです。
なにせ、ライオンズクラブのオフィシャルツアー価格は26万円(カンタス航空、6日間、スイス シドニーホテル)私達の価格は145、000円(ベトナム航空、ホテルは1万円~5000円、9日間)
シドニー&ホーチミンを旅行していて、珍しいこと、感心した事、驚いた事をぼちぼちご報告します。
・・・乞うご期待!
旧南ベトナム大統領府
第2話 ホーチミンからシドニーへ(ベトナム航空VN783機中)
ホーチミンまで5時間、ホーチミンからシドニーへ7時間、トランジットの待ち時間が6時間(これが長すぎます。しかし予めの計画で市内見学をすれば有効ですが、なにせ初めて地で状況が詳らかでなかったので、ターミナルで過ごしました。
いよいよ、シドニー行きのVN783便で出発です。
隣の席が、韓国陸軍の中佐(LT,colonel)で韓国陸海空の将校が揃って、オーストラリア、ニュージーランドの軍隊と合同研修を行うそうです。
韓国の歴史など話題が盛り上がり、時間のたつのを忘れるほどでした。(勿論、下手な英語でしたが・・・)
隣の 台湾人のお嬢さん
韓国陸軍の中佐(LT,colonel)窓際
ベトナム航空VN783
第3話 : ホーチミン タンソンニャット(Tansonnhat International Airport)国際空港から
シドニー キングスフォード・スミス(Kingsford Smith)国際空港 へ
シドニーという都市はオーストラリア(人口2100万人)最大の人口(420万人)を有し、その1/5であり英国人最初の入植地でもあります。
白人が92%といわれています。そのわりには、有色人が目に付きます。
最も、日本に於いても、外人が多いのは東京ですが、外来人が粮を得るのに都合の良いのは大都会と古今東西南北を問わず、何処も同じですね。
単純労働、3K職と通り相場です。白豪主義だったこの国は有色人種に委ねる部分が時代の流れで必然的に多くなってきたのでしょう。
日本に比べ物価が高いと感じ取りました。そのわけは、農産品、鉱物資源による経済効果ともいわれています。
昼飯はワンコインでは無理です。1000円は覚悟しないといけません。牛丼や、百均やは見うけられません。
シドニーの銀座通りGeorge Street
美術館
スーパーWoolWorths
第4話今回はお酒の話です
シドニーと云う所はあまりビール、お酒を売っているところがありません。
マイヤー(Myer)デパート George St. Sydneyの地下フードコートには アルコールがありません。
夕飯にビールをと思い探しましたが、ありませんでした。あまりお酒を嗜まない私にとりましてもちょっと寂しい思いでした。
お酒、ビールは、特別許可を受けたレストラン、パブでしか飲めません。
飲みたかったら、Wool Worth というスーパーかお酒専門店で買い、ホテルに持ち込んで飲むしかありませんでした。
勿論ホテルのレストランにはアルコールはありますが。
The Hero of Waterloo Hotel の pub
The Hero of Waterloo Hotel の pub
オーストラリアのビール
ビールサーバー
第5話 政府規制(Government regulation)
オーストラリアの入国時、検疫(Quarantine)の規制が厳しいようです。
日本の20倍の面積を持ちながら、世界有数の畜産国でありながら、今回の口蹄疫はオーストラリアでは発生していないようです。
あれを持ち込んではいけない。これもだめ、やたら規制が厳しいのです。
先のお酒の話ですが、そこら中何処でも売っている日本とは格段の違いです。
また私は煙草を嗜まないのですが、1箱30本入りの価格は(15ドル=約1300円)です。
国民の健康と肥満の対策で、かなりの規制をしています。
第6話 イギリス的オーストラリア
ご存じでしょうが、オーストラリアの国旗にはユニオンジャックがしっかりと鎮座しています。
驚くことに、オーストラリアの国家元首はエリザベス女王です。
このシドニーの州名はNew South Walesで、そこには Walesがしっかりあります。
シドニーの通り名はイギリスそのままです。
一番賑やかな銀座通りは George STです。その他Elizabeth STなどがあり、悉くイギリス流です。
スペルもイギリス流、center はcentre で、車は左側通行です。
ビジネスマンは、スーツにネクタイ、まるで、シティ・オブ・ロンドン(City
of London)のようです。
着こなしはバッチリ決まっています。Californiaでは考えられません。
第7話 シドニーの博物館
外国へ行くと、必ず博物館、美術館などを見学することにしています。
今回のシドニーでは、Austrarian Museum と Museum Sydney 双方ともメジャーなネーミングなので、否応なしに足が向いたのでした。
しかし、歴史の好きな私にとっては、いささか拍子抜けでした。
Austrarian Museum は オーストラリアの自然、動物などが主体で、けして私の目を満足させるものではありませんでした。
子供達をターゲットに運営されているようにも思われました。勿論そこには先住民族アボリジニの説明展示がありました。
Museum Sydney は ロンドンで云えばシチーのような所にありました。つまりビジネス街です。
1788年に総督邸が立てられ、また英国からの第一船団1500人の流刑者(囚人) が先住民族アボリジニとの接触した地とのことです。
しかし、歴史的オリジナルな物の展示が乏しく、私の期待に叶うものではありませんでした。
不満が募りいらいらしていましたが、Hyde Park Barracks Museum に辿り着き、やっと思いが達せられました。
ここは、英国からの流刑者(囚人)の刑務所です。
ここに収容されて昼間は外で働き、よるはハンモックで睡眠をとりました。
その二階建ての煉瓦作りは往時のままのオリジナルで感激しました。
ここは私のお勧めですよ!
第8話 shanghaied
シドニーのThe Rocks に "The Hero of Waterloo Hotel"という古い石造りのホテルがあります。
現在は、パブとレストランなのですが、ここに、英文でその歴史を書き写しました。
後半の The Tunnel の項に "shanghaied"と言う単語が出てきます。その意味は(上海の動詞で:酒・麻薬・暴力で・・・の意識を失わせて船に運んで水夫にする。)という意味があります。
10年ほど前に上海へ行った時、この意味を調べ、覚えていました。
それがシドニーであらわれたのです。驚きました。
この概略は、当時、水夫が不足のため 意識が無くなるまでラム酒を飲ませ、無理矢理ホテルの地下にあるトンネル船着き場らら高速帆船(clipper)に若者を拉致し、強制労働をさせたとあります。
"The Hero of Waterloo Hotel"
http://www.heroofwaterloo.com.au/history.html
当時の大英帝国の法律で、レストラン夜間営業に酒類の提供は禁止されていて、その法の抜け道を考え、ホテルらしく外装を繕ったとあります。
The Hero of Waterloo Hotel
このホテルの窓を見てください。窓はイミテーションなのです。
移民当時のレストランは夜間アルコールの提供は禁止されていました。
そのために、アルコールの提供を許可されていたホテルのように偽装されたと
いわれ、窓のように繕ったといわれています。
ホテルのレストラン
レストランで乾杯
二階のナポレオンの肖像画の前で
二階の会議室
地下の牢屋
一階のバー
つまりホテルは許可されていたということです。
History
Established 1843
The Tunnel
There are many stories surrounding The Hero.The best known is that of
the tunnel which runs from the cellars of the hotel to the Harbour.
The tunnel was used for rum smuggling and involuntary recruitment of
sailors.
A young man might find himself drunk at the bar, dropped through a
trap door into the cellar,dragged through the tunnel,to awake next
morning at sea shanghaied aboard clipper, and so legend goes.
A maze of stone cellars under The Hero bear silent witness to its
nefarious past.
This Historic Australian landmark is classified the Heritage Council
and The National Trust.
第9話 シドニーの「オペラハウス」
日本人ガイドが「オペラハウス」に行く前に、「世界三大ガッカリ」の一つということを言っていました。
その一がこの「オペラハウス」と言うことでした。
その二つ目がシンガポールの「マーライオン」。
三番目が「札幌の時計台」だそうです。
そう言う話を予め聞いていたので、あまり期待をしていませんでした。そういう訳か、全然ガッカリしませんでした。
シドニーへいったら是非近くへ行ってみる、観光スッポットだと思います。
ここに写っているのは、私ではありません。私の兄です。
第10話 シドニーのレストラン イタリアンビレッジ Italian Village Restaurant
このレストランのディナーはシーフードでした。カニあり海老あり、そのボリュームたるや驚きでした。
シドニーの魚介類は安くて美味しいのです。
オーストラリアは、人口のわりに海産物が豊富しすぎるように思えました。
※添付写真は、その海鮮料理、入り口の看板、そして、窓から見える夜景、ロックスのハーバー越しに眺めるオペラハウス。
第11話 ホーチミンの国際空港
ホーチミンの国際空港はタンソンニャットTansonnhat International Airportと言います IATAコードは「SGN」であり、ホーチミンの旧名サイゴンが由来です。もともとサイゴン国際空港と呼ばれていました。ホーチミン市は英語ではHo
Chi Minh City 漢字では城舗 胡志明(ホーチミン)と書きます。以前アメリカ軍が駐留している時軍事目的に使用されていました。
その時の名残とも言える、掩体壕(えんたいごう)と思えるコンクリートの区画が滑走路緒誘導路の近辺に散在しています。
ベトナム戦争以前はサイゴン(柴棍、西貢)と言いました。
ベトナムの人口はおよそ8600万人、ホーチミン市は712万人で首府ハノイの340万人を倍近い人口です。
大変活気のあるアジアの大都会です。
写真は、 ホーチミンの国際空港タンソンニャット
Tansonnhat International Airport ターミナルビルです。
機内食メニュー
機内食その1
機内食その2
第12話 戦争証跡博物館(ホーチミン)
WAR REMNANTS MUSEUM
1975年、ベトナム戦争は終わりました。
しかしとても忘れることは出来ません。
その傷を今に生々しく伝えてくれる博物館、平和を考える意味でも必見だと思います。
※写真のエレクトーンを弾く男性(目がない)、車椅子の男性(手足の無い)
共に米軍枯れ葉剤の後遺症であるとの説明です。
※また米兵がぶら下げているのはベトコンの死体です。
とてもまともには見られない写真などが展示してあります。
第13話 ボッタグリタクシーとバイクタクシー
ホーチミンという都市、或いはベトナムは発展途上です。
あのバイクの数を見ると日本の1950年代を思い浮かべます。
ただ違うのは、最先端との混在です。
政治体制はまったく違いますけど、経済活動では西側経済を突っ走っているように思えます。
それだけに民衆はどん欲です。
こういう都市で、ホーチミン「ボッタグリタクシー」に遭遇しました。
5km位走って、480万ドン(2万円以上)をボッタグリされました。
かなり抵抗しましたが、何ともラチがあかず、払わざるを得ない羽目に なってしまいました。
運ちゃんは多分あれで2ヶ月くらい暮らせるのではないかと思われます。
それも、ほろ苦い経験で、そうは遭遇しないと思います。
兄は、これもドネーションで人のためになったと思えば、良いのではと言って笑っていました。
この件をホテルのボーイに話しました所、やっぱりあるそうです。
安全なタクシーは空港出入り或いはホテル出入りなどが安全とのこと。
街中で拾うのは危険であるとのこと。
くだんのタクシーには天井に行灯(あんどん)が付いていましたが、あとで見てみると、
数字だけで”TAXI”の文字はありませんでした。
そしてまた、料金表示は、ブックパソコンの画面のようなもので、それを持ち出し、
そこに金額を表示するものでした。何とでも打ち出せます。
帰りは、被害を中和するつもりでもないのですが、バイクタクシーに思い切って乗ってみました。
はじめは断っていたのですが、持ち前の性格も影響して、更に客引きが一生懸命でそれに絆されてしまいました。
乗るまでは不安でしたが、乗ってみると安全でホーチミン暑さをバイクで払いのけ快適でした。
片道2車線の道路の1車線はバイク専用になってしまいます。それほどバイクが多いのです。
中には家族5人で乗っているオートバイがありました。驚きです。
※添付写真の雄姿を見て下さい。
第14話 韓国企業の進出
日本の経済連携協定(EPA)や自由貿易協定(FTA)は農業問題の足かせにより、遅々として進んでいません。
それを尻目に韓国企業はアジア各国に進出し、日本の企業を凌駕しています。
ここへ来て、日本政府はやっと本気になってきたようです。
※ここに韓国製品、企業の活躍振りを添付します。
ここに写っている車はほとんどHYUNDAIです。
中心部に建設中の超高層ビルはHYUNDAI建設の看板が掲げてありました。
またホーチミン空港ターミナル待合室の液晶TVはSUMSONでした。
第15話 ベトナム料理
ベトナム料理と言えば、フォー(pho bo :頗)と言えるほど有名ですね。これは平打ちの米粉の麺です。
ベトナム空港トランジットの折、レストランで早速所望してみました。
今考えてみると、特別のインパクトは感じられなかったと思います。
べトナムへ行ったら、取り敢えず、フォーですね。
ベトナムは中国の文化、近代にはフランスそしてアメリカとの変遷です。
料理もそれにそっての変化に思えました。
従いまして、何を食べても美味しく頂けました。
第16話:ホーチミンのフルーツ
私は果物のことに知識がありません。
まして南国ベトナムの果物の名などまったく分かりません。
ホテルのバイキングに所狭しと並んでいました。
それにしましても美味しそうですね。
朝食のバイキングフルーツ
朝食のバイキングフルーツ
朝食のバイキングフルーツ
第17話: 東洋のパリ
ホーチミン市はかつて東洋のパリの異称をとったと言われています。
そのフランス式の建物が、「中央郵便局」です。
外観と内部を添付しました。
また、カソリックの教会「聖母マリア教会」はロマネスク様式で、その外観は赤レンガが印象的でした。
中央郵便局内部
マイクロバス乗り合わせの人達
聖母マリア教会
聖母マリア教会
聖母マリア教会
中央郵便局遠景
中央郵便局
第18話: SYDNEY Bondi Beach
既に、ホーチミンへ飛んで行ってしまいましたが、シドニーのことを書き忘れたことがありました。
ちょっと戻ります。
ボンダイビーチとは知る人ぞ知るサーファーのメッカだそうです。北半球と違い、7月はoff-seasonです。
しかしその雰囲気は十分に感じとれました。
ここに添付した。Warning Sign Boad は我々外国人にも分かりやすく出来ています。
ボンダイビーチ遠景
サーファーのメッカ
ボンダイビーチ規制表示
第19話: ホーチミンの露天居酒屋
ホーチミンの居酒屋は店頭がオープンで開放的です。世界各国の居酒屋達人がイッパイやっています。
その仲間入りしました。
この店は歩道まではみ出しているようです。
兄と二人で一杯
欧米各国の滞在者
道路沿いの居酒屋女性のサービス
第20話 ホーチミンの市場
ベトナムの買い物で欠かせないのが市場と言われています。
ホーチミンには数ヶ所の市場があります。
それこそ何でもありです。
外国人には高い値段を言います。
値段交渉は必須ですね。
先日のニュースでベトナムの公務員の平均月収は4000円台とのことです。物価もそれに連動しています。
行ってはいないのですが、スーパーがあるそうです。ここは値段交渉は無しだそうです。
ベンダン市場のスナップを添付しました。
ご覧下さい。