草原真知子(早稲田大学文化構想学部、メディアアートキュレーター)

アートとその関連領域との間の境界は、もはや明確ではない。デバイスアートは、アート、デザイン、テクノロジー、サイエンス、そしてエンターテイメントを橋渡しする新たな方法を追求する。これらのメディアアート作品は最先端のテクノロジーや素材と同時に日常見慣れた技術や材料を駆使して、人々(ユーザー/観客/インタラクションの担い手)がメディアテクノロジーを楽しみつつ、それが私たちにとって何を意味するのか理解することを可能にする。そこではデバイスアートが持つ日本的な要素、たとえば「道具」への思い入れ、アートとデザインと娯楽の連続性、大衆文化(ポップカルチャー)の重要性などが鍵となる。これらの要素はデバイスアートの中で意識的に分析され、用いられてきた。

「遊び心」(プレイフルネス)の肯定は日本文化の中に深く根ざしており、さらに19世紀半ばまで約250年にわたる平和な時代は、先端技術の娯楽への利用も含め、「遊び」を豊かに育てた。プレイフルネスによって、アートを美術館やギャラリーの外に持ち出し、さらには商品化をも通じて広く一般の人々の手に届くようにすることができる。八谷和彦、クワクボリョウタ、土佐信道は彼らの作品が私たちの日常生活の中に入り込むべく商品化した。デバイスアートは、アートと商品の間に明確な一線を画する従来の芸術観を否定する。

「遊び心」と密接な関係を持つ日本の伝統文化として、隠喩や連想や言葉遊びによって複層的な意味を楽しむ「見立て」がある。見立てとは現実のものごとの背後に別の意味を見出すことであり、たとえば日本庭園に置かれた小石のように、ごく普通の、あるいはつまらないものさえ、何か素晴らしい、意外なものに変換する魔法だ。

デバイスアート作品ではいろいろなタイプの見立てがある。クワクボリョウタのNikodamaは、日常見慣れたものを何か個性を持ったパーソナリティーに転化させる。MorphoTowerなど児玉幸子の一連の作品は磁性流体という工業素材がキネティックな造形に変容する。八谷和彦のFairyFinderシリーズでは、コーヒーテーブルなどの表面が別の世界の窓になる。

このような日本的要素が重要性を持つ一方で、デバイスアートは国際的なアートの展開の一部でもある。異なる分野を背景に持つアーティストたちがその時代の新しいメディアテクノロジーに注目して集い、芸術表現の領域を拡張する、という点で、デバイスアートは前衛芸術運動の流れを汲むものと言えよう。現代はディジタルな制作・複製技術、コミュニケーション技術の時代であり、作品の制作・流通・鑑賞に関する伝統的な様式の有効性には疑義が突きつけられている。アーティストだけでなくデザイナーや建築家もそれに敏感に反応し、行動を起こしている。デバイスアートは、今日的視点と歴史的考察の双方からこのような状況に応え、メディアアート、そしてアートそれ自体に新たなアプローチを提案するものである。